2019年から2020年へ、一年の実存を振り返る

久しぶりに書いてみようと思ったら、もう2019年の終わりでした。

さて、2019年は自分にとって、「転換期」と言える一年だったように思います。

これまでは、商売の学びばかりに傾注していましたが、今年は社会学を始め、政治や経済など、いろんな分野の学びも取り入れることで、思考のブレークスルーが出来た一年だったと思います。

その成果として、仕事への向き合い方(お客さんとの向き合い方)と、YEG活動にも大きな変化・影響を与えました。

まず、自分が存在する「社会」とは何なのか。
そこから出発し、自分が商売を営む商圏における地域性や人間関係など、人々の行動と思考というものを理解するには十二分な学びでした。

そして、お客さんと認識する「地域の人々」の実存を、「共同体の空洞化」と「感情の劣化」という概念をベースに、理解するに至ります。

私は、写真業に従事しています。
写真屋として、お客さんに商品を提供することで、お客さんの人生に彩りを与えられると信じて従事してきました。

それも、なるべく、専門店として、独自の価値は何なのかという視点で、常に「自省的な思考」で商売に向き合ってきたので、常に自分の力不足で、思うような成果が出せないのだとネガティブに日々営んできました。

しかし、本当のところは、私はどうこうなど関係なく、社会の動きとして、「写真を用いないコミュニケーション」が構成されているのだという事実に気づき、そして、その流れは私個人の願いや思いではどうにもできない大きな河の流れなのだとも知るに至り、茫然と立ち尽くすような気持ちになりました。

「写真は不滅かもしれないが、写真屋はもう不要となる」という真実を確信したことにより、一瞬は、写真屋を辞めて違う商売を始めようかなと思うこともありましたが、勝手に後継者として受け継いだ手前、なんとか打開策を打ち出せないものかと考える機会となりました。

私の予想では、これから10年後には、写真屋は消滅すると思っています。
その代わり、異業種が「写真屋としての機能を一部として取り込んで」集客に使っていくことも予想しました。例えば、雑貨屋やケータイショップなど。

つまり、「写真<デイバス(スマホなど)であり、「写真<額・アルバム」という価値のバランスがもっと加速し、需要の流れが変わり果てることを予測できました。

しかし、これは歴史を紐解けば、当然の帰結とも言えます。
どんな業種も100年程度で終わります。

それは、商品の価値は変わらないにしても、供給側がドラスティックに変遷を余儀なくされてきたのが真実だからです。

そんな感じで、現在の経済情況、政治政局、生産と消費の実情、人々の実存を垣間見ることが出来るようになったがゆえに、今という現状とこれからの10年に対して「絶望」のみ感じるようになります。

しかし、「絶望から始めよう」という抗う気持ちも同時に生まれました。
悲観して終わるのは、愚昧な頓馬であり、ただの田吾作商人でしかないと感じたことで、このままでは終わるに終われない!という想いが生まれます。

さらに、何故、写真業が衰退したのか?を明確に自覚・理解できたことで、自分なりにこれまで従事してきた13年間の経験を踏まえた「処方箋」も同時に見えてきたからです。

そう、現状の「社会」の流れでは、写真屋は消え失せるのが確定です。

より詳しく言えば、人々の消費生活において、増税による<支出圧力>、そしてスマホなどのデバイスが生み出す<時間減滅>、人付き合いを面倒と回避する<精神委縮>が、自滅的に各個人に「感情の劣化(損得マシン、法の奴隷、言葉の自動機械)」を引き起こし、人間関係が排除され、この連鎖が加速します。

よって、人付き合いのためのコミュニケーション・ツールとして、人々の役に立つ機能を確立していた<写真>が、個人的な嗜みでしか無くなり、個人的なものであるがゆえに、コスト削減の対象にもなりました。

例えれば、お土産は高価なものも平気で買えますが、自分が食べるものは廉価品で十分だと思う、いわゆる普通な話でもあります。

写真業界の根底に潜む、需要が抱える問題は、実は、社会が抱える本質的な問題とリンクしており、これに抗うということは、社会問題を解決するという重度の課題と認識することが正しいのではないでしょうか。

いわゆる、高度経済成長期に行ってきた商売は、「消費を支える」という使命が根底にありました。つまり、小売業よりも流通業が存在を発揮し、販売業よりも製造業が大きな価値を発揮した時代でもあります。

しかし、平成30年間における経済不成長と、増税における支出圧迫により、家計による消費は引き締められ、生活必需品を頂点として、写真のような嗜好品を底辺とした「生活消費」のピラミッドは、年々縮むことになりました。

そうすると、これからの商売における戦いは、「お金を投じる価値がある商品を、如何に賢く選べるか」がマーケットの主戦場となるのは自明を言えるのではないでしょうか。

となると、私のライバルは、他店などではありません。
写真は記念日などで多用されますが、例えば、母の日などを想定すると、定番は「お花(カーネーションなど)」であり、「ケーキ(ホールケーキ)」が思い浮かびます。

