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2024/08/27 グレーな国のグレーな私という実在

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今日は、少し重たくて面倒な話をします。お付き合いください。
軽くて明るい話なんておためごかしの議論ですから、ご注意を。
約5,200字・長文注意。

はじめに:いじめの加害者・傍観者・被害者

 いじめというのは、自他が同じでないことを受け容れるキャパシティを超えたところから始まる、と言えるだろう。地方、しかも都会・都市部の辺縁でも同じ事は起こりうる。しかも、子供達本人たちだけでなく、その親の身分を子供達自身に投射している場合がある。

 はじめはごくありふれたからかいや小突き合いかもしれない。それがバタフライエフェクトではないが、たちまち地域に広がって被害者がいたたまれなくなる。ここで加害者・傍観者・被害者に分かれていくのである。

 地域の子供達によるもの、と書いたがそこに局限されるものではなく、巨視的には国内の知事のゴシップから国際的なセレブのゴシップに至るまで広がりはある。ただ、知事のように関係のない身内までマスコミ報道の集中砲火にさらされて身動きとれなくなる場合もあれば、セレブみたいにもみ消す手段も兼ねもツテもなく自滅せざるを得ない場合もある。これを社会的弱者と呼ぶ。

その結果

 その結果、引きこもりのまま何ら助けを求められず自らの手で生涯を終える被害者もマンガ等のクリエイターにもいた。パートナーの悲しみは癒えることはないという。

 世に遺す作品のあるクリエイターならまだしも、良くて自死までの手記、最悪で警察によるおざなりな調書を遺して無念の死を遂げる人々もいる。

 仮に私のように生き延びて辛うじて日々、こうした手記を残せる者でも、リアルが充実(リア充)しているわけではなく、遠くそこからかけ離れて精神を病み一人きりの気楽でない恨みだらけの生活を送る者も少なくない。

 私の言いたいここでのリア充とは、ごく当たり前の人権、人間らしい生活、人生が保障された人生を送る人々のことであり、ごく当然に妻子ないし夫と子どもがいて、文化的で健康な生活が保障されている状態を指す。

 もうすぐ五十代後半だというのに一人っきりで交際経験(human experience)もなく、殊更オタク趣味に走って人間社会に目を逸らしている訳でもない私が、なぜしあわせではないか?それは、一通の、返信先なしの幼なじみからのリア充報告であった。彼女は言ってみれば、加害者・傍観者・被害者のうちで傍観者にあたる。私から見れば加害者も同然である。抵抗するすべもなく精神に病を得てここに至っている。

 日本国憲法はプログラム規定である。はっきり言えば絵に描いた餅なのだ。基本的人権もそのひとつである。これから餅をつくのが私たち生きている国民の責務であるが、杵も臼も奪い去り打ち壊したのが現代日本社会という逆説が存在する。それが、次に述べる「いじめと殺人」である。

いじめと殺人

 実を言うと、私も周りに公言するぐらい自殺未遂をしているのである。その都度どれほど追い詰められていったことだろうか。先生なんか今どきのように味方になってくれなかった。

 栃木のマット殺人事件から旭川の凍死殺人事件まで、先生から警察まで芯から腐りきっていたことが今頃わかりはじめる始末である。犠牲者が浮かばれる以前の問題である。

 殺人、殺人罪といったとおり、適正に法は運用されていたのだろうか。検察、裁判所ももしかしたら土地の有力者に何かをつかまされていたのではないか、そういう思いもよぎった。

 そして昨今の週刊誌報道で警察の内部に通じている元容疑者の性的関係まで取り沙汰される始末で、それ見たことかというところである。警察、つまり行政に喙を突っ込んでいたのは、土地の有力政治家ではないかという疑いも後述の通り、自然に出てくる。森友学園事件で官僚つまり行政関係者が犠牲になり、その頃のトップが橿原神宮駅前で暗殺された。この国は有力者に対して限りなくあらゆる、噴出寸前の恨みが渦巻いていると見るべきである。

