とある9月30日晴れ時々曇り
午前中実家へ
お昼近く姉さんと実家の兄帰宅でも又出掛ける
話も出来ず
午後銀行 スーパー
■■(※私の姉) 皮膚科の帰り寄る
でもすぐ帰る
夫午後から1日家にいる
自分のこれからをどうしていくのか考えて
〇〇(※私) 仕事に出す 私は余り
ソラはどう思う?
散歩今の時期1番だよね
考えることばかり
以上が、とある9月30日の母の日記だ。
私の母は高校生のときに父と母を病気で亡くし、母にとって叔父と叔母にあたる家に引き取られた。
その家を母は実家と呼んでいる。
母の叔父と叔母は私にもすごく優しくしてくれて、母が早く出ていくことを望んでいたわけではないと思う。
だが、母はとても気を遣う性格のため、早く結婚して家を出ることを望んでいた。
そして、お見合いで私の父と出会い、本当に恋愛をして好きになって結婚したのか私にはわからないが夫婦となった。
母が父と結婚していなければ私は誕生していなかったわけだが、母は別の人と結婚する世界線のほうがずっと幸せだったと心から思う。
話は日記に戻すが、この日は「私は余り」と、書いていた。
その時期の私は仕事に就いていた時期なのだが、私が仕事に行くと母は家で父と2人になる。
基本的に父はなにもせず、家にいることがほとんどのため息苦しかったと思う。
私が働きにいくことを望んでいる反面、私が仕事や遊びに行くことで1人にされて、夫との息苦しい空間から逃げられないことに対して書いた文章なのかな、と、思ってしまう。
そして、「散歩今の時期1番だよね」と、いう部分に繋がるのは、散歩に行けば夫との息苦しい空間から解放される幸せな時間だったんだ、とも。
この時期もまだ、母の病気が発覚しておらず、ずっと元気でいると思っていた。
正確には、元気でいるや、いなくなるなんていうことはまったく想像もしていなかった。
私も父といる時間はすごく嫌なため、遊びに行くこと、外出することでその時間から逃げていた。
リビングに一緒にいるだけで、空気が重くなる。
私が逃げることで、母は本当に辛かったんだと思う。
私は弱すぎるし、自分の事だけ考えている最低な人間だ。
もっと遊びにいく時間より、母と一緒にいる時間を増やしたかった。一緒に外にいくことで、父といる息苦しい空間を減らしたかった。
今日も後悔ばかりだ。