自己紹介~『人間ではない人間』とはどんな存在なのか?
このブログを訪れてくださりありがとうございます。
失敗作と言われたゆとり世代のど真ん中、平成3年生まれの岡本耕平と申します。
僕は長らく人間ではありませんでした。
「・・・お前は妖怪人間か!」と突っ込みたくなるかもしれませんが、しばし我慢してお付き合いください💦
世の中には、生物学的には人間だけど、人間ではない人間が一定数存在しています。
そして、『人間ではない人間』は、どうしようもない生きづらさを抱えています。
しかし、『人間』が『人間ではない人間』の生きづらさを理解することは出来ません。
なぜなら、『人間の世界』と『人間ではない人間の世界』は、世界線が違うといっても過言ではないくらい感覚が異なるからです。
この両者の隔たりを埋めるために、このブログでは『人間ではない人間』の感覚についてたくさん綴っています。
そのエントリーとして、この記事では、
『人間ではない人間』とは何なのか
『人間ではない人間』の特徴は何か?
『人間ではない人間』が人間になって感じたこと
こういったことを詳しく書いてみました。
『人間ではない人間』について、理解を深めたい方は、ぜひ最後までご覧ください。
人間ではない人間とは何なのか?
今後変わる可能性もあるという前置きをしつつ、現時点ではこんな風に説明したいと思います。
人間ではない人間とは、生々しい感情を共有する経験をしてこなかったために、他者、および自身の感情の生起に気付きにくい人間のこと。
『生々しい感情を共有する』とは、嬉しさや喜びなど、プラスの感情だけでなく、怒りや悲しみなどマイナスな感情も含めて、他者と共有しあうことを指します。
これらの体験を十分にしてこなかった結果、他者だけでなく、自分自身の感情(身体反応)にも気付きにくくなってしまったのが、人間ではない人間と僕が呼称する状態です。
人間ではない人間の特徴
人間ではない人間にはこんな特徴があります。
思い当たる人がいないかな~と考えてみてください。
自分の欲が分からない
人間じゃない人は、自身の感情、すなわち身体感覚を感じ取ることが苦手です。
そのため、身体知に根差した自分の欲に気が付けません。
欲がほとんどないんだよね、とミニマリスト風に言っている場合もあれば、社会的な情報に影響されて、欲しくもないものを欲しいと言っている、というパターンもあると思います。
人の喜びが自分の喜びにならない
相手の喜びを喜ぶには、相手の喜びの身体感覚を自身の身体に投影する必要があります。
言葉で書くと難しいですが、相手が喜んでいるのを見て、胸が温かくなるとかいう現象ですね。
人間ではない人間は、自分自身の感情も、他者の感情も捉えるのが苦手です。
なので、相手が喜んでいたら自分も嬉しい、という感覚を抱いた経験が少なく、「自分が満足することが大事」と他者評価に依存しないことを誇らしげに言ったりします。
人間が「自分が満足することが大事」と言うのと、人間じゃない人が「自分が満足するのが大事」というのはちょっと違うんですけどね。
感情を出すことは良くないことと思っている
人間じゃない人間は、自身の感情‘を表すことが非常に苦手です。
そのため、感情を表してくる相手は超苦手です。
世間的にも、「感情を出してはいけない」という風潮が強いことと、自身の苦手意識と合わさって「感情を出す」=精神年齢が低い、と見下しがちです。
本当は、怒りも悲しみも、その奥にあるニーズと合わせて共有することが大切なんですが、、、、
そのような体験をしてきてないので、感情を表した先の世界が分からないんですよね。
いつも頭で考える
人間ではない人間は、頭で物事を考えがちです。
思考の優位性がかなり強いので、自分自身の身体知よりも情報からの影響を受けがちです。
例えば、僕は『高め合えない友達はいらない』と思い込んでいました。
友達といるときに、本当は心地よさ・幸福を感じていたのですが、その思考が邪魔して、その身体反応を味わうことができませんでした。
人とのつながりを信じきれない
人間である人々は、根拠のない絶対的な安心感を持っています。
何があっても家族は家族だ。
何があっても、この人とはずっと友達だ。
人間は、この根拠のない絶対的なつながりを信じられます。
絶対性など存在しないということが証明されてしまった現代において、これらの思い込みは錯覚でしかないんですが、それでも信じられるんですよね。
一方、人間でない人間は、絶対的なつながりを信じることができません。
なので、心の底で「自分はいつでも独り」という寂しさを抱えたまま生きています。
人間ではない人間が生まれる過程
感情の共有を十分に経験してこないと、人間ではない人間が生まれます。
特に重要なことは、怒りや悲しみなどの負の感情を誰かに共有し、受け止める経験を積むこと。
喜びや嬉しさなど、プラスの感情ももちろん大事なのですが、怒りや悲しみの感情を出すことが世間的に抑制されているため、そこがネックになりがちなんです。
感情は、『一番生々しい自分自身』であり、その感情を出せない、認められない、ということは、『自分自身を認められないこと』と同義です。
僕は昔から、悩んだことはひたすら自分で飲み込む、ということを繰り返してきました。
辛いこととか嫌なこともそりゃ当然にあったけど、誰かに心配をかけたくなかったんです。
嫌だったことや悩んだことは、誰にも話さず、自分の内にしまい込んで時の経過とともに忘れるのを待つ、ということをずっと行ってきました。
その結果、自分自身と自分の感情を完全に切り離す術を身に付けてしまい、自分の感情にも、他者の感情にも気づきにくい、という『人間ではない状態』になってしまったんですね。
人間になった先の世界と、このブログについて
ここまで書いてきたすべては、人間ではなかったときに感じた自分の実体験に基づいています。
当時、一番つらかったことは、人間じゃないと心から人と繋がれないこと、でした。
本当は人とつながりたいのに、、、つながった気がするのに、、、ぬぐえない孤独感がずっとある。
「このまま生きていても幸せになれない」
自分の人生に行き詰まりを感じた自分は、『人間になろう』と決断しました。
2019年の春ごろだったと思います。
どうしたら人間になれるのか?
そもそも『人間になる』って何なのか?
当時は全く分かりませんでした。
ですが、そのときの決心が良縁を紡いでくれ、今は少し人間に近づけた気がします。
人間にとっては、当たり前の『人間の世界』ですが、『人間ではない世界』から来た僕にとって、『人間の世界』は彩豊かでした。
誰かに共感できた瞬間
自分の欲に気付いた瞬間
どうにもならないもやもやを味わっている瞬間
今までは自分から切り離してきた感情を自身の身体でよく感じるようになり、そして、アンコントローラブルで非合理なそれらの体験を面白く思っています。
このような、人間だからこそ感じることのできる豊かさを伝えていきたいと思ってこのブログを書き始めました。
人間の皆様には、「ああっ、この感覚は人間だから味わえるんだな」と人間であることの素晴らしさを感じてもらえればと思っています。
人間でない皆様には、「ああっ、だから自分は生きづらいんだな」と自分の状態を客観的に認識してもらって、人間になるきっかけをつかんでもらえればと思っています。
毎週日曜日に更新していきますので、気に入ったらフォローしてもらえると嬉しいです^ ^