いつだって必死に生きてきた。ただそれだけだ。
小学校を卒業するときに、担任の先生の計らいでタイムカプセルを作った。
埋めると探すのが大変!ということでタッパーにいれて先生が保管することにした。
なので、カプセルじゃなくて、正確にはタイムタッパー。
「10年後にみんなで集まって開けようね!」って話してたんだけど、中々機会が作れず、気が付けば小学校卒業から20年経過してしまっていた。
そして昨年、ようやく同窓会を開くことができ、ようやくタイムタッパーを開けることができた。
「このタッパーどうしよう?💦」と悩みながらも20年保管してくれた先生には感謝である、笑
中には10年後の自分に宛てた手紙が入っていた。
すごく感じるものがあったので、ここで紹介してみたい。
僕の知っている『小学生』という生き物は、もっと無邪気な存在なんだけど、、、どうも自分は違ったようである。
この頃から、自分が自分であることに悩みながら、それを一人で抱えながら生きてたんだな~って思うと、当時の自分を抱きしめたくなった。
自信過剰になったっていいし、むかつく奴と同じ振る舞いをしたっていい。
誰かにあたりたいくらい辛かったら、誰かに助けを求めたっていい。
今だったらそう思えるけど、当時はそんなこと絶対できなかったよねってすごい分かる。
いつだって必死に生きてきた。ただそれだけだ。
昔から、なんで自分は自分の目線でしか世界を見れないのか不思議でしょうがなかった。
自分の目線じゃない、他の人の目線で生きたかった。
自分の目線で生きていくことに希望を感じなかった。
それくらい、自分が自分であることが嫌でたまらなかった。
でも、他者にお引越しなんて出来ないので、こんな自分でも世界に受け入れられるように、必死に生きていくしかなかった。
ただそれだけだった。
本当に。
そこに気付いたとき、私をここまで運んでくれた過去の私に感謝が湧いた。
「私は私で良かった」
とは、まだ完全には言い切れない。いやっ、というよりもしっくりこない。
「私は私である」
うん。こっちだな。こっちの方がしっくりくる。
私は私だ。
そして私は私を生きる。
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