2024/06/21 鉄槌
おはようございます🙏
911、311、こう聞くとあなたは何を想いますか?自由が燃え上がる温度ですか?それとも自由を放棄した日ですか?
今回は後の方の話を続けたいと思います。
私的な感覚的にはあの日以来、
「首都圏では乗って帰れるだけでもありがたい」
思うようになりました。
あの日以来、いかにいままで当たり前だった主体性がその後は悪とされたのです。
手っ取り早くいえば、フロムのいう自由からの逃走ですね。あの頃から70年前にもあった現象が息を吹き返す。人の意思は脆いものです。
そうした文脈から見ると、職場周囲の人の態度が突然、変容して私を追い出しにかかったのも不思議ではなかった。
特に田舎で保守色の強い土地柄、この「ウイルス」が伝播するのは瞬く間だった。
現象学的に見ると一人を捻り潰すのは訳ないのだろうけど、本質的にはその罪が自発的に問い直されることはない。
ナチスドイツが自ら顧みる事なく連合国軍の鉄槌によって東西に引き裂かれるまで裁きがなかった。
この国この社会を見ても、やはり連合国軍の「信託統治」を受けるまで自省はない。
息を吹き返すとネオナチも「リベラル」も似たようなところがある。自浄作用はない。
あの田舎町も腐り果てて犠牲者を出し続け新しい根なし草の生贄を求めるのか、それとも外からの鉄槌を食らうか。
腹が立つのでこれ以上考えないことにする。
2024/06/21 ここまで
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