命の殺人と魂の殺人

 さて、私の体験に話を戻したい。高校に入っても私の離人感は消えることはなかった。それまでの激しいいじめによるものなのは明らかであった。周囲が現役合格を決め、ひとつしか上でない学年の人達がひどく大人に見えた。私は自分の居場所が今まで間違っていたし逃れようがなかったことに遅まきながら気づいた。それで浪人して大学に入ったのだが、父にはその内心の葛藤は伝わらず、激しい言い合いになり、葛藤が通じたのは私が大卒の後就職してから統合失調症を発症して障害がひどくなってからだった。その頃には父の持病が悪化して意思疎通もままらななかったことを思い出す。

 大学に入っても友達と打ち解けられず、カタレプシーに悩まされ、ずっと生きた心地がしない。会う異性会う異性とも、友達以上になれず愛想を尽かされ振られた。

 就職氷河期に就職したが田舎の役所で苦しめられているにもかかわらず逃れようがなかった。私の魂は殺されていたのだった。

取り返しがつかない人生

 かくして私は場末の都外にある役所に就職した。家も買った。だが順序が狂っていた。生涯の伴侶を見つけて子宝に恵まれてから、というのが順序だった。職場のパワハラによって、私は孤立し、次第に幻覚・妄想が出るようになっていた。

 最初の精神科入退院の頃に、例の幼なじみは密かに結婚していたのである。それはあの手紙を受け取ってから逆算したから、18年前になる。適齢期まっただ中を統合失調症発症で台無しにされた格好だったのである。

 東日本大震災の前後、私に対する職場周りの風当たりは強くなった。ひとつ、私を酒席でベタほめした空気を読んでか読まないでなのか分からない上司の行動があった。これがどうやら、亡父の言に拠れば周囲の白眼視を買った原因であり、とんだとばっちりだったのである。そして追い討ちをかけたのが震災対応で具体的には書けないが、それから更に私を翌年度、次章に述べる窮状に異動で追いやったのである。

自己責任で片付くなら法律は要らない

 これも詳しく書けないが、文科系から税務と現場という慣れないところへ私を追いやり、決裁もろくに通さず上司との折り合いが悪いというだけの具体的内容のない内部処分で、昇格もフイにし、定期昇給制度からも外され、人事から不当な圧迫面接を受け続けた。

 周囲も私を支援するかのような人達もいたが、やたらと私に不利な材料を吹聴し、自分達でも君の窮状をどうにもできない、声の大きい大物がいるからだ、と繰り返すばかりだった。

 あるときはお昼休みに私を呼び出し彼らは、私に窮状が更に増していることを告げに来た。他の職員の目をかいくぐるかのような手の入りようだった。

 同業者の父が病死した。信玄の、我が亡き後は三年喪に服せではないが、父の目の黒い間は波風が激しくなかった周囲も、裏で周到に手を組んでいた。社会に役に立てないような形で役所の外へ追い出そうと画策していたのである。私ひとりを差し置いて周囲全員をごぼう抜きで昇進させたのである。そのメンバーの一人は、異動の送別会で、気遣いではなくこのまま私に飲ませ続けると際限ないからとビールを取り上げた。やけ酒ぐらい分かっていただろうに、その周囲で自分達の成果を得々と話し始めたのである。これがまともな人間のすることだろうか?

 最後の異動先では、休職に追い込まれ、1ヶ月ごとの産業医面接が苦痛だった。あるときは私のお薬手帳を見せろ、話させるより速い、とか、最後の面接ではあとの人の役に立つ体験談をして欲しいと言っていた。半年前に辞意を示していたのが伝わっていただろうにである。人事も人事で、しまいには私に診断書のコピーを私自身にとらせるように仕向けたのである。これが病欠者へのまともな仕打ちだろうか。

 私は極悪人であるかのような罪悪感を持ったまま、退職セレモニーにも出られず、一人、裏口から出て、その街の駅を後にした。その改札を私は今以て通っていない。

 辞めたあとで知ったことだが、私のもう一人の小学以来の幼なじみは、都内の役所で係長相当の職に就き、業界誌のホームページにもイニシャル入りで寄稿していた。彼女を見習って都内の役所に居残ろうとした私の公務員生活は、こういう結末を迎えたのである。

自力救済が許されないから法律はある

 明治期の仇討ち禁止令にはじまるのが私刑、自力救済の禁止であった。小説の世界ではいまだに復讐ものはあるが最近は如何に合法的にスマートに始末するかというところに、残虐さから力点が移っているように見える。

