2024/04/04 不定期連載『クロスセクション』1 SH君の場合
ふた親とも若くて貧しい。
最初の東京オリンピックが終わった辺りの頃だ。
そんな両親の子であるSH君の二カ所目の住まいは東京西郊の、川が流れる織物工場街の仮住まいだった。
父は九州の片田舎から出て法曹を目指して夢破れ、東京郊外の市役所勤めだ。母もまた名主の家だが東北の寒村から、これまた郊外の有力者宅の住み込みで花嫁修業に出たところを父となる人とめぐり合う。
父という人は先祖は藩士だったと豪語していた。それにしても炭鉱長屋で暮らした祖父母や兄妹からその面影をうかがうべくもない。これもまた彼の世渡りの方便だったようである。兄という人も旧満州に渡った頃はそのようだった。
さて、SH君だが両親とも共働き、近所の保育園に預けられていた。
そこには彼と同じ歳のMSさんがいた。彼女の父は都庁勤め、母も何らかの職業に就いていた。
しかし、SH君の両親はついぞ、MSさんの両親とは近所づきあいはいいものの息子にはその実態は詳らかにすることはなかった。身分が違いすぎた。四歳、五歳の子供に理解しろといっても無理な話だったが互いに隣町へ一緒に越すことになり、大きくなるにつれて同じ公立中学校、都立高校に入るまでは親について意識することはなかった。
その越した先でも住んでいた住宅はいわば公務員公舎みたいなもので、警察から都庁、市役所の職員から民間企業の従業員までそろっていた。なかんずく、SH君の家はその中でも下流に属している。彼の父が如何に市役所の中で管理職に就こうが子供の世界への影響は避けられない。そんな世界だ。自動車すら持っていないのは彼の家ぐらいのものだ。
あるとき、女性の上級生から修学旅行みやげに「努力」と彫られた銘板を彼はもらった。その人は社会に出てからしばらく、住宅の理事会の理事までつとめていた。彼は努力すれば何でもなると思っていた。これが彼を後年、苦しめ社会の矛盾に陥れた。
さらに、小学生時代からも学校で激しいいじめにあっても、そこの教頭よりも顔の利くベテラン担任は私立中進学希望の子達の肩を持って、彼やその両親をかばう真似などしなかった。役人根性丸出しなのだ。
中学では作文コンクールで二人とも作品を推薦され入賞していた。SH君は優秀な成績の伸びを見せる中三で引退するまで運動部でいじめ抜かれ、片やMSさんは茶道や書道に進んでいた。
なぜここまで違ったのか。MSさんが高校で茶道部の部長まで務めるまでになったかは、さすがにHS君も運動部から合唱の心得があった故に吹奏楽部へとさまよい歩くうちにようやく気づくようになった。育ちがそうも違わないのになぜ、個性や努力なのか。親の顔が利く世界はHS君が思ったより広かった。
校内で彼女を見かけたHS君だが、MSさんは無視する。それきりだった。
要はもう既にして彼は社会のからくりに負けていたのである。
それでもなお、引っ込み思案で悩みがちなHS君を父は事あるごとに叱咤激励していた。彼には父は、怖い存在でしかなかった。母は彼の年が離れた妹を連れては、高校の野球部の試合についていって演奏して帰る彼を迎えに行っていた。母にとっては子離れのできない存在だった。
2024/04/04 ここまで
KA君の場合へつづく予定です
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