『トオイと正人』感想
僕の写真の師匠、瀬戸正人先生の自伝エッセイを写真家の小林紀晴氏が映画化した『トオイと正人』を観に行った。上映後、瀬戸先生と小林監督、作品でナレーターを務めた女優の鶴田真由さんの舞台挨拶とトークショーもありとても興味深い話を聞くことが出来た。
この作品は少し不思議な構造をしていて、先生の自伝『トオイと正人』の単純な映画化では無く、映画を撮っている小林監督の視点も入ったドキュメンタリーの側面も持っている。
この映画の中には残留日本兵だった瀬戸先生のお父上の時間、瀬戸先生の時間、小林監督の時間が流れている。更にそれぞれの人物の過去や現在が交錯している。映画を観ていると川や高速道路、市場の雑踏の映像が混ざり合い、それらが時空を超え行き来する。トークで鶴田真由さんが話していた浮遊感というのはこの色んな時空が映像の中で混じり合っている感じなのではないだろうか。
この作品でとても興味を惹かれるエピソードがある。それは先生がタイで忘れていた言葉を思い出すシーンだ。そして知っている言葉と知らない言葉の区別がついたという。
そのエピソードで僕は亡くなった祖父の事を思い出した。結婚の報告のためその時既に認知症になっていた祖父に会いに行ったのだが、祖父は僕を見て「お前は知っているから多分俺の息子だろう」と言い、そして初めて連れて行った妻を見て「この人は知らない」と言ったのだ。認知症になっても「知っている/知らない」という観点からすると、先生が体験したエピソードと類似性があるように思える。
以前先生がラジオに出演された時、人が見ている世界はその人の記憶の中の映像のようなものなのではないかと仰っていた事を思い出した。写真は記憶と関係の深いメディアである。実家の稼業が写真館という事も含め、瀬戸先生はやはり写真家になる事を運命づけられた人のように思えてならなかった。
#トオイと正人 #瀬戸正人 #小林紀晴 #鶴田真由 #映画