 自力救済が公式に認められているのは半沢直樹とかあくまでもフィクションの世界だが、検事ものでは目の前でかつての夫の敵を刺し殺してしまう登場人物まで残っている。古くは仮名手本忠臣蔵から現代に至るまで、理不尽の種は尽きない。

 刑事事件で刑罰が足りなければ民事訴訟で一生搾り取って、自己破産しても償わせてやるという向きもある。経済的制裁である。私刑のようであるが、一応法律を経ているのである。

法律の形骸化した現代

 実は法律ひとつをめぐっても、様々な説がある。そのなかには、「法律は道徳の最低限度である」というものもある。道義的なものを守れないから最後に法律という伝家の宝刀を抜くというような形である。

 法律だけでなく、その運用を定める施行令、例規についても入ってくるが、ここでの話では法律による救済と処罰である。そこまで至らない場合は話し合って決めなさいよ、というのが筋であるが、それでも無理なら法規の出番と相成る。

 それでも玉虫色の決着となる場合がある。その方が却って丸く収まるからという結論もあれば、仲間内を守るために結束して邪魔者を合法的に追い出して玉虫色の決着にするやり方すら存在する。

グレーな国とは

 法律、規則の運用というのは線引きの遊びなどではない。社会的な道義や道徳と呼ばれる、いわば良心に属する部分の運用によって社会の円滑な運用が試みられるべきだった。戦災や震災のあと、アノマリーな状況においてすら、人道支援が試みられてそれが否定され尽くされることはなかった。

 その限りにおいて、法律はその力を発動させる以前であり、人々の良心に任されているのである。況んや、同僚に罪をなすりつけて法令違反とレッテルを貼り追放して挙げ句に自分達が出世街道を上がり詰めるなど言語道断の所業で、法律以前の良心を欠いた状態である。殊にこれは政治が行政や立法に容喙したときに起きる。官僚や知事ブレーンの自殺や不審死はこのグレーな状況において起きる。

 無論、子供達の手本は大人達である。戦争ごっこをはじめる子供達は、自発的にそれをしているとは思えない。ここまで述べたグレーゾーンな社会のあり方は、子供達に「物事はハッキリしないものだ」と正しくない教えを叩き込む事であり、大人達のこうしたあり方はほかならぬ子供達の手本になっている。それが学校や地域での死に至るいじめを可能たらしめる要因のひとつになっていないか。罰せられなければ何をやっても良いことにならないか。

 三権分立でいえば政治の腐敗、組織で言えばトップの腐敗、これらが社会的に最も弱く最も小さい存在、たとえば学校の子供達に直ちに投影され、直ちには是正されることも当然無い。

グレーな国のグレーな私という実在

 私自身、ここまで病んできて思うことがある。
 こうなりたくてなったわけではない。気づけばこの歳で障害を負っているまま来たのである。

 現在、私は休職、退職、就労移行支援を経て、障害者雇用に落ち着いている。非正規雇用である。あるとき、大学時代の友人等と会って飲む機会があったが、詳しいことは話せなかった。社会の中ではそうしたスタンスで生きている。これもまたグレーなあり方、グレーな私という実在である。

 結局、その友人たちとのゼミ旅行へは呼ばれなかった。いや、それでよかったのである。街中の飲み会と違って、旅先だと問い詰められると逃げようがない。障害者雇用といっても知っている人は少ないし、どう扱われたかも分からない。

 本当に私は病んでいるのだろうか。試しに電話のやり取りに挑んでもしどろもどろである。何か集中できるだろうか、いやできないのである。訓練を積んでも実用に至らない。この人生で得られなかったものは妻と子。なぜだろうか。私には健康なココロが途中で欠けてしまった。いろんなことを恨んだ。いつも結論は分かっている。発達障害ではないけど小さい頃から協調性が生まれつき欠けていたのだ。それがケチの付けはじめだったのである。

 グレーな国のグレーな私という実在、一応そういうことにして残りおよそ40年かそこに至らないか分からないけど、過ごしてみるしかない。怒りと諦めを同居させながら。

2024/08/27 ここまで


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