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短編【ヤスールの魔女】小説
計画を立ててから決行の日まで充分に時間はあった。充分過ぎる時間が、ぎりぎりまで行動を鈍らせてしまうのだろうか。この日のためにリサイクルショップで購入したカーキ色のナップザックに三日分の衣服を詰め込んだ。
初めての海外旅行。初めての旅行の準備。何をどれくらい持っていけばいいのか見当もつかない。
私は明日、バツアヌ共和国へ行く。正確に言えばバツアヌ共和国のタンナ島へ行く。もっと正確に言うならバツアヌ共和国のタンナ島のヤスール火山に行く。
ヤスール火山の噴火を観にいく。
そう思い立ったきっかけは高校生のときだった。クラスメイトの爽香が夏休みに家族旅行でヤスール火山の噴火を目の前で見て人生が変わったと騒いでいた。何人かに半ば無理やりヤスール火山の噴火の写真を見せていた。私も見た。爽香の笑顔とその背後からタイミング良く飛び出した赤黒い竜の様な噴火の写真を。
その夏休み明けの学期から彼女は確かに変わった。爽香は学校の成績は私と大差なかった。活動もとくにせず、ジャニーズの話ばかりする、ちょっと可愛いだけの普通の女子高生だったのに成績もトップ10とは言わないものの、ぐんぐん上がった。ボランティア系の部活動まで始めた。もともと可愛かった爽香は活動的になり、笑顔も増え人気もあがった。
単純な女だなあ。と当時の私は冷ややかに思っていた。本当は私も変わりたかったのに臆病をクールという言葉で誤魔化していた。
爽香のインスタグラムを見たのは、社会人一年目の冬だった。フォロワー数三万の、そのインスタグラムには『高校時代の思い出』というハッシュタグと共に、あのヤスール火山の写真が載って
いた。
爽香は変わり続けていた。動物愛護活動をしている写真があった。高級レストランでクリスマスを楽しんでいる動画があった。笑顔でビーチクリーン活動をしている動画があった。誕生日を沢山の人に祝ってもらっている写真があった。
私はインスタグラムを消して泣いていた。この悔しさはどこから込みあげてくるのか分からなかった。私は泣きながらヤスール火山行きの旅行プランを検索して勢いあまって、そのまま予約を入れた。
予約を、入れてしまった。
ビールを飲みながらインスタグラムを見ていたせいかもしれない。誇るべき物が何もない自分の人生のせいかも知れない。とにかく私はヤスール火山へ行くことになった。
東京から、ニューカレドニア、フィジー、ニュージーランドなどを経由し十時間以上かけて、私はバツアヌ共和国にたどり着いた。
こそからさらに土埃と年季が染み付いた四輪駆動車で岩山を登って行く。火口に近づくにつれ地面が揺らぐほどの爆発音が聞こえてくる。
そしてついに、私はヤスール火山の立入許可地点に降り立った。ヤスール火山の思ったより大きな火口から思ったより小さなマグマが噴き出ていた。
こんなものか。私は少し落胆した。爽香が見せてくれた写真の噴火は竜の様に雄々しかったのに。
一時間半の滞在時間が終わろうとしていた。その間、いくつか噴火はあったが、そのどれも私の背丈を越えるものは無かった。
やがて、滞在時間終了の合図が案内人から告げられ観光客が、ぞろぞろと引き上げていった。私は最後の最後まで祈っていた。お願い!ヤスールの竜よ!私の前に姿を見せて!あなたを見なければ、私は変われない!
その時、私は一人の女性を見た。黒色を基調とした衣装に身を包んだ女性だった。彼女は火口を悲しげな瞳で見つめていた。手には丸い陶器で出来た壺のような物を持っていた。魔女だ。何故か私はそう思った。
魔女は、手に持っていた陶器の壺のような物を火口に投げ入れた。壺のような物はマグマに届かず岩肌の傾斜に落ちた。だけど、破れることはなく、ころころと転がり灼熱のマグマの中に消えて行った、その瞬間。
竜が。ヤスールの火竜が。怒号と熱波と地揺れと共に天に向かって突き上がった。
⇩⇩別の視点の物語⇩⇩