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2024/05/03 「ダンボー 怒りの脱出」椅子引きと車いすバスケをめぐる考察

 おはようございます🙏

はじめに:これは修羅道か?

 人間生きていれば容赦できないことのひとつやふたつあります。
 今日はそんな修羅道チックなお話を自Xから拾っていきます。

 すぐ下は私の修羅道的ブログの紹介です……

では、自Xから拾っていきます。

外野だけど黙ってられない。椅子引きで下半身まひ。
まだ日本だから損害賠償請求や傷害罪で済まされるけど
よその国だったら同じ目に遭う刑罰や石打ち刑とか斬首とか。
よその国云々はいいけど損害賠償で自己破産して一生立ち直れないのも立派な復讐だと思う。

引用
嶋田大貴
@shimariso
·
1月8日
3人訴えてちゃんと損害賠償を支払ってきたのは1人だけだそう(2人はブッチしたので刑事告訴)。やはりこの手の加害者は支払い能力ないことが多そう。 → 「結局、前科がつきました」SNSでの誹謗中傷、被害者が本気出すとどうなる? 身元すぐ判明→賠償拒否→告訴→罰金刑https://nordot.app/1109433053483647707

@shimariso

引用
ken
@kenkatap
·
2017年3月3日
返信先: @kenkatapさん
イラン刑法
▼フドゥード(固定刑)とキサース(応報刑)(強調表示は引用者)
▼フドゥード刑は国家に対する攻撃とみなされる犯罪に適用
▼具体的には不倫、飲酒、不法侵入、軽度の窃盗、イスラムの権威に対する反(引用者以下略)

@kenkatap

刑は済んでも消えないのは心の傷

傷害罪の時効は10年 – 刑事・民事の時効について弁護士が解説 | TSL LEGAL PARK

 和解や示談が成立しているならまだしも椅子引きで障害を負った人が車いすバスケで活躍しているらしいが、加害者がどうなったか分からず後味の悪い美談だ。

 たしかに椅子引きは絶対にしないでという訴えは分かる。
 学校の指導者ら大人達をみれば何故、過ちが繰り返されるかその理由には察しが付くだろう。
 なぜなら、大人達が動かす国の中枢部では某教団がらみの政治献金キャッシュバック等悪がのうのうと幅を利かせるからだ。そんな国で過半数側に投票する人達。大人達の二人に一人はそういう信用ならない人種だとわかるのだ。
 その子供達も学校でだいたいろくな事をしない。親の顔は見なくてもわかる。つまり国全体がその半分以上の有権者達が起こす投票行動や不作為により腐っているのだ。

起訴もされなければ損害賠償請求もされない

 高飛び先に選ばれるフィリピンに次いで犯罪者天国。フィリピンでは看守に袖の下渡して悪さ働くらしい。

 椅子引きは今頃何している?他のいじめ自殺やいじめ殺人の加害者達等同様にのうのうと同じ空の下同じ空気を吸って生きているのか?あのマット巻きいじめ殺人や旭川いじめ殺人のように、当時まだ子供だったから今も生きることを許されているとしたら、「ボヘミアン・ラプソディ」の歌詞にある状況によってすら説明が付かない。

 和訳すると女王様のあの歌だ、《ママ、俺殺っちゃった、あいつの頭に拳銃を押しつけ引き金引いたら死んじゃった。》という意味の歌。彼らだって法廷で同じようなノリでごまかそうと刑弁と打ち合わせていたはずだ。一般社会だったら到底不自然すぎて通じない話である。

 法律は道徳のないところでの最低限であり、その法律さえ生かされないということは、そこは無法地帯と言わざるを得ない。今度、最高裁の罷免投票の機会があれば彼ら加害者を生かしておいた関係の判事に×印をつけたい。そうでないとイェリネックにも申し訳が立たない。それが現況だろう。

 刑罰の趣旨は受刑者の矯正・そして社会復帰(更生)というところに眼目がある。
 更生の余地なしということは何を意味するか。
 殺人事件においてはそれは死に値する。
 殊に犯行時に未成年だった永山則夫元死刑囚についても、2人以上殺せば死刑という「永山基準」を遺していった。もっとも殺された人の数だけが問題ではなく、命乞いする被害者を殺害したり等酌量の余地がない場合は、その限りではないとは記憶にある。
 条文にはないと思うが、人に取り返しの付かない心身の傷を負わせた者は矯正できなければそれ相応の罰があってしかるべきだ。
 政治犯や騒擾罪の人達と同じく無期禁固にするなり。池袋暴走事故の加害者も本来なら無期禁固でもいいぐらいだ。そういうレベルでもある。
 ある記事で読んだが、拘置所では禁固刑と死刑囚の独房がひとつおきに並べてあるそうだ。
 むろん、事件で人身が奪われ加害者に反省もなく情状酌量や矯正の余地もない場合は主文後回しで死刑求刑か。
 法律の運用で抑止力や応報刑的な効果を狙って外していないかというと昨今の学校絡みの重大事件を見る限り、それはいささか心許ないと言わざるを得ない。

何故こういうことを口を極めて言ったか?

 私は職場のパワハラから統合失調症が悪化して前職を辞めた。
法の網をすり抜けてきた狡猾な加害者らを訴えはしないが、決して、彼らのおかげで自分の、障害者としての人生が開けたというつもりはない。むしろこうした公開の場でさらし続けるほうが巨悪にはうってつけだと思う。一人で闘ってダメだった。闘うにはさらすほかない。
 そんなこんなで前職関係の友達はいなくなってしまった。
 ここで読者の皆さんにもひとつ、お願いがあります。
 長いものには巻かれろとかやり過ごすことで、その一方の陰で犠牲になる人々もいることを忘れないでほしい。

2024/05/03 ここまで



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