短編【冬の終わりのスノウ】小説
以前の仕事とはまったく真逆の職場に初めはずいぶん当惑した。
ほとんど座りっぱなしのデスクワークから足腰を使うフィールドワークへ。
汗ひとつかかない冷房が完備された室内から雨、風、太陽に晒されてる屋外へ。
私がこの移動動物園に働きはじめて半年が過ぎた。
この仕事のために、自慢だった長い髪もバッサリと切った。
命を扱う仕事だ。
神経をつかう。
体力も使う。
だけどこの半年、一度も大変だと思った事はない。
あの出来事から、まだ半年しか経っていないのかと驚く。
もう何年も移動動物園の業務をこなしていたのではないかと思ってしまう。
それくらい、すっかり慣れてしまった。
移動動物園の1日はワゴン車に乗せる動物たちを選ぶことから始まる。
運転席と助手席以外の後部座席八席を全て取り払った中古のハイエースワゴンの中に、今日連れていく動物たちが入ったゲージを積み込んでいく。
今日は児童養護施設『聖ニコラオ園』に行く日だ。
ニコラオ園の子供たちが喜びそうな動物たちを選んでいく。
比較的、女の子が多い施設で園の先生から爬虫類が苦手な子が何人かいるという情報を得ていたので、今回は爬虫類は連れては行かない。
コモドオオトカゲは別名コモドドラゴンと称されるくらい恐竜を連想させる大型の爬虫類で男の子に人気だけれど今回は欠番。
可愛らしい動物を選ぶ。
キノボリカンガルーの【ピョン吉】と【バンビーナ】。
イリナキウサギの【ベビベビベービ】と【兎山竜二】と【ビョン吉】。
ピグミーマーモセットの【猿山猿之丞】。
ダスキー・ルトンの【トン吉】。
ミニチュア・ホースの【馬山馬子ちゃん】。
クアッカワラビーの【ホンキートンキー】。
動物達の名前に統一性がないのは三人の先輩職員が持ち回りで名付け親になったから。
ある人は名前の最後に必ず【吉】をつけて、ある人はやたら漢字を使って、もうひとりは自分の好きなギタリストに因んだフレーズを名前にしている。
ちなみにミニチュア・ホースの馬山馬子ちゃんは【馬子ちゃん】までが名前という謎のこだわりがある。
「こんなもんかな。綾部さん、他に連れて行きたい子、いる?」
三人の先輩職員のひとり、畠山きみえさんがハンドタオルで汗をぬぐって言った。
細いけど筋肉で引き締まった二の腕が頼もしい。
「それじゃあ」
と私はシロヘラコウモリのスノウを指差した。
シロヘラコウモリ。
体長五センチにも満たない小さな蝙蝠。
丸っこくて翼をたたむとまるで雪の塊のような白い蝙蝠。
スノウを見ると、あの日のことを思いだす。
あの日、私は会社の屋上にいた。
いつかの間にこうなってしまったのか。
その原因も分からなくなってしまうくらい心が疲れていた。
「君はコピーもまともに取れないのか」
こころない上司が言った、あの一言。
同僚たちが陰でささやいていた、あの言葉。
いくつかの原因に心当たりがあるけれど、それが本当の原因なのか。
自分が勝手に作り上げたエピソードじゃないのか。
それすらも分からなくなっていた。
出社したもののタイムカードも押さずに流れるように屋上まで来ていた。
飛び降り自殺をするだとか、そんな事も考えてはいなかった。
屋上に上がって冬の終わりの淡い青空を、ただ眺めていた。
雪。
雪がひとつ。
ふわりふわりと降りてきた。
それはひどく弱った白いふわふわの蝙蝠だった。
それが、スノウとの出会いだった。
⇩⇩別の視点の物語⇩⇩
私使い
※シロヘラコウモリは輸入禁止動物です^_^