2024/05/31 あなたのとなりのナチズム……
おはようございます🙏
日本国憲法と旧優生保護法
昨日は育児と、日本国憲法と旧優生保護法について書きました。
現行憲法といえどもオールマイティではない、完璧ではない、むしろ補完していくところが大きい代物ではないか?
立法の違憲性を云々する前に憲法を建設的、平和で健全な方向に見直すほうが、先制攻撃権を認める方向の見直しよりも必要ではという見方もまた存在します。
しかしながら見直しとは、日本国憲法に限って平たく言えば硬性憲法、つまり簡単には直せないように作ってあるわけで、一部を直すとすれば別の箇所の直しも禁止はできなくなるという両刃の剣的なものもありましたね。
最大多数の最大幸福
公益すなわち公共の利益とは何でしょうか。公共の福祉にも相通ずるところがあり、これもまた便利なようで恐ろしいタームではあります。
普段何気なく使う「みんな」という曖昧で大きすぎる主語に類するところがあります。最大多数の最大幸福(ベンサム)のためにある《公共の福祉》とも合致しきれない、互いに異なるところを指しているように見えます。
モラルにないものは法律に任せるという発想もあります。
しかしながら、最初からモラルとは?と考えることをなげうって法律に丸投げするとしたらどうでしょうか。もちろん訴訟社会以前の問題になります。互いの感情を法律家たちに丸投げするのが現在でしょう。
だからといって万人の万人による闘争によって自力救済しなさいよと勧めているわけではなく、むしろその逆なのです。
では社会とは?
そうした思考が止まっている社会であってもなお、時間の流れは止まりませんし、状況は刻々と変化します。私たちも生き物であり、生まれた以上死に向かって日々老いていきます。
この現況で子孫を残すことが社会を維持し、種を保存するためにも必要になってくるわけです。生物学的、統計的にも社会の維持に障害となると排除される存在を規定したことが、近現代社会の悲劇の始まりだったのではないでしょうか。都合の悪い存在は良くて隠して悪くて殺す、名指しはしませんが連続殺傷事件の実行犯みたいな発想と行動を許してしまったのが、旧優生保護法の一面ではなかったか。
すなわち現行憲法といえども成熟していないし、民度も成熟しているかという問いには甚だ疑問だという答えを呈さざるを得ないと思います。
2024/05/31 ここまで