人間の男子は愛を知る【バチェロレッテシーズン2が面白い】
※この記事はシーズン2のエピソード6を見た段階で書いています。
そこまでのネタバレを含みますので、ご注意ください。
1人のセレブな女性を複数の男性で取り合うバチェロレッテ。
そのシーズン2が始まっています。
僕はシーズン1からこの作品のファンで、今回も嫁と(0歳児と)一緒にホームシアターで楽しんでいます。
他の人ともこの楽しさを共有したいということで、今日の記事では、エピソード6の時点で残っていた候補者を人間か、人間じゃないかで分析してみたいと思います。
なお、あくまで僕なりの分析ではあるので、悪しからず。。。
分析結果
分析結果はこんな感じです。
圧倒的な人間が、マクファーとジェイ。
人間じゃない人がりおんくん。
人間になり切れてなさそうな長谷川さん。
阿部さんはちょっと分からない。。。
そんな感じになりました。
以下、詳しく解説していきます。
人間かどうかを隔てるもの
人間か人間じゃないかの見分ける一番のポイントは、ありのままの感情の発露を認められるかどうかです。
りおんくんは、人前では負の感情を出してはいけない、という価値観が強くあります。
印象的だったのは、エピソード2のカクテルパーティ。
バチェロレッテに辛い過去を共有しました。
あのときのりおんくんは自身の感情を表現していて、個人的には魅力的に見えたのですが、彼自身は「終わった」と思ってしまうわけですね。
長谷川さんは、りおんくんよりずっと人間っぽいのですが、感情を出さずに頑張ることが美しい、という価値観をおそらく持っています。
これは、たくさんの借金があっても何も伝えずに頑張ったお父さんの影響が強いのだと思います。
彼自身の素直な感情を見せる場面はたくさんあります。ただ、バチェロレッテと1対1になったときにどうしても残る照れがあるんですね。
彼のキャラクターが好きなので僕は長谷川さん推しなのです。
ただ、マクファーとジェイの『人間感』がやはり圧倒的だなと思うんですね
人間の男子は愛を知る
マクファーとジェイは「愛している」という言葉を使います(ジェイは I love you なので、日本語と同じ感覚かは分からないが、、、)。
一方のりおんくんと長谷川さんは「好き」という言葉を使います。(でも阿部さんも手紙の中では愛していると伝えていた気もするが、、、)
愛は「無条件に相手を受け入れること」
好き(=恋)は「性的な興奮」
上記のように個人的には定義しています。
「好き」はまだ愛ではなく、愛に比べて「好き」は弱い。
なぜなら、弱さも醜さも含めて相手を受け入れるには、愛が必要だから。
だからこそ、マクファーとジェイが優勢。
長谷川さんに何とか頑張って欲しいが、、、
1つ不思議なことは、なぜ、好きから愛にあんなにすんなり行けるのかということですが、僕はこれには一つ答えがあると思っています。
それは、親からこの感覚を与えられているから。
印象的だったのは、マクファーのこの言葉です。
「お父さんは、無条件に僕のことを愛しているとずっと伝えてくれた」
これなんですよ。
人間かそうじゃないかを分ける大きな違いは。
『無条件に愛されている』という感覚があるかどうかなんです。
この感覚を得るには、言葉だけではなく、ありのままの感情の発露が許されてきたかどうか、が大きく影響します。
日本人は感情をあまり表に出さない文化なので、この感覚が伝わり切らない。
それに比べて、海外の家庭の方がなんか感情的な部分が豊かなんでしょうね。
だから『人間』に育つ。
そして、人間の男子は愛を知る。
人間男子二人は強敵ですが、長谷川さんには頑張って欲しい!!!
来週も楽しみにしたいと思います^ ^
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