そこで、「お花」や「ケーキ」に勝るとも劣らない<価値>を、如何に伝えることが出来、納得させることができるのかという熟考が問われるということになります。(この辺は、すでに業界の優れたお店が市場を創りだしています)

考え方としては、「減っていく市場を如何に埋め合わせるか」という思考は、ダメだと思います。これは、結局、ドツボに嵌ります。

何故、ドツボに嵌るのか。
それは、結局、既存客依存の商売にしか帰結できないからでもあります。

私がイメージするのは「失われた市場を取り戻す」という思考です。
そう、それは写真を「人間関係のためのツール」としての価値を再び高める努力に勤しむという発想です。

さて、こういう営みは、これまでやったことがありません。
というよりは、やろうとも思ったことが無い次元の営みです。

これを考え始めたのが6月くらいでした。
私の考えたどり着いた結論は、誰一人として、考えなかったものでした。

では、どうやって、この考えが「正しさを含めるか」を確かめたい衝動が起きます。そこで、YEG活動にて、実証することを決めました。

丁度、今年度は、県連で委員長、単会では常任理事でした。
自分の企画を売り込み、計画・実施することが幸いにも出来るポジションだったので、これを大いに活用させて頂きました。

社会とは?
人間とは?
共同体とは?
仲間とは?
学術的に獲得した知識を、実存に落とし込んで考察することで、その実用性を確認しました。

結論、私の仮説は、ほぼ間違いないと確信しました。
実践による、効果を、汲み取ることで、自説の正当性を確信しました。
そして、写真は、<社会>を「補完」する可能性も高いのではないかと感じました。

そう、つまり、写真屋が「<社会>の役に立つ可能性」に満ちているのではないか、それくらいの価値を秘めているのではないかと気づくことになりました。

個人が好き勝手に生きることを選択している昨今、人間関係は浅く、薄く、そして独断で選択した結果が、帰結として個人を分断化させ、孤独にさせ、さらに人間関係を軽薄にさせるスパイラルが始まってしまった現状。

平たく言えば、<社会>はますます「クソ化」します。
サルトルの「嘔吐」よろしく、存在が意味を為さないのではないかという不安にまみれるような「感情の劣化」した人々が蔓延し、彷徨います。

その際は、不安を埋め合わせることを目的とした「消費」をします。
そして、劣化を促進させるような消費に勤しみ、徐々に欲が減退し、消費を抑制し、生きることだけを主軸にした「貧しい消費」しか出来なくなります。

しかし、私は、そういう状況が加速していく時代においては、「写真」を通して、人間関係を豊かにさせるような「消費」に貢献したいと強く願います。

「写真」のおかげで、人生が豊かになる。
それはまさに、この営みによって、はじめて成り立つのだと感じて仕方がありません。

その営みを、2020年は、積極的に、前のめりに、実行していこうと思います。

私の情況も良い流れになってきました。
2人のご縁によって、切り開かれたと言ってもよいでしょう。

一人目は、商売のロールモデルであり、憧れの、「サトーカメラ」と業務的な提携をしようじゃないかと誘っていただきました。

個人的に開催してきた「とやま勝人塾」で熱血指導を頂いている佐藤勝人氏との<信頼関係>がご縁となりました。

佐藤さんとの出会いは、2007年に読ませて頂いた書籍『「一点集中」で中小店は必ず勝てる(商業界)』でした。

読み終わった感想は、「カメラ屋辞めよう、こんなすごいカメラ屋がいるんなら自分にはやることはないなあ」でした。

そして迷走した5年間を経て、あるキッカケで、佐藤さん本人に会いに行くことになりました。実際に会うと、書籍の著者紹介の写真とは打って変わって温和な方でした。もしあの写真がニコニコの笑顔だったら、2007年に視察に行ったときに会いに行ったかもしれません。実際は、あの写真にビビって会おうともせずに帰りましたが。

2012年、黒部市で勝人塾を開催し、たくさんの方々と共に学びました。
その後、私的な理由で、しばらく中断し、2015年に、再開し、2016年から再開。そして今に至ります。

とにかく器の広い人で、どんなに私が怠けようが、息もうが、どんな私でも受け入れて下さり、常に的確なアドバイスを下さいました。

佐藤さんの「影響を受けて」、私は「学び方を学ぶ」ことになりました。
その学び方とは、物事を<善/悪>とか、<楽/苦>とか、<効率/非効率>とか二分化したような思考はせず、常に実存として、事実を眼差し、的確に相手における最善とは?を瞬時に考えアドバイスしてくださいます。

「君には、君なりのやりかたがある。とにかく焦らずにやろうじゃないか」と言った包摂的な対話をするのが佐藤さんの特徴です。

佐藤さんには、コンサルタント特有の「せっかちさ」がありません。
それに、考えを押し付けることもありません。
成果を強要することもありません。
分からないことを逃げ口上で交わすということもありません。

