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2024/08/19 生き別れ--alive farewell

 なんか最近、私がここで書くことはブルースシンガーみたいな感傷にとらわれている感じがしています。なりきってみますか?

生き別れの人達の生態

 生き別れの人達。あの返信先なしの幼なじみのほかにももっといます。
 長く勤めた前職最後の頃、減給やらパワハラで居づらさが増すなか、私がお世話になったと思っている、もしかしたら単に迷惑に過ぎなかったかもしれない。そんな酒屋さんでのことです。

 私にはその前職は、年齢要件のためもあり育った故郷をあとにせざるを得ず、離れて勤めた場所でした。せっかく見つけたのに散々な目に遭いました。残り物は福ではなかったのです。後述の通り、その間に私は病を得て落伍者となり、その間に幼なじみ達は家庭に入っていました。知る由もありませんでした。住み慣れていたけれども私をからかい通してまともに相手にしなかった故郷まで追われ、就職先でも。流浪の民ですね。在職中は頼りにしたオフ会でつまはじきを味わい、職場と故郷の匿名掲示板で中傷されて居場所を追われて、通い慣れた店も追われ(そこは店をたたんだ)、気づけば精神の病を発症していた。

 さて、その先に出会ったのがその酒屋さんでしたが、そこの主人はそこの土地の顔というか、そんな感じのロータリアン兼酒屋の主人でしたね。FBは残っているのですが、生きているのかどうかも私は知りません。主人は私が長患いで前職をあとにして、非正規雇用というのを知った途端につまはじきにし始めた他の常連客を止めることもできなかったようです。

 ある人は非正規雇用(私の場合は障害者雇用)と知った途端に自由人と言いだし、それの便乗して次々に覆い被って襲いかかるかのように言葉の暴力が続きました。

その生態とは?

 ひとりはいまも勤めの途中帰りの時間がかぶると私を見かけるなり咳払いをしても目を合わせようとしないのですが、会社の役員級のそんな人が私にかけた言葉が、今まで税金が給料の人が何を言う、と突っかかってきたものです。それに呼応するように、妻子をとっかえひっかえして、交通違反も自慢の種にする自営業のもうひとりが、俺の所で血反吐が出るまで働かせてやると暴言を投げつけたのです。

 それっきり、私はそこへ立ち寄る事もなく、5,6年が経っています。役所を辞めた人間に対する他職の人間とはこういう風に豹変するものかと思い知りましたね。

 それで、私はその自営業の男について特に思うことがあったので、下にどんな男か概要を呟いてみましたので、引用しますね。

ひとりの人格を認められた人間として育てられなかった人は、果たして一生涯に他の人を人格から愛することはできるのか?子どもがいることと子どもがいて愛していることは同じではないという前提で。

たとえは良くないが小田急線下北沢駅そばに踏切があった頃、事故が絶えないのは死んでも楽に死に切れなかった死者の亡霊が、他人の身体を借りて何度も死に直そうとするから、と誰かが言っていた。子どもとして育てられなかった人が虐待連鎖をする事情がよく似ている。パートナーを変え繰り返す。

死んでしまったものは生き返らないからしょうがない 産まれてしまったものは親なら独立まで世話すべし

自Xより 午後9:53 · 2024年8月15日

 もう一人いましたが、彼は人が惨死しようが、事件が起ころうが、金に換算して語る男でしたね。

 はっきり言って《クズども》にまみれて酒と美食をかきこんでいたのです。インスタ映えやFB中毒のリア充の舞台裏をとくと見せてもらいました。そんな人たちを常連客に迎えた主人に何かを期待した私の方が間違っていたのでしょうか。

行き場のなかった私の誤算

 私が前職に、主人から圧力をかけてもらうとか以前に、彼は保身に走っていた仲間なのでした。出会ったときから金持ちや縁故がない貴方がなぜ、ここにいる?そんな感じでしたね。縁談の席を設けてくれたときも、それが流れて笑いぐさになるというのは偶然だったのでしょうか?

 それっきり、私は正体を失うまで呑むということがなくなってしまいました。正気に返ったのでしょうか。素面で病気に向き合いなさい、そういうご先祖様達からのお告げだったのかも知れません。亡父も生前、肝不全で意識がもうろうとなりがちな中、私の障害について心を砕いていました。

 相手には選ばれるもの、そう謙虚になっているつもりですが、離れていく相手は追わない、生き別れになっても、そう思うようになりました。

2024/08/19 ここまで

追記:時の経過もまた残酷だ

 私もここまで語れるまで何年かかった事でしょうか。それだけ心の痛手は深かったです。死に別れることもつらいですが、生き別れの人達を思うとどっかで生きているんだよなあ(その保障はありませんが)、と思うことがあります。同窓会の時にも統合失調症での時間が経過して今浦島と化していたことに、ショックを受けています。

 よく、うつ病の方にはショックから立ち直るには時間が薬だという言い方があります。偏見を受けやすい統合失調症者の場合、時間は薬ではなく、社会から切り離され、再び関わりたくても関われないまま婚期も職も失ってしまうので、時間は毒だとこの頃頓に感じています。人によっては美しい人生を形作る時間、その時間の経過は私のような人々に対しては残酷でもあります。

 開けると災いをもたらすパンドラの箱の底には希望が隠れているといいます。せめて、妄想ではなく年下の彼女(両想い?)が私に相応しいかどうか試されている所もあります。私の障害について理解してくれている数少ない人です。離したくないという気持ちはあります。今のところの《隠れた希望》です。

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