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『空の発見』展:空を見て、空を感じ、空を考える。

「青い空に白い雲」は海外からの輸入品だった?

人類誕生前から「存在」していたはずの空だが、昔の日本の絵画には青空が描かれておらず、
西洋と触れる中で青空が増えていった。

社会が変わっていく中で人々は『空』に何を見て、何を感じるようなったのか…そんな事を考えさせてくれる展示会に行ってきた。

『空の発見』渋谷区立松濤美術館
https://shoto-museum.jp/exhibitions/205sora/

◆空を見る。

江戸時代に描かれた日本の絵画には空が描かれることが少なかった。

理由は主に2つあると考えられる。

1つは、青い染料がまだ発見されておらず、絵画に使えなかったこと。

もう1つは、空は「見えているけど見えていないもの」とされていたことだ。

空を見ても空自体がモチーフとして描かれることは少なく、対象物に対しての余白や間として使われていた。

◆空を感じる。

変化が起きたのは海外で青い染料が見つかりそれが輸入されてきたこと。それによって絵の中に青空が描かれるようになる。

葛飾北斎や歌川広重をはじめとする浮世絵には、青い空が描かれている。 しかしまだ形式的、概念的なものとして描かれていた。興味深いのは海外にも人気のあった広重の浮世絵の海外版では空は詳細が描かれていたのに対して、日本の浮世絵は簡素な描き方をしていたこと。

日本人は「空」に興味が無かったらしい。

一方、江戸時代、たびたび青空を描いた画家の司馬江漢(1747-1818年)がいた。

蘭学から地動説を学び、科学的な空間認識を持っていたことが、「空」への意識の変化を起こした。彼は空に興味を持っていなかった日本で、地動説を啓蒙し「江戸のダヴィンチ」とも言われている天才だ。

人は空の先にある「天」や「宇宙」を空に感じるようになる。

◆空を考える。

近代になるにつれ、思想の変化や科学技術の発展と共にに絵画の表現も変わってくる。

カメラが誕生する400年前、西洋では外の風景や心象をキャンパスに描こうと試み出した。

えてして、「青い空に白い雲」はモチーフとして使われだし、同じ場所でも、朝、昼、夕、夜と刻々と変わる空や雲の様子をキャンパスに書き留めようとした。

こうして空は「発見」された。

空はソラ以外にもカラ、クウとも呼ばれる。

空は昔からそこに「存在」していたが、同時に何もない空間「からっぽ」という概念も持っている。「有ると無い」が同時に存在する対象、そして天や星に神聖さを感じさせるものとして、空は考えられるようになった。

これは仏教哲学における「空(クウ)」すべての事物が相互依存して存在するという概念にも通じる。空観と呼ばれる考えは英語にすると、contemplation of emptinessとなるそうだ。
「空っぽ」を熟考する。瞑想とも言える。

空を見て宗教的なものを感じる人、宇宙を感じる人、哲学を感じる人、現代では様々な意味を持っている。

人々は空を見て、空を考えることで、空を感じるようになった。

◆アートとの対話

気になる作品を見つけた時に、リアルな絵の前に立って思考を巡らす「アートとの対話」は非常に有益な時間に感じる。

言語化しきれない非言語領域も含めて、何故気になるかを分割していくことが、自己理解にも繋がる様に思う。

何も考えずにただ味わえば良いとも思うが、じっくり観て、じっくり考える時間は今のご時世とても贅沢な時間の使い方ではないだろうか。

空を見ながらそんな事を考えてみた。

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