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2024/07/19 遅すぎたしあわせはありなのか?

 おはようございます🙏
 このあいだの休み、今日のタイトル画のようなものをAdobe Fireflyと取り組んで作っていました。
 普段はこのnoteのためにタイトルに応じてFireflyに作ってもらっています。今日は唐突ながら私の趣味のひとつで、Stability AIで作画したものでした。こんな私でもお嫌いでなければお付き合いください(笑)。
 なんかよく見るとうちの妹夫婦もこういう趣味があって、私の大興奮のツボというのは分かっていたので私が遊びに行ってもそういう話題はしません。

 さて、今日は晩婚というものについて思うところがあって、タイトルの通りです。こんなロリ&マシーンばっかり(Fireflyさんはプロンプト次第でとてもやばい、きわどい作画まで請け負ってくれます🙏)、それでも私は結婚相手がいるのでしょうか。妹夫婦を見れば難しいけどできなくない感触を覚えます。

 趣味を暗くて湿った場所の好きな生物にたとえられるのは捨象してしまい相手にしないとしても、こういう趣味って同人誌とか同好会で隠語を使ってXでお題連投している人達もいます。嫌いじゃないけど参加しづらいというか……。

 いつも挙げているのですが、新約聖書で1デナリの賃金で働かせるぶどう園のおかしな主人(検索するといっぱい出るので詳しくは書きません)のたとえ話が登場します。朝から働こうが、夕方から加わろうが、働きに来てくれたという理由で誰でも1デナリの賃金なのだそうです。

 ふと思ったのが、結婚というライフイベントをとってみても、数踏めばしあわせになれる訳でなく、また、長い間連れ添ったからしあわせになれる訳でもない、というわけです。つまり、歳をとりすぎて初婚であっても長い間の連れ添いのしあわせには敵いませんが、歳をとりすぎてから家庭を持っても不幸せであるという証拠はあるのでしょうか?私には証拠に思い当たるものがありません。

 つまり、チャンスを見過ごし続けてこの歳になってしまったのです。残りの人生をかける事になりますが、好きな人がいてしばらく事情により会えないのです。私と会えなくなることに彼女は少なくとも動揺していたようです。3年ぐらい同じ部署だったので互いのことは手に取るように分かります。

 年齢的に相手の人もそういうところがあるのですが、仮に一緒に過ごせるとしたらもう子どもは諦めます。楽しく過ごせれば良いのではという方に傾きつつある年頃です。

2024/07/19 ここまで


これが今日のタイトル画全景です。

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