歌舞伎、傾き
私が歌舞伎を大好きになった原体験は、四国での観劇でした。
一年前、まだ桜の花びらが樹にしがみついて落ちまいとがんばっているころ、その横を落ちた桜みたいな顔で横切っていたのが深夜バスに覇気を吸い取られた私でした。
とりあえずうどん食って元気になったので芝居小屋のある小高い丘を登るんですが、行くだけで心折れそうな急勾配なんです。琴平なんていう優しそうな名前して全然優しくない。歌舞伎の語源がいくら傾き者だからって、物理的に傾けなくたっていいじゃないですか。
午前と午後にスケジュールが分かれているんですが、私が取っていたのは午前の部でした。引換所のおじさんにチケットをもらっていると、午後の部の当日券を購入しているお客さんの姿が見えました。どうせバス夜中だし、飯を抜けば見られる金額だなあとか考えながらふと手元を見ると、そうですよね、ありますよねえ、通しのチケット。
今回の公演は中村芝翫さんとそのご子息、併せてお三方の襲名披露興行でした。実はこの歌舞伎が人生初で、おまけに疲れて冊子さえろくに目も通していなかったので、失礼極まりない観客だったと思います。
舞台が始まるとパタパタと木製の窓が閉まり、ツケと呼ばれる木同士を打ち鳴らす音が聞こえてきます。現代の劇場とは違い、木造の建物と共鳴して小屋全体が震えるような心地いい響きです。ひのき舞台に立つ役者は全て男なんですが、女性のお役はまるで爪の先からも色気が漂うような所作です。
あああ抱かれてえええって気持ちにさせられます。必ずなります。
そして多分歌舞伎の所作で一番認知度が高いであろう、見得を切る所作。代々江戸の荒くれ物が得意としていたのもうなずける迫力です。パンピーの三倍は大きく開いた目の周りを、炎が燃えたぎるがごとく覆いつくす朱色の隈取、着物から見え隠れする筋肉質な脚、筋張ったうなじと抗うように前に突き出した手のひら、どれをとっても一級品の彫刻がツケとともに形を変え、ただその余韻だけを残して去っていく姿は圧巻でした。
いつの間にか舞台は大詰め。檜に立つのは三人の獅子です。自分の身長をゆうに上回る紅白の毛をそれぞれ身に纏い、観客の拍手とともに毛を振る速度は上がってゆきます。小屋満開に紙吹雪が舞う中で、ツケと拍手と吹雪と人に彩られて、獅子はずっと遠くを見つめていました。
身の毛がよだつとか総毛立つとか、こういうことなんですよね。
ただ動けなくて、言葉が出なくて、終わってほしくなかった。
こんな文化があることを感じずに死ななくて、本当に良かった。
だから何が言いたいんだって?
読んでくれただけでもう何でもいいです。
ありがとうございました。
またどこかで。
日々是口実
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