フィクションとはどこに生まれる
現実は小説より奇なり、エンドウコウイチです
バッティングセンターでアルバイト後、のんびりとnote書いてます
人生は本当に色々あるけど、そこまで達成出来てない感じがする
やるしかない状況に追い込まないと自分はやらない、夏休みの宿題がそうだった
書きたいという欲求はどこからくるのだろう?
普段言いたい事を言えていないからだろうと、私は自分自身で推測する
自分で書いておいてこんな事を書くとなんだが書いてある事が事実ではないがもちろん嘘を書いているつもりも全然ない、自己顕示欲なのだろうか?凄いとか言われたら、確かに嬉しいが、すぐさまにすごくない、達成出来てない、気持ちに気付き、ありがとう、更に頑張ろうとなったりしてるのかとも思ったが、最近特に凄いとも言われてないし、ーどちらかというと目立たないように日中のメインの活動ではそうしている
この世を戦争に例えるなら、生身の兵士では殺される、大乱闘スマッシュブラザーズなら、近距離戦で倒される、34年生きてそのくらいはわかった、島田紳助は男気を見せたら終わると松本人志とのラジオで話していた、失ってはいけないものも失わないと手に入らない物もある、なので文章を磨くしかない、覚悟して捨てたら、何かが入ってくるのは人生で検証済みだ、私は定期的に家族以外の人しか関わらなくする時が、定期的にある、今がその時だ、私は昔夜中に年齢を誤魔化して、朝まで1人でカラオケに行っていた、がむしゃらに、バンドが出来るとかなにかになれると保証されたわけでもないのに、しかしそれでいい、孤独は感じた方が私はいい、孤独出身なのだから、里に帰らないと、それはそれで体調を崩す、なんとも自分事ながらまぁ残念な生き物だが
なんだかんだで楽しんでいる
しかしまだ、この猛暑でもくたばるワケにはいかない、くたばってみてもいいと思うが
まぁ残念、まだ寿命も元気もある、私は暇人な部類なわけで、この命をどう使うかをよく考える、命と時間の使い方をわりと考え実行してる、そのおかげなのか、疲れたり心は擦り減るが、楽しいは楽しい、最近人と関わるのに疲れ果てていて、妻とバイト先の社長にしか本音を言えていないがそんな人が2人いるのだから、ありがたい、心開くのも開いてもらう事も大変だ、開かせて、自分は開かないみたいな人もいる、個人的にはその傾向は強いと感じる、一瞬通じ合う瞬間とかも正直あるけど、本当に一瞬で気の合う人と言うのは基本的に波長が合い続ける、今日もどうしようもないくらい、書いてしまってるが、私は選ばれたらなんか身を任せる的な受け身な選択が多かった
次にノートに振り返りをしてみようじゃないか、そして小説のキャラクターを思い作ろう
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