それは、佐藤さんが、実際にサトーカメラを経営しているからこそ分かる、経営者の悩みや葛藤に対して、自分事で考え、一緒に考え抜くという姿勢を貫いているからと言えます。

そんな佐藤さんの慧眼には、脱帽せざるを得ません。
このお方の凄さは、バカでは理解できません。
つまり、頓馬や田吾作では、学びきれないということです。

そんな尊敬する、いわば憧れの存在から、頂いたせっかくのチャンスなので、精一杯、精進・邁進したいと思います。

そして、二人目は、首都大学東京にて教鞭を取られ、90年代から論壇として活躍されており、昨今も大活躍されておられる社会学者、宮台真司氏です。

今年は「社会学」を学び始めました。
そのキッカケが宮台さんでした。

宮台さんの存在を知ったことと、学んだこと、実際に出会い、さらにコラボとして講演会を開催したことが、私自身の大きな転換期となりました。

もともとは、今年の2月から、ネット上の言動や文章を拾い読みながら、著書も読みつつ、私淑(直接に教えは受けないが、ひそかにその人を師と考えて尊敬し、模範として学ぶこと)しながら、<社会>の理解に勤しみました。

今年度は、YEGにてなにかしらの講演会をやることが決まっていたので、折角なら、宮台さんにやってもらえたらいいなあと、妄想していたのが3~4月あたりでした。

そして6月から、具体的な計画が始まり、どうしようかなと迷っていましたが、なんのせ、ツテがありません。

「どうせ頼んでも、こんな著名人だったら、忙しいせいで無理か、予算が合わなくて成立しないかもしれないなあ」と怯んでしまい、立ちすくんでいましたが、当時Twitterで宮台さんが活動されていると知り、自分もTwitterを久しぶりにログインし、投稿を拝見し、6月の中旬に、勇気を振り絞ってアプローチしてみました。

「地方でも講演とかして頂けますか?」という問いに、「やってますよ。DMください」となり、DMにて、私が宮台さんに担ってもらいたい役割と、そして講演会がもたらす効果を、より詳細に記述し、この趣旨に理解頂けるようでしたら是非お願いします!と投げかけてみました。

ダメならダメでいい。
でも、アプローチしないでダメなのと、アプローチした上でダメなのでは、意味が異なるので、後悔が嫌で行動に移した訳です。

返ってきた答えは「光栄です、喜んで引き受けます」と快諾頂きました。
これを機に、11月に講演会が開催されました。

具体的な講演内容に関しては、9月から11月までの2か月間、頻繁にLINEなどでやり取りしながら、より具体的に、より効果性の高い内容へとブラッシュアップしていった過程が、私自身大きな学びになりました。

講演前も、講演後も、頻繁にやり取りさせて頂くことが多く、宮台氏から常に最新の情報を共有(GIFT)して頂きながら、内容を熟読し、咀嚼し、自分に置き換えて、自分が感じたこと、自分が発信したいことを返す(Reply)という営みを、今現在も頻繁に続けています。

写真業の近未来の姿が見えるのは、宮台さんの考察を引用したことが大きいと思います。写真というのは、社会に存在できて初めて価値が高まるのであり、個人の中に埋没してしまえば、価値は無くなるのだと気づかせてくれた、大きな学びでした。この辺は、日本広しと言えど、私だけがたどり着いたものかもしれません。

この学びが、これまで私を覆っていた「迷い・混乱・陰鬱・不安」に語彙を与え、明確に浮き出してくれました。
そして、それに負けるのではなく、打ち勝ちたい気持ちも生み出してくれて、良い意味での「眩暈・混沌・絶望」を創発してくれました。

おかげで、これから10年、どうやって戦うかが明確になりました。
これを自分自身の研究・考察・思考のみで辿り着けたことが、今年一番の成長だったのではないかと感じています。

ということで、この2人とのご縁により、2019年はこれまでの自分から新しい自分へと「転換」するという、非常に感慨深い一年となりました。

2020年は、今年一年、懸命に体得してきた知識・知恵をひたすらアウトプットしていくことにします。
商売も、提携も、勉強会も、YEG活動も、ひたすらにアウトップします。

40代、どんな10年間になるのだろうか?
そんな漠然としたものを今年の初めは感じていました。

大晦日を迎え、これからの10年間、しっかりと見えるようになりました。
これは、良し悪しではなく、事実が見えるということです。

見えてしまったものを、絶望と見るか、希望と捉えるのか。
それは、また、私の実存の問題となります。

2020年、私における成長、進化、発展を、より前のめりに突き詰めて行こうと思います。

息子が小学生になるので、親として、男として、大人として、より良き存在を目指してますます精進することも忘れません。

どうか良い一年が訪れますように。

さようなら、2019年。
いろいろとありがとう。

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