ヤンウェンリーに対する考察

ヤンウェンリーという方をご存知でしょうか

自由惑星同盟に所属し、その後はイゼルローン協和政府の
元帥となった、不敗の魔術師

士官学校時代
16歳の時、無料で歴史を学べるという理由から、本来は他学科に入学できなかった者が入る学科である、同盟軍士官学校戦史研究科に入学。しかし、在学中に戦史研究科が廃止されることとなり、学科の存続に向けて運動した[3]ものの結局戦史研究科は廃止される。フェアではないと直談判もしたが、退学すれば学費を返還せねばならないこともあり、ヤンは戦略研究科に転科せざるを得なかった。

エリートコースである戦略研究科に転科させられたのは、最優等生であるマルコム・ワイドボーンとの戦闘シミュレーションにおいて勝利したことが影響している。このころから既に当時の士官学校校長であったシドニー・シトレはヤンの素質に対して一定の評価をしていた。

統合作戦本部に任官
787年に士官学校を卒業し、少尉として統合作戦本部記録統計室に任官する。志望動機が上述の通りであり、10年勤め上げたら退役して退役軍人年金を貰うことしか考えておらず、勤務態度は勤勉とは言えず「ごくつぶしのヤン」「無駄飯食いのヤン」などと呼ばれ評価は芳しいものではなかった。しかし、宇宙暦788年(21歳/中尉)、惑星エル・ファシルから300万人の民間人を救出したことから評価が急転、少佐に昇進し、更に「エル・ファシルの英雄」と賞賛されて世の注目を浴びることとなった。なお、この時、救出した民間人の中に当時14歳で、後に自身の副官・妻になるフレデリカ・グリーンヒルがいる。

その後も退役し歴史研究家になるという本人の意志とは裏腹に最前線において武勲を重ね軍人として栄達を重ねる。ブルース・アッシュビー提督の謀殺疑惑についての調査、参事官として赴任した惑星エコニアの騒乱を経て、宇宙暦789年3月1日付で士官学校時代の教官であるシトレ中将が指揮を執る第8艦隊に作戦参謀として配属される。宇宙暦792年5月にはシトレ大将、士官学校卒業後に砲術士官として同艦隊に配属されたアッテンボローと共に第5次イゼルローン攻防戦に参戦している。同年7月頃に中佐に昇進[4]。その後しばらくの軍歴は不明だが、ユリアン・ミンツを引き取った際には大佐に昇進していた。宇宙暦794年3月時点では宇宙艦隊総参謀長ドワイト・グリーンヒル大将の元で作戦参謀を務めており、ヴァンフリート星域の会戦、第6次イゼルローン攻防戦に参戦し、いくつかの作戦案を立案している。

作戦参謀として昇進
勤務態度は悪く「むだ飯食いのヤン」、「非常勤参謀」などと呼ばれていたが、第6次イゼルローン攻防戦では同盟軍を悩ませていたラインハルトの艦隊を撃退[5]し、また撤退作戦案を立案するなど知略の冴えを見せて准将に昇進した。その後、パエッタ中将の第2艦隊に次席幕僚として配属され宇宙暦795年には惑星レグニッツァ上空の戦い、第4次ティアマト会戦に参戦した。

宇宙暦796年、アスターテの会戦で負傷した艦隊司令官パエッタの後を受けて第2艦隊を指揮、初めてラインハルトと砲火を交え、その奇策で艦隊を全滅の危機から救った。なお、劇場アニメ版「わが征くは星の大海」では、795年の第4次ティアマト会戦において両者は対峙している。大海でのヤンはアッテンボローと艦長の3名だけで戦艦ユリシーズに搭乗して単艦敵陣に潜入、同盟軍にとどめを刺そうとしたラインハルトの旗艦ブリュンヒルトの艦底に密着、ラインハルトを艦ごと人質に取る荒芸で味方が殲滅されるのを防いだ。OVA版では、この一件でラインハルトとヤンは互いの名を知り、その存在を互いに意識した。

司令官としての功績
アスターテ会戦より帰還後、政府及び軍部の思惑で少将に昇進、アスターテの残存兵力に新兵を加えて新たに編成された第13艦隊の初代司令官に任ぜられる。その規模は6400隻・将兵70万人で通常の1個艦隊のほぼ半分であり、半個艦隊と称された。また、この時にフレデリカ・グリーンヒルを副官に得た。

