
2025/03/02 住宅街の付け馬屋に思う
私が住宅街で見たくないものが二つある。
ひとつ、朝帰りでもないのに白昼堂々密着して歩く二人連れ。
ひとつ、夕飯時、帰りの時間を狙って人のアパート前に陣取る付け馬。
片や売春婦(売春夫、男娼)、片や借金取りである。
性売買と借金が絡むと人間は嫌な本性を示す。しかも見るもいやらしい性質を隠し持つどころかひけらかして、微塵の恥すら覚えない手合いである。
何がどういやらしいか、多言を費やしたくはないのでその関係は語るのをここでは止めておく。たとえばホストクラブ狂いの女性が借金のために貞節を売るとか、これはあるか分からないがそこそこ若さとルックスがあればその逆もまた考えられなくもないだろうか?
さて、リアル付け馬を初めて見かけたのは何十年前か。
母がアキレス腱を断裂してしまい、全身麻酔下での手術と相成ったときがある。母の前にやはり、外科の他の入院患者が出て入っており、その人がストレッチャーに乗せられICUに運ばれるのを見届ける人影が二つ、待合室に認められた。
私は父に、あれは付け馬じゃないのか?と尋ねた。
父は言下にそうではないといった。
だが、私にはモヤモヤするものがあったので書いておく。
父方の姉の一人がなくなった後のこと。私の叔母に当たる。浪費癖と借金がひどい人だった。聞くところによれば夫亡き後男に貢いでいたという。なんとまあだらしないといえばそれまでのことである。
まあ、父方の祖父という人が労務者を集めては賭け事を開いていたような家庭で無理もなかった。父とその上の方の伯父は、それぞれ法科や会社の労働組合員と、いわゆる社会正義に目覚めていた。世も世で安田講堂占拠事件とか物騒な頃だったし、祖父が反面教師だったと思うし、父も事あるごとにそう語っていた。
バックグラウンドを語るのはここまでにする。
その姉という人を荼毘に付した後、見慣れぬ二人連れが火葬場の待合室にたゆたっていた。
「おい、そこの付け馬!お前らそれでも人間か、人の死んだところまでつきまとって。」
そう怒鳴ったのは、父に拠れば満州帰りの例の伯父だったという。国内の物資や食いぶちが足りず、一部の野心家みたいに好きこのんで満州に渡る人々ばかりではなかったのだ。いわゆる苦労をした人々の一人だった。
そうして苦楽をともにした兄弟達ゆえ、伯父にして見れば耐えきれずに発した一言だったに違いない。本物の情は金には換算できないものである。
私は安直に絆だの繋がりだの常用漢字に入れてまで国民を洗脳しようとする政府に不信感を拭えない。原発事故や津波被災等、震災の被害者の癒えない悲しみを足がかりに、といっては失礼だが事実、不羈の(馬車馬のように人間が互いにくびきでつながれていない状態を指す)精神を踏みにじるかのような政府のやり方に、私は未だに不信感を拭えない。
私の父と伯父を見て思うのは、強制ではなく必要から生まれた兄弟愛というもので、それらも金には換算できないものである。
もうついでだからぶちまけてしまうと、「リメンバー・アラモ!」と「がんばろう日本!」はそれぞれ、自発的な復讐心と強制的な団結心ぐらいの違いがある。もちろん、「リメンバー・パールハーバー」が12月8日であることを思い出せなくても、「ニイタカヤマノボレ」を覚えている若者達がいることに私は危機感を覚える。
2025/03/02 ここまで