左サイドバックのゲームメーカー(過去の自分)

左サイドでボールを持ったその選手は、近くに寄ってきた味方選手にパスを出し中央へ侵入する。そして、リターンパスをもらうと右サイドへボールを展開する。
 
相手選手は、そのパスに釣られ守備のポジションを移動する。味方選手は、そんな相手を見ながら穴を見つけて動き直し穴を突くための攻めのポジションをとる。
 
相手選手を翻弄し、味方選手をもコントロールするプレーは、遠藤保仁や中村憲剛等、ゲームを作る選手がするプレーだ。
 
かといって、その選手は時に縦へ突破してクロスを上げるプレーをもこなすといったサイドアタッカーの要素も持ち合わせていた。
 
彼のプレーはチームにリズムを与えて、相手チームが前からプレッシャーをかけるほどボールの奪い所に苦慮する。
 
日本らしいサッカーというものはまだ確立されていない。が、ポゼッションを重視しボールも人も動くパスサッカーを目指していく(現在は縦にスピーディーな展開が増えている)としたら、あらゆるポジションの選手がゲームを作ることができれば、それはプラスに働くはず。
 
今挙げたプレーを具現化していた選手は1999~2005年に日本代表として活躍した三浦淳宏だ。
 
サイドバックは一般的なイメージとして、長友佑都を挙げさせてもらうとサイドライン際を運動量豊富に往復しパスを受ける「使われる側」のプレーヤーが思い浮かぶ。
 
もちろんサイドバックの「使われる側」のプレーは必要最低限の要素だ。しかし、現在のサッカー界ではプレッシャーがより一層速くなってきており、比較的プレッシャーが緩いサイドバックの位置でのゲームメイク力の重要性が日に日に高まっている。
 
このことから、当時の三浦淳宏はより近未来的なプレーヤーだったといえる。
 
ここで彼の経歴を掘り下げていく。
国見高校時代は攻撃的MFとして活躍する。その後、青山学院大学へ進学するも中退し横浜フリューゲルスへ入団。フリューゲルス時代は、左サイドの守備的な位置や左右のウイングという攻撃的な位置でプレーすることもあった。
 
代表歴は、トルシエジャパン時代に左ウイングバックとしてスタメン出場もあったが、リザーブでのスタートから流れを変える切り札として非常に重要な選手となっていく。
 
トルシエジャパンのフォーメーションは3ー5ー2。もしくは3ー6ー1。
 
戦術は、フラットスリーというDF3人がフラットなラインをきれいに揃えながら高く保ち、守備ラインとFW間をコンパクトにして相手選手を守備の網にかけていた。
 
そして、フラットスリーの前に位置する中盤の右サイドウイングバックは伊東輝悦や明神智和、波戸康広や市川大祐等サイドラインを何度も往復できる、最近聞くことが多くなった「スプリント」に優れた「使われる側」の選手が配置され、彼らは守備に重きを置く選手たちだった。
 
逆に左サイドのウイングバックは「使う側」の選手を配置している。試合のスタート時は、名波浩や小野伸二、中村俊輔ら司令塔タイプを起用。状況をみながら、本山雅志(トップ下と併用)や三都主アレサンドロといたドリブルが得意なアタッカータイプを投入する。
 
そういった主に攻撃的な左、守備的な右で左右のバランスを図っていた。
 
その左サイドの選手たちを司令塔タイプとアタッカータイプの2つにカテゴリー分けをすると、三浦淳宏は中間の選手でどちらの側面も持ち合わせていた選手だった。
 
時には近くの味方選手たちとショートパスを繋ぎながらチームのリズムを作り、サイドで1対1になりボールを持っている局面ではドリブルを仕掛けクロスを上げる。
 
ただ、私自身の後悔はトルシエジャパンでの中村俊輔との競演をもっと見たかった。
中村俊輔がトップ下でプレーしたときに2人の相性の良さが感じられたからだ。
 
中村俊輔は、トップ下から自由に動き中央からサイドに流れてスペースでパスを受けることが多い。そのスペースは、三浦淳宏がサイドからパスを繋ぎ動くことで空いたスペースだったりする。お互いがやり易いよう連動してプレーしていた。
 