同年5月14日、第十三艦隊の最初の任務で、難攻不落といわれたイゼルローン要塞を術策によって陥落させ、中将に昇進。第13艦隊も第2艦隊の残存兵力が加わり1個艦隊として再編成される。この功績から、「魔術師ヤン」「奇跡のヤン」と評されるようになった。

同年行われた「同盟軍の帝国領侵攻」で第5艦隊と共に帰還を果たして大将に昇進、「イゼルローン要塞司令官・兼・イゼルローン駐留艦隊司令官・同盟軍最高幕僚会議議員」という身分を得てイゼルローン要塞に赴任する。

宇宙暦797年の救国軍事会議のクーデターでは各地の反乱を鎮めながらハイネセンへと進攻し、同年5月18日のドーリア星域会戦でルグランジュ率いる第11艦隊を撃破、8月にはハイネセンの「アルテミスの首飾り」を破壊して軍事会議メンバーの戦意を挫きクーデターを鎮圧する。

宇宙暦798年のガイエスブルク要塞侵攻による第8次イゼルローン攻防戦では直前にフェザーンの讒言を容れた同盟政府及び軍上層部の一部によって反乱の嫌疑を抱かれ、ハイネセンに召還され非公式の査問会にかけられる。この対応に嫌気が差して本気で軍を辞めるべく辞表を認めるが、最も効果的に提出する機会を狙うという悪癖により好機を逸してしまい、ガイエスブルク要塞来襲の報をうけた同盟政府の発した防衛命令を受けてイゼルローンに戻る。戦場では特攻を仕掛けるガイエスブルク要塞を破壊し、司令官のカール・グスタフ・ケンプを戦死させる。

元帥昇進~停戦受諾
宇宙暦799年、「ラグナロック作戦」の過程でイゼルローン要塞を放棄しハイネセンに帰還した時点で同盟軍史上最年少の元帥に昇進、同時に戦略・戦術面の自由な裁量を国防委員長のアイランズから保証され、艦隊を再編成して出動、様々な術策を駆使してカール・ロベルト・シュタインメッツ、ヘルムート・レンネンカンプ、アウグスト・ザムエル・ワーレンといった帝国艦隊を相手に次々に勝利し、バーミリオン星域会戦でもラインハルト・フォン・ローエングラムとナイトハルト・ミュラーを相手に圧倒的に優勢に戦いを進めた。

しかし、ラインハルトの旗艦ブリュンヒルトを射程に収めたところでヒルダの提言を受けたミッタマイヤー・ロイエンタールの両提督率いる帝国軍艦隊に脅迫された同盟政府の発した戦闘停止命令並びに無条件降伏の通達を受け、シェーンコップら一部幕僚の攻撃続行の意見具申をも却下して戦闘を停止した。戦闘を継続していればラインハルトを討ち取れる可能性もあったが、ヤンは戦闘停止の命令を受け入れることが民主主義の精神にかなっていると信じて、戦闘停止の命令を受け入れたのである。

停戦後~テロ襲撃により死亡
停戦後に行われたラインハルトとの会談で「帝国元帥の座」を用意して引き抜こうとした新皇帝ラインハルトの誘いを謝絶し、5月25日にバーラトの和約が締結されると退役、一市民として生きる道を選ぶ。6月には副官であったフレデリカ・グリーンヒルと結婚した。

7月、オーベルシュタインとレンネンカンプの策謀により扇動された同盟政府に暗殺されかけるが、ヤン艦隊の仲間に救出され、逆にジョアン・レベロとレンネンカンプを拉致して同盟政府と交渉し、25日にハイネセンを脱出、一時的に身を隠す。同年12月、エル・ファシル独立政府に身を寄せ、革命軍を組織してイゼルローン要塞を奪還。

宇宙暦800年の「回廊の戦い」でアーダルベルト・フォン・ファーレンハイト、カール・ロベルト・シュタインメッツを戦死させる等、着実な戦果を挙げて皇帝ラインハルトより会見の為の一時講和を引き出す。その会談に向かう途上、地球教徒のテロリストに襲撃され、6月1日午前2時55分、ビーム銃による銃撃で左大腿部の動脈を損傷し出血多量を起こし死亡。33歳没。











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