【専門学校〜社会人】思い切って脱サラした時の話
どうも〜
ブラウニーです。
先週の記事は
アクセスが多かったですし、
やはり反応も多くいただきました。
書く前からアクセスが
多くなるのは思っていて、
だからこそアクセス稼ぎのように見えて
嘘っぽいし
ずっと書いてこなかったんですよね。
でも今はもう
情報発信を長くやってきたし、
今書いても別にそうは見えないかな?
と思ったので書かせていただきました。
先週の記事はこちら↓
最初の記事から遡って読みたい物好きな方はこちら↓
さて、今日は思い切って脱サラした時の話をします。
先に言っておきますが、僕が脱サラしたのはせどりを始めたからではありません。
完全なる見切り発車です。笑
まず先週の記事の続きです。
専門学校入学くらいで
組んでいたバンドは
解散になりました。
僕のせどりの師匠が脱退。
そしてボーカルが就職。
というのがきっかけでした。
ですが、専門学校に
入ってしばらくしてから
紹介という形でドラムを募集中のバンドに
加入することになりました。
当時はマクドナルドで
アルバイトしていましたが、
22歳になった頃に
そろそろ僕も就職を、、
ということで先輩の紹介で
事務職で就職をすることになりました。
市から受託して事業をする
公務員みたいな職場で
僕は毎日定時に帰れていて、
土日も出勤なしで月給。
という状態だったので、
めちゃくちゃバンドやるには
都合がよかったです。
定時で仕事終えて、
そのままライブする
っていう日もありました。
このバンドを組んでいるときに
大きなチャンスが訪れました。
具体的なバンド名はあげませんが、
今でもテレビに出ているような
有名なバンドと僕らのバンドが
天秤にかけられるライブが行われたのです。
(結果負けたので現在そのバンドが有名で
僕らのバンドは解散しているのですが。笑)
結構この時の挫折が大きく、
このままではダメだと思い、
僕はこれを機にバンドだけではなく
他のバンドのサポートや
ソロで活動するシンガーソングライターのサポート
ドラムレッスンなどもするようになりました。
実際この時の音楽のお仕事は
サラリーマンをやりながらの副業としては
結構良い副収入にはなっていました。
レッスンは「おしえるまなべる」という
今でいうところのココナラみたいな
サイトで募集していましたが、
多い時で15人くらい生徒がいました。
ソロで活動するシンガーソングライターのサポートが僕の人生で大きな転機をくれました。
それは、メジャーデビューしなくても
音楽で食っている人がいる。
という現実を目の当たりにしたことです。
僕が働いていた会社は、
通勤時に電車の乗り換えが1回
あったのですが、
その乗り換えの駅の間で
毎日夜にストリートライブを
している人がいました。
流石に毎日ストリートやっているので、
僕も気になって立ち止まって聴いてみて、
チラシももらいました。
すると500人規模の会場で
ワンマンライブをするって書かれていたのですが、
え?ストリートライブしてる人が
こんなところでワンマンライブするなんて
無謀じゃない?
って当時思っていたのですが、
なんと。
そのワンマンライブはソールドアウト。
満員で大成功して終えました。
僕はこの時に思いました。
この人のことをもっと知りたい。
そう思い、
「僕にドラムを叩かせてほしい」
と依頼をしました。
それで快諾ももらって
最初は見習いみたいな形でしたが、
いずれワンマンライブで
ドラムも叩かせてもらうくらいにはなりました。
この人と一緒にいて
お話をしているときに大きな違いに気付きました。
それは明らかに僕のバンドと意識が違う。
「プロ意識」というものでした。
プロを目指しているならば
当たり前のことなのかもしれないですが、
目標を決めたらそれを達成するために
努力を惜しまないこと。
本番ギリギリまで確認を怠らないこと。
絶対にチケットを売って集客をしていくセールスしていくこと。
などなど、あげ出したらきりがないくらいに刺激をいただきました。
そしてこのシンガーソングライターの所属する音楽事務所の社長に僕が脱サラするきっかけとなった、「ユダヤ人大富豪の教え」という本をいただきました。
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そして僕は思いました。
「このバンドじゃ絶対にもう無理だ」と。
明らかに意識が低すぎる。
かろうじてボーカルだけは歌が尋常じゃなく上手かったし、僕が今努力していることも一番応援してくれていたので、
本気で一度説得してみることにしました。
そして僕の説得に響いてくれたようで、
ユダヤ人大富豪の教えも読んでくれました。
そこで僕ら2人はバンドを解散させて、
サラリーマンを一緒に辞めて
僕はドラマー兼マネージャーをやり、
2人でストリートミュージシャンとして
活動していく。ということを決めたのです。
ただ、何もノウハウがなかったので、
僕がサポートさせてもらっていた
シンガーソングライターの所属する事務所に
僕たち二人を入れて欲しい。
と直談判をし、入れてもらうことに成功しました。
ここから音楽一本生活のスタートです。
当時この頃が25歳でした。
続きは来週!
お楽しみに。