短編【少女の笑顔】小説
人間と犬、豚、鶏がこの荒屋では共存している。かろうじて人間には木製の朽ちた寝台で休める特権と、人間以外の生き物を食う権利が与えられてはいるが、お互いが生きている間はほぼ同等の生活を、ここでは強いられている。
2045年が終わり2046年が始まろうとしていた。
新渡戸峻が難民保護地区に身を潜めて三日が経った。
難民解放軍からの連絡はまだない。早く合流しなければ。巡回機動隊に見つかるのも時間の問題だ。
新渡戸を匿っている中華難民の少女が合成米で作られた粥を持ってきてくれた。
2045年。中国は労働者の七割が大学卒業者で占めホワイトワーカー大国の先陣を切っている。その煽りを食らった多くのブルーワーカー、いわゆる肉体労働者が経済難民となり世界各地へ庇護を求めていた。
多くの労働者が中国から流出しているのだが中国政府はそれを止めるどころか積極的に支援をしている。つまり、この国から出て他所で食っていけ、ということだ。
アメリカはいち早く難民の受け入れを拒否し自国を守った。一方、新日本政府はアメリカの盾となった。人道的支援であるとし経済難民を受け入れたのだ。
要するに日本はアメリカと中国の両方の顔を立てたわけだ。
中国の経済難民受け入れの背景には、もう一つ新日本政府の醜い打算があった。
日本の経済格差は歯止めが効かず一部の高所得者層と多くの低所得者層に分断していた。いつ暴徒化してもおかしくはない低所得者層の視線を上ではなく下に向けさせる必要が新日本政府にはあった。
そこへ中国の経済難民である。新日本政府は人道的支援と言いながら、その実は低所得者層の下にさらに低所得者層を作り上げ、見せかけの中流階級層を作り上げたのだ。
多くの国民は、その露骨で稚拙な悪政を見抜いはいたが実際に自分たちよりも下層を舐める者たちを見て溜飲を下げていた。
「人間てやつは」
新渡戸は呟いて水分の多い粥を啜った。一気に粥を掻きこむ新渡戸を見て少女は笑った。
中国の経済難民には最低限度の生活を保障する。新日本政府はそう公約した。
家畜と同等に生活することが最低限度の生活とでも言うのか。少女の笑顔を見て新渡戸は決意を固めた。何としてでも、この解放運動をー。
この少女の笑顔のためにも。
突然、錆びた鉄扉が開いた。巡回機動隊か!新渡戸は腰元の銃を引き抜く。恐怖に歪む少女の顔。
「待たせたな、峻」
難民解放軍・福隊長の鷲見泉勇人が悪びれず言い放った。
2022年。12月。
新渡戸峻は全身裸のまま人気のない夜の歩道に立っていた。歩道の傍に古いタイプの自動販売機の蛍光灯が白く光っている。自動販売機の横には折り畳まれた段ボールの束が立てかけられている。
新渡戸が知っている世界の自動販売機は全て映像ディスプレイでる。実際にダミー缶が入っている自動販売機を見たのは初めてだった。
しかし新渡戸には、その事に感心を寄せる余裕はなかった。強烈な頭痛と吐き気が新渡戸を襲う。同時に十二月の強烈な冷気が全裸の新渡戸の体温を奪ってゆく。何とかしなければ。
新渡戸は自動販売機の横に立てかけられ段ボールの中で一番大きな物を広げ箱を作り中に入った。これで多少は寒さを防げる。
しかし、命に危険があるのは変わりない。新渡戸は段ボール箱の中で手足を折り曲げ縮こまりながら記憶の細糸を辿った。
あの時、いったい何が起こったのだ。混乱する記憶を少しずつ整理する。なぜ、こうなってしまったのかーーー。
新渡戸が難民解放軍・福リーダー、鷲見泉勇人に案内されたのは難民解放地区に密かに造られた地下のラボだった。
「つまり、この時空間転送装置を使えば陸上自衛軍に直線侵入できるわけですね」
一通りラボの技術者から説明を聞いた新渡戸は目の前のカプセル状の簡素な装置を見て言った。
「やってくれるか、峻」
「勿論です。そのためにここに来たのだから」
時空間転送装置は生体細胞のみを電子分解し粒子座標で結合された空間に電子細胞を集結させ元の生体細胞への再生を可能にする、という装置である。
その性質上、生体細胞以外の物質を転送することは出来ない。つまり、素粒子移動をするためには全裸になる必要があるのだ。
「結合座標は陸上自衛軍の武装庫だ。そこで装具を確保してくれ。入手した基地内部のデータがガセだったら、お前は素っ裸のまま敵陣に突っ込むことになるがな」
「勘弁して下さい」
鷲見泉のジョークに地下ラボの緊迫した空気が一瞬ゆるむ。
新渡戸は全裸になり時空間転送装置の中に入り横たわる。内部はクッションを施す余裕まではなかったのか冷たく固い鉄板が新渡戸を包み込む。
「健闘を祈る」
鷲見泉が時空間転送装置のハッチを閉めようとした、その時。
爆発音と銃声、怒号と共に人工知能で制御された巡回機動隊が雪崩れ込んできた。
新渡戸はハッチが閉まる瞬間、希望を託した鷲見泉隼人の瞳を見た。
そして同時に、その頭部が銃撃で吹き飛ぶ瞬間も。
新渡戸が覚えているのはここまでだった。
侵入してきた巡回機動隊は、わずか六分で地下ラボ内にいる難民解放軍を制圧した。時空間転送装置も半壊の憂き目にあい無惨な姿になっていた。
しかし時空間転送装置の内部には人体の痕跡は無かった——。
2022年。12月。
自動販売機の蛍光灯が冷たく光っている。
「あの、だ、大丈夫ですか?か、風邪ひきますよぉ」
自動販売機にコーラとホットココアを買いにきた晴臣は不自然に放置してある段ボールを除きこんで、恐る恐る声をかけた。
段ボールの中には手足を折り曲げて横たわる全裸の男がいた。
⇩⇩別の視点の物語⇩⇩