「開かれに閉ざされる」地域おこしの限界

移住促進へ声を大に
 黒部市で女性初の地域おこし協力隊員として2020年に着任し、移住定住の促進に3年間取り組んだ。「もっと黒部の魅力を伝えたい」と退任後も定住し、大高建設(同市)に就職。現在は開湯100周年を迎えた宇奈月温泉の温浴施設の管理を務め、観光客や地元の人をもてなしている。

 浜松市出身。黒部に移り住んだ頃、地元の人に魅力を尋ねると「なんもないちゃ」とよく言われた。そんなことはない。おいしい水や米、立山連峰にのどかな田園風景-。移住者の自分にとって全てが非日常であふれていた。「一番印象に残っているのが空の広さ。田んぼが多く、端から端まできれいに見えた虹に感動した」

 一方、移住者と地域との関わり方や距離感は難しく「考え方が古い人が多い」と感じることもあった。自身は地元の人とうまく付き合えたが、同じように県内に移り住んだ知人女性は地元に戻った。移住者の目新しさもあってか、近所の人に生活を干渉され過ぎて耐えられなくなったという。「女性に関する考え方が遅れているのかな。個人として尊重しないといけない」と話す。

 協力隊では移住定住の促進を担当。都会の忙しさから離れたい夫婦や、第二の人生のすみかを探す人などさまざまな境遇の人を案内した。全国の自治体が競うように力を入れる中、「複数ある選択肢から最終的に選んでもらう難しさを感じた」と振り返る。

 二つの軸を持って情報発信に力を入れた。一つは、地域活動を通し、移住者らに愛着やつながりを持ってもらうこと。マルシェを毎月開き、黒部に多い転勤者と地元の人との関わりをつくった。移住者交流会も開き、お雑煮作り体験などで郷土の味を知ってもらった。にぎわいを生み出すとともに、「黒部の良さを外に発信してもらえば関係人口の増加につながる」との思いもあった。

 もう一つは、全く黒部を知らない人たちに魅力を伝えることだ。SNS(交流サイト)を駆使したり、宇奈月を舞台に失恋や友情を描いた短編動画を制作したりして、豊かな食や美しい景色を紹介した。

 隊員としての3年間は「アドレナリンを出しっぱなしで夢中でやった」。ただ、都会で開かれる移住フェアなどに参加すると、黒部は全国の自治体の中で埋没していると感じる。「富山の人はPR下手。どんなに素晴らしい魅力や制度があっても、知ってもらわないと意味がない」

 移住者である自身の目に、富山の住環境は豊かに映る。「地道に発信していくことが大事だし、私のような移住者が『ここは魅力的な場所だよ』って声を大にして伝えないといけない」
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<記者メモ>地道な発信不可欠
 「富山の人はPR下手。魅力を隠したがっているように見えてしまう」。全国の自治体から移住先として選んでもらう難しさを痛感した鈴木さんの言葉には、力がこもっていた。人口が減少する地域にとって移住者の呼び込みは不可欠だ。インターネットが普及した今、行政や個人の発信力は高まっていると思う。地道に地域の魅力を発信していくことが富山をより“住みたい町”にしていくと感じた。(椎名哲平、26歳)
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 -黒部市の移住制度についてどう思いますか。

 「正直黒部市は本当に困っているのかなと思う。制度が整っているとは言いづらい。都会で移住フェアを開催しても、人気地に埋もれている。移住者はまずフラットな目で候補地を探して条件に合うところにいく。黒部市という文字が見えないとどんなにいい場所でも候補にすらならない」

<富山の明日~次世代からの提言>3
黒部市元地域おこし協力隊の鈴木杏奈さん(30) PR下手もったいない
2024年7月21日 北日本新聞 https://webun.jp/articles/-/639667 

「地域おこし協力隊」の根本的な課題は「ソーシャル・キャピタル」という人間関係の本質を知らない人が「興味本位な好奇心」でのみ参画していることです。

例えば、自身の地元で活動していた人などは居ません。
「ここではない、どこかへ」というエニウェア族が大半です。

【参考資料】Anywhere vs Somewhere (David Goodhart)
https://note.com/globalpea/n/ncf5b1724337b

つまり、客観ではなく、主観で「地域」を観光しているだけです。
観光的に観察することと、生活的に観察することには大きな「視座の相違」が存在します。

「なんにもないちゃ」とは、観光資源を指しません。
生活資源として、特に目新しいものは無いということです。

「恩恵」を有難がることはありません。
何故ならば、そこに生きるとは、「恩恵」も「厄難」も引き受けるからです。

協力隊の人は、例えば、地域が水害で居住不能な損害を受けたとたんに「地元に帰る」ことができます。住民は出来ません。

地域は「おこす」のではなく、「守る」ものです。
基本的な原則です。

共同体の「従属規範」でしか生きていない協力隊には、到底理解できないことがあります。
それが、共同体の「存続規範」です。
実は、60代以下の世代は、みんな知りません。

無知ゆえに、協力隊という「やってる感」が目立ちます。
しかし、不可能です。
その人の実力以前の「前提」の問題です。

何もかも「商品化(市場化)」して、問題から逃げる時代。
観光とは、そもそも、地域資源の「切り売り」です。

何のため?
行政のやってる感のためでしかありません。

そもそも「地域」とは「閉ざされ」です。
それを「開かれ」に「閉ざしている」のが、地域おこし協力隊です。

「閉ざされに開かれる」ことが重要になってきている時代に、
「開かれに閉ざされること」しか地域の盛り上げ方が分からない頓馬な私たち。

この課題の本質は単純です。
「任せて文句を垂れず、引き受けて考える」のです。

あらゆるニュースから読み取れてしまう「ちぐはぐ」や「でたらめ」の出発点が、全て「ソーシャル・キャピタルへの無理解」だと気づけるはずです。

共同体の空洞化がどんな影響を及ぼしているのか、既に分かりやすい事実が湧き出ているということです。

何故、地元の人材ではなく、外部から招聘するのか。
そこに「開かれへの閉ざされ」を感じて仕方がないのである。

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