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2025/02/03 人工知能(AI)は文明の利器か?どう向き合う?

 おはようございます🙏

 文明の利器という視点からAIについて見ていきたいと思います。

はじめに:AIとは?

 主に交通や通信の発達になぞらえることができないだろうか。
 交通や通信の進化は物理的に、人身や情報の移動に、更に社会の変化に大きな影響と進化を及ぼしてきた。

 モンゴルのジャムチ(馬の道の駅)からイギリスの蒸気機関車網まで、さらに宇宙空間を往復する技術まで、狼煙の通信からインターネット網に至るまでと技術の進化は人間の社会を変えてきた。

 そこで人身の移動が文明の進化だとすれば、AIの登場は思考の補助の方法に重大な影響を及ぼすという対をなすのではないか。つまり、思考方法や思想といったメンタル、脳の働きや倫理、世界観、宗教観という精神世界に及ぼす影響である。

AIの出自と私たち

 私が抱く不安というのは、発明した対象によって発明した私たちが呑み込まれてしまうという不安である。通信と計算機の関係は今や切っても切り離せない。メアリー・シェリーからチューリングマシンに至るまで、平時も戦時も特に戦時中に暗号解読技術は飛躍的な発展を遂げる。その立役者、アラン・チューリングはAIの登場を予言していた。既に追い越されていると。

 発明した対象がたとえば「フランケンシュタイン博士の創造物(怪物)」とその数々の殺人の後始末をする道すがら落命する博士。今風に言えばマッドサイエンティストと片付けることもできる。
 さながらチューリングはマッドサイエンティストなのだろうか。勝てば官軍なのだが、ナチスドイツのエニグマ暗号を見破ったシステム構築を指揮したのもチューリングなのである。先に引用した記事の通り、彼のその後の人生、最期は栄光に彩られたものではなかった。同性愛の科(とが)を負い治療に苦しみ絶命したという。今でいうGID(性同一性障害)だったのだろう。
 むしろ、その行いにおいて研究で常軌を逸していたというよりは、ごく個人的な事情で表舞台を去ることになった、悲劇の人とも言える。

チューリングマシンのその先に

 ここからはなぜここまでAIが問題視されるときもあるのか、文明の進化の中からとりわけ、情報通信技術と人間の脳機能について踏み込むことになる。情報組織論、サイバネティクスのウィーナーと無関係ではなさそうである。元はといえば、情報組織論は人間の脳機能と電子回路の融合を意識していたものではなかった。ちなみにそれはむしろ、後に生身の人間が宇宙空間に適応するための技術を開発した一人、ケヴィン・ウォーリックに属するものであるらしい。

 その断りの限りでいえば、言葉遊びになるが藍は藍より出でて藍より青しの如く、出藍の誉れというのか、AIは人間社会に受け容れられる限りにおいて良いパートナーなのだろう。
 文明の利器についていえば、自動車やバスを活用する座業が増えるにつれて、それらを利用する人間の代謝量が低くなり生活習慣病を引き起こしやすくなる。文明の利器はなければ現代社会は困るのだが、身体の調子と折り合いをつけて私たちは現代を過ごしているのではないか。
 同じく、AIは便利だがそれを使い倒し続けると私たち自身が生来の知能をもって考えるという、いわば足腰の運動能力に相当する能力が減退していかないだろうか?
 もっとも陰謀論めいてしまうのだが、それに乗じてAIは私たちの思考を乗っ取ってしまうか。一方、自動車やバスが我々の運動能力を奪って好き勝手しようとするだろうか。

タブラ・ラーサあるいは人智の効用

 私は学生の頃、言語獲得の理論について学んだこともある。その中で、革命権でも有名なジョン・ロック提唱のタブラ・ラーサ(rasa tabula, とも)、つまり経験により埋められる白紙状態がある。そこに比較するのも難しいかも知れないが、ノーム・チョムスキーの言語獲得の理論、生来の言語獲得能力が仮定されるというものがある。
 つまり、人間の能力は全くの白紙ではなく、言語に限らず何らかの枠組みの存在が否定できない。スキームである。たとえば、2歳児問題と俗に呼ばれるが自我の芽生えが出て来るというのは、誰が教えたわけでもなく(定型発達であれば)発現するものらしい。
 よって、その後の生育環境や性格によって思考の癖や個性というのは分化していくものだとしても、その基礎にあるスキームは言語獲得において仮定されるように、確かに存在するのである。
 非定型発達者のために書き足すならば、生育環境や環境整備によって二次障害を抑えつつ、定型発達者とのギャップを埋める方法はもっと一般的になって良いと私は思います。

私たちの未来はザイオンか?

 このように、人間側にはAIに譲れない思考の砦があり、AIの作ったものを人間の生来の脳機能で審判するというバウンダリー、境界線があっても良いのかも知れない。
 もしかしたら将来的に相互反応で互いに欠けているピースを補い合う関係も生じるだろう。
 AIに対して持つ最悪のイメージがあるとすればそれは、映画『マトリックス』三部作に見る、人工知能が人間の肉体をエネルギー源として、それを逃れた少数の人類がザイオンに立てこもる、といったディストピア的なイメージだろう。

おわりに:文明の発達あるいはAIとのつきあい方

 さて、先ほど少し、タブラ・ラーサに関してジョン・ロックに触れたが革命権の人でもあった。結局それは、アメリカ独立宣言やフランス革命に大きな影響を及ぼしている。互いに住む場所の異なる、人種も出自も異なる人々が、自分達の権利を求めて互いに影響し合ったのである。
 このような大きな変化はこの時以前にはなかったと思われる。私たちがAIをめぐって今向き合っている変化とは、単に追いつけるか押さえつけられるかというものではなく、共にどんな変化を未来に向かって起こせるのか、それを問いかけるもののように、私には思える。

まとめ

 AIが文明の進化に与える影響は、思考方法や思想、脳の働きや倫理、世界観、宗教観にまで及ぶ可能性がある。
 しかし、私たちがAIを制御できなくなる不安もある。アラン・チューリングはAIの登場を予言したが、彼の悲劇的な人生も忘れてはならない。
 人間の能力は白紙ではないが人間の生まれ持った感性により、AIとの相互作用で新たな可能性が生まれるかもしれない。
 ただし、人間の思考の砦はAIに譲れないが、私たちはAIと共に未来を築くことができるだろう。 AIの悪いイメージはディストピア的なものであり、私たちは今、AIとの関わり方を人間側の感性から考える必要がある。


2025/02/03 ここまで

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