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人間は、かくも面倒くさくて、かくも愛おしい

人間になって、困ったことがあります。

それは、思考で自分をコントロール出来ないことです。


例えば、誰かとちょっとケンカした時

今までだったら、相手の言い分も聞いて、納得出来たらOK。あくまで理性的に対応する。

という感じで場を収めていたんですけど、、、

今は、

「言ってることは頭では分かるんだけど、身体的に、感情的に納得できない!」

ってなってしまい、感情面をクリアしないと場が収められなくなってしまったんですね。

そして困ったことに、この感情面をクリアにすることが非常に難しいわけなんですね。

人間として生きていくのってなかなか面倒だなと思ったりするわけです、笑

今までだってコントロールで来ていたわけではない

ただホンネを言えば、今までだって、コントロールしたつもりで出来ていなかっただけだったと思います。

自分にとっての不都合な感情は、自分の中に溜めて溜めて、いつか忘れ去られるのを待つ。

これがこれまでの30年間の人生で僕が取ってきた生存戦略でした。

でも、本当は生じた感情を無きものになんかできなくて、見ずにフタをしてきた感情が積み重なって、人間ならざる自分が出来上がっていったのだと思います。

察しない男、説明しない女は本当か?

よくこういう本が出ますよね。

生物的な男女の差異はやはり大きいもので、女性の方が感情表現が豊か、というのは、ある程度事実である気がします。

ただ、男性にだって感情は生じる。

「そんなこと言ってないで、獲物をしとめてこい」という風に、狩猟採集の時代は言われ、

「感情的になるな、理性的でいろ、そして結果を出せ」という風に資本主義の時代は言われ、

自身の情動よりも社会的な責務を全うすることを求められてきた結果、多くの男性は感情の取り扱い方を覚えられなかったのではないかと思います。

人間という生物の不合理さを諦める

そんなわけで、僕自身も自分の感情の行き場に絶賛困っている状態なのですが、そういうときの対処法も分かるようになってきました。

大切なことは、そういう不合理な自分の感情を認めて観察する、ということに尽きると思います。

一旦フタをして、時間の経過で忘れる、という手段は、あとでひどいぶり返しが来るのでおススメしません。

その場で理性的にコンロトールしようとすることも不可能です。

自分の中の自分ならざる者の存在を認めて諦めて、しっかりかまってあげる。
人間として生きていくには、めんどくさいけどこれが必要みたいです。

面倒くささのトンネルを抜けたら、人間の世界でした

こんな風に、人間的な感情は、不合理でアンコントローラブルでめんどくさいものなのです。

ただ、その先にしか味わえない体験があるのは事実です。

負の感情を知れないと、正の感情も知れません。よく言われることですが、これは本当に事実だと思います。

正の感情を知れないと自分の欲求が分かりません。だから、やりたいことも分かりません。


面倒くさくて大変だけど、自分の中の人間も、誰かの中の人間も、認めながら生きていきたいなと思います。

まとめ

人間は感情的で面倒くさい
→面倒くさいゆえに、人間的な喜びを味わえる


最後まで読んでくださりありがとうございました!

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