YEGのアップデート試論
黒部商工会議所青年部(以下、黒部YEG)に入会して10年以上。
この10数年における時代の変化は、目まぐるしく、そして地域も変化し、お客さんも変化し、商売も変化の波に飲まれながら、溺れることなく泳ぎ続けてきたように感じます。商売としての自分において。
入会当初は、右も左も、上も下も分からないからこそ、我武者羅にいろんな場所に顔を出し、コミットしながら、同志と行き会っていましたが、最近は結婚して子供が生まれたことを機に、優先度を下げたりと、自分の中で変化もありました。
ここ2年は、理事会に参画し、一緒になって会を盛り上げることをやってきましたが、ブランクが3年くらいあったので現状を把握することに時間がかかりました。
そこで2年間のコミットにおいて分かったこと、気づいたことを軸に、YEGにおける未来のあるべき姿を思考したいと思います。あくまでも一会員としての思考であり、特に意図はありませんのでご容赦を。
私の個人的な意見など何の影響もないですが、個人的にアップデートの方法を考えることによって、これからのコミットの方法を効果的にできると感じているからこそ、感じたことを全て書いてみようと思います。
◆黒部YEGのアップデートに関して3つのパースペクティブ
①大義としてのYEG
YEGとは、何のための団体・組織であるか。この問いに、ストレートに答えらえる人はほとんど居ない。よくある答えは「地域貢献活動」という答えがほとんどだ。
その本質は、「自社の発展と繁栄によってもたらされる地域への効果的な貢献」である。会則に書いてる通り、経営の勉強しなさいということである。
経営スキルを磨き上げて、業績を上げて、利益を確保し、人材を採用して育成して、自社の発展が地域に直接貢献するエコシステムを創り上げることが日本の活性化に繋がるという思想である。
しかし、会員を見れば、このような経営者は皆無に近い。これは、設立当初の時代背景・未来へのビジョンが、50数年経った今においては完全にズレているということである。
かつて、団体・集団・組織化というのは、問題を解決する手段の一つであった。情報が少ない時代において、個々人が持つ情報・ノウハウを持ち寄ることで問題を解決したのだった。
それは言わば、街づくりであり地域づくりでもあった。マンパワーが不可欠だったからこそ、集団が生きた。
しかし今、現代における問題は、個々人の努力によってしか解決できない時代に入った。それは、高度経済成長期が過ぎ去った今において如何に事業を継続できるかなど。課題が個別化してきたのが昨今の流れと言える。
そういう文脈で言えば、YEGは存在意義を成せなくなってきている。しかし、そこで悲観してはただのバカであり、YEGという存在は歴史に支えられた確固たるものがあり、これを活用して、ここが時代を乗り切ることが最も大切な「個々人の大義」ではないかと考える。
つまり、この会に入る際に、なんとなく「頼むから入ってよ」とか、「何もせんでいいからとにかく入会して」などという数合わせの新規会員の勧誘は全く持って意味が無く、クソみたいな考え方である。
「あなたの課題は何?それを解決するヒントを得るために入らないか?」というのが、今の時代に見合った勧誘方法となる。
例え、そのようなヒントが得られそうなコンテンツがないとしても、そう語りかけることが正しい呼びかけになるように感じている。
大義、言葉にすると難しいかもしれないけど、この激流と化した時代に、何に命を費やし、燃え尽きるのかを真剣に考えなければ、何の幸せも感じられない時代なのではないかと感じている。
②メディアもしくはプラットフォームとしてのYEG
メディアの本質としては、伝えるもの、何かを変えるもの、突き動かすものとすれば、まさにYEGという存在は、メディアと例えられるのではないでしょうか。
それは、何かの価値を継承していく媒体として、または、次代への何かを橋渡しする媒体としての器と考えれば、YEGのメディアとしての価値は「ビジョンを描き、行動していく若手経営者の育成」というビジョンをもつことでメディア価値が最大化するように感じている。
今更、地域団体と呼ぶべきではない。その思考では、単純に、何かをさせるための必要人員確保のための器でしかないからだ。
メディアと例えられれば、そこに所属する会員一人一人がコンテンツとして価値があり、一人一人が輝けば、メディアも輝く。
また、コンテンツを成長させて、コンテンツがメディア化していけば、ある意味プラットフォームとして立ち位置を格上げすることが出来るのは大いに価値があると言える。
この概念へのパラダイムシフトが出来れば、YEGは新しい価値で見直しが可能となる。それが出来れば、仲間が拡大する可能性もあることを忘れてはならない。
③コンテンツとしてのYEG
YEGのコンテンツはその多彩な事業・イベントと言える。その特色は、非情に地域性に富み、独自性も高い。これは、是非、会員が積極的に触れて、参加して、何かしら自分への学びに繋げるトレーニングが必須と言える。
しかし、この事業を計画・実行する際に、我々は「理事会」や「運営会議」にて内容を精査するが、このプロセスが非常に機能していない。
ある意味、この慣例的な精査によって、事業が「オワコン化」していっている感が見受けられる。精査のせいで鮮度が下がり、劣化している。
これは、精査する会員がどうとか、そういうことではない。そういう犯人捜し的な思考は非常に近視眼的に感じる。
問題は、この精査方法が進化していないという点が問題なのである。もちろん、疑問も持たずに慣例に流される会員も問題があるとは思うが、人は前例に弱いから仕方ない。それに新しいやり方は運用が難しいので、その難しさを嫌うために進化しないのも理由と言える。
ハッキリ言えば、全ての諸悪の根源は「理事会」あるいは、「運営会議」の在り方である。言わば未熟化が起きている。
この時代に合わなくなった、形骸化してしまったシステムによって、いくつか弊害が生まれたことを列挙する。下記ご参照頂きたい。
・企業家ではなく、ある種の政治家思考の蔓延
・フォーマットに依存した、意思決定から脱せない、共依存体質
・後出しジャンケン、ダメ出し大会化
・企画そのものに対する熟考ができてない
この理事会のシステムを可及的に速やかにアップデートしないと、どんなに素晴らしい事業を編み出しても、携わる会員のモチベーションが上げられない現実に向き合い続けることになることが最大のネックと言える。
この「精査」の未熟化によって、生まれた現象は下記をご参照ください。
・ビジョンという言葉を知らない世代が舵を取り始めた
・浅く狭い事業を繰り返す先に、砂漠しかないことに気づかない
・何のための団体なのか、今も昔も誰も分かっていない
・YEGの活用方法を知らないし、考えないことに気づかない
・マネジメントという世界に興味が持てない、知らない
YEGはクセとして、全ての責任を責任者(会長や委員長)になすりつける習慣がある。これは非常にナンセンスである。いい歳した大人がやることではないと思う。
大事なのは、「ビジョンを描くこと」「実行可能な計画に落とし込むこと」「確実に実行し成功させること」の3ステップを積極的に分業するべきだと思うのは私だけだろうか。
コミットメントを、ごく限られた人たちにのみ要求するようなこのシステムは、近いうち必ず崩壊してくる。いや、もうすでに崩壊しているのだ。そこに気づいているのかどうかは分からないが。
そういう意味では、YEGを「再設計」するタイミングであり、これは、全員の課題としてクリアしなければならないと号令をかける必要があるだろう。
そうすることで、会員が、事業を経て学ぶことが、自社の発展や繁栄につながる可能性が極大化すると信じて止まない。
残り5年、在籍するが、私個人がどこまで役立てられるか。常に、考えていたいと思う。
あくまでも、試論としての持論として。
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