神奈川県小田原市のマンホール
小田原城は、史上最大規模の山城で、上杉謙信や武田信玄もこの城を落とせなかった。
城攻めの名人である秀吉は、持久戦で臨んだ。
先ず、支城を一つずつ攻めつぶし、本城を孤立化させる。
そして本城を包囲して補給路を遮断した。
石垣山に城を築くと、そこを本営として小田原城を見下ろし、籠城軍が飢えるのを待った。
小田原攻め終盤のある日、秀吉は、家康を誘い、石垣山を散策した。
秀吉は、崖ぶちに立つとおもむろに、そこで小便をはじめた。
後をふりかえり、
「卿も、かように。」
と言う。
しかたなく家康は、秀吉の横に並ぶと前をまくり上げた。
眼下には、小田原城がある。
「この戦がおわったら、関東をすべてあたえよう」
と、秀吉は言うのである。
続けて、首城をどこに置くか、と問うので、家康は平凡に、小田原はいかがでしょうか、と答えた。
「いや、江戸に」
当時まだ寒村でしかなかった江戸という地名を、秀吉は提案した。
後に江戸が、世界でも一、二を争うほどの人口を抱える都市になろうとは、このときの二人は夢にもおもっていなかった。
神奈川県小田原市のマンホールには、旧東海道の「酒匂川の渡し」がデザインされ、背景に富士山、箱根山、小田原城が控えている。