だが、トップ下には中田英寿が君臨、森島寛晃も控えており、2人は左ウイングバックでポジション争う形のためトルシエジャパンで2人の競演はあまりお目にかかることはできなかった(2人が所属していたマリノスでは見ることができたが代表で見たかった)。
 
しかし、トルシエジャパン後のジーコジャパンで左サイドバックのスタメンを掴む時期もあった。そのときのフォーメーションは4ー4ー2で攻撃的な中盤に中村俊輔がおりコンビネーションが見られる機会が増えるかと思ったが、連動したプレーは見られなかった。
 
理由として、ウイングバックは攻撃時にある程度高い位置にいることでトップ下との距離が近く、横に並ぶ位置にいることも増える。だが、サイドバックではポジションが低く中村とは縦関係なのでポジションを変えるのが難しいことが挙げられる。
 
また、三浦淳宏もピーク時のドリブルで仕掛けクロスを上げるようなプレーは影を潜めており、相手からすると怖さがなかったかもしれない。
やはり縦に仕掛けるからこそ縦を警戒して中で効果的なパスを回すことができる。その逆も然りだ。
 
怪我や年齢の部分からくるパフォーマンスの低下もあったのか日に日に三浦淳宏の代表における存在感は薄くなり代表からその名前は消えていってしまった。
 
しかし、彼には今でも記憶に残り続けるとてつもない武器があった。
 
それは「ブレ球」だ。
 
彼の蹴る直接フリーキックは、無回転でゴールへ向かっていき空気抵抗によりゴールキーパーには読めない不規則な軌道を描きゴールへ吸い込まれる。
 
今でこそ、ブレ球を蹴る選手は多いが三浦淳宏の年代でブレ球を得意として公式戦でゴールを決めていた選手はほぼいない。本当にすごいことだ。
 
左サイドでパスを回しながらリズムを作るゲームメーカー。
 
ドリブルでサイドを突破しクロスを上げるサイドアタッカー。
 
とてつもないブレ球でゴールを決めるフリーキッカー。
 
これらの多様な能力を持ち合わせた左サイドバックは日本サッカーの歴史の中で本当に稀な存在だと思う。
 
左サイドバックのゲームメーカー。
 
私が学生時代に左サイドバックとウイングバックでプレーをしていたことと彼への憧れから勝手ながら、このように呼ばせてもらった。
 
ポジションの概念を崩してくれて、また一つサッカーの楽しさを教えてくれた。
 
ここまでは前に書いた内容だがここからは、「今」思ったことを書かせてもらう。
 
私が勝手に三浦淳宏と相性が良いと思うのが、現名古屋グランパスの風間監督サッカーだ。
 
もうそこは理論的にも色々あるが、1番は私の感覚でとにかく合うと思ってしまう。
 
これも勝手なイメージで風間監督のサッカーは、
 
ポジションに選手でなく、
 
その出ている選手がポジションというイメージがある。
 
微妙なニュアンスだが、あの選手ってポジションどこなんだ?

考えるだけでとても面白い。


 
 …以上が、過去に自分が書いた趣味の文章だ。

 6年ほど前に書いたと思うが、今では偽サイドバックと言われるような、サイドバックが外に張るだけでなく中央に入りゲームを作る能力を必要とするチームも増えており、三浦淳宏を現在の日本代表で左サイドの三苫薫やトップ下の久保建英と見てみたい。

 中盤でのレシーブ力に優れた鎌田大地と特に相性が良さそうだ。

 三浦淳宏が縦パスを送り、鎌田大地がリターン、三浦が久保建英へ展開、右サイトからドリブルで中央へ。

 その久保から左サイドの三苫薫へのパス。縦に突破すると見せかけて逆エラシコで中央へカットイン。

 たまらず相手がファールを犯してしまう。

 やや中央左でのFKを獲得。

 三浦のブレ球FK炸裂!

 最高。

 今日はそんな妄想を膨らませながら、後悔だらけの人生を少しでも忘れたい。


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