『もう俺にはこれしかないんだよ』と叫ぶウッディのメンタルモデル
子どもと一緒に、トイストーリー4を観た。
トイストーリー3は見てないし、1, 2も見たけどほとんど覚えてないし、なんならあんまり好きじゃなかった気もする。
そんなところからいきなり4を観たのだけれど、とても面白かったので、noteを久しぶりに書きたくなった。
あらまし
ウッディは、長年持ち主だったアンディの手から離れ、今は、
ボニーという女の子のおもちゃになっている。
しかし、ボニーはウッディで遊ばず、ウッディはいつも物置の中。
ボニーのお気に入りは、自分で作成したフォーキー(プラスチックのフォークを工作して作ったお人形)。
新しく通うことになった幼稚園でも、フォーキーの存在が彼女の支えになっていた。
それを観たウッディは、「(自分が可愛がられることはもうないけど)ボニーがとてもかわいがっているこのフォーキーを守ることが自分の役目だ!」と使命感に燃える。
『もう俺にはこれしかないんだよ!』というウッディの本音
しかし、ボニーの大切なフォーキーが、たまたま立ち寄ったアンティークショップの人形たちに囚われてしまう。
ボニーのために、なんとかフォーキーを取り返そうとするがあえなく失敗。
それでもなお、危険を冒してフォーキーを救おうとするウッディを見て、
かつての意中のおもちゃ、『ボー』が一言。
「なんでそんなに必死なの?」
それに対しての返答が、
「もう俺にはこれしかないんだよ!」
というウッディの心の叫びなのでした。
『人の役に立っていなければ、求められていなければ、自分はここにいてはいけない』というメンタルモデル
ここから透けてみえるウッディのメンタルモデルは、『役に立っていなければ、求められていなければ、自分はここにいてはいけない』という痛み。
かつては、アンディという持ち主から可愛がられることで、ウッディはその場所にいることが出来た。
今のボニーという主人はあまり可愛がってはくれないが、ボニーが可愛がっているフォーキーを守ることで、ボニーの役に立つことができる。
だから、俺はここにいていいんだ。
と認めることができる。
逆に言えば、
可愛がられなければ、役に立てなければ、
俺はここにいられない、いてはいけない。
そんな痛みが凝縮された「もう俺にはこれしかないんだよ」の一言に、
図らずもグッと来てしまった。
十全な私から生きることでしか体験できない豊かさがある
この映画は、クライマックスは、ぜひご自身でお確かめください。
ただ、人間だれしもウッディと同じように、恐れや痛みを持っている。
そして、恐れや痛みを回避することだけに全力を使って生きている。
でも本当は、何も欠けていない十全な私から、ただ表現したいことを表現して生きていく。
そんな生き方もある。
ウッディの例で言えば、、、
求められないと自分の存在意義を感じられないから、人に役に立とうとする、のではなく、
誰の役に立とうと立つまいと、私は私であっていい、そして人の役に立ちたい、と、
十全な私を起点に生きていくことが出来る。
やっていることは同じでも、そんな起点から生きていくことでしか、体験できないつながりや豊かさがあると信じています。
その豊かさを感じてみたくなったら、統合ワークかメンタルモデルの紐解きセッションを受けてみてください。
最後まで読んでくださりありがとうございました。
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