やりたいことを過去から探してはいけない理由
幼少の頃は誰もが自由に夢・やりたいことを描くと言います。
でも、僕は幼少のときでさえ、やりたいことを抱いたことがありませんでした。
他のみんなはやりたいことを持っていることが不思議で、『やりたいこと』がないことに劣等感を感じてさえいました。
そして、やりたいことがないにも関わらず、学力でとりあえず理系大学を選んだ結果、大学院を途中で中退し、沖縄の離島に旅立つ、、、
という具合に、人生散々迷ってきています。
でも、そんな風に迷ったおかげで、『やりたいこと問題』は僕の中で解決しました。
転職が当たり前になってきている世の中、自分の人生見つめなおさなければならない機会は、以前よりも増えてきています。
そんなタイミングで『やりたいこと迷子』にならないように、僕が考えてきたことをまとめておきたいと思います。
自分の人生、キャリアに悩む誰かに届くといいな。
過去を分析するとやりたいことが見つかるという誤解
自分のやりたいことを見つける、みたいなことをやると、必ず登場するのが『自己分析』です。
自分の人生の起伏を表すライフストーリーチャートを書いたり、、、
幼少期に好きだったこと、嫌いだったことをたくさん書いたり、、、
僕も散々やりました。
自分を知ることが大切なのは間違いがないので、自己分析の価値自体は否定しません。
でも、この自己分析によってやりたいことが見つかる、と思っているならば、それは間違いです。方向性を間違えています。
なぜなら、『やりたいこと』なんてそもそも存在していないからです。
無いものを探したって見つかるわけがありません。
存在していないはずのやりたいことを多くの人が捜し求めてしまうのは、以下のような理由があると思います。
過去から現在に渡って一貫した自我があるという誤解
矛盾を嫌い、一貫性のある物語を好む脳の習性
そういう成功者のストーリーに染まっている
この辺を詳しく書くとものすごく長くなってしまうので割愛しますが、人間という存在への誤解、人間自体の習性や社会的な影響で、「やりたいことがどこかにあって、自己分析したり、何かの拍子にそれが見つかる」と思わされている人が多いんですね。
僕もその一人でした。そして、それによってだいぶ生きづらさを抱えていました。
やりたいことは『見つけるもの』ではなくて『決めるもの』
ただ、自己分析をした結果、やりたいことが分かった、という人がたくさんいるのは事実です。
その理由は、自己分析による『発見』をきっかけに、『決断』をすることができたからです。
やりたいことは、見つけるものではなくて決めるものなんですね。
重要なのは決断をすることであり、自己分析はそのきっかけになったに過ぎません。
その順序を間違えるからこそ、「自己分析をしたのにやりたいことが分からない」という困りごとを抱えてしまうことになります。
どんなに自分のことを知っても、決断する勇気が持てない限りやりたいことは決められません。
決断が伴わないと「やりたい!」で終わります。その先の行動につながらず、「やりたいことが分からないな~」と再び悩むループにハマります。
僕も、長らく生徒と接する立場にいたので、このカラクリを知らずずっと苦労してました。
決断をするには情動でスイッチを押す必要がある
以前の記事でも書いたのですが、決断のスイッチは情動でしか押せません。
これはもう人間の脳の構造上そうなっているので諦めるしかありません。
自己分析によってやりたいことが見つかった人は、
「あっ、自分はこういうことが好きだったんだ!」とか
「こういうことに向いているかも!」などといった
新たな自分を発見できた喜びで決断のスイッチを押すきっかけをもらえたんだと思います。
あくまできっかけに過ぎないので、喜びと共に決断をすることは必須ですが。
何度も書いてますが、決断が主で自己分析が従です。
要は決断さえできれば、自己分析なんてしてもしなくてもいいんです。
前澤さんみたいに「宇宙に行く!」でいいんです。
僕みたいに「カウンターキッチン付の家に住む!」でいいんです。
いやっ、スケールが違い過ぎるから並べて書くなよこれ。。。
仕事上、高校生と接する機会が多かったのですが、多くの生徒が「進路が決まらない」と悩むんですね。
HP見ていろいろ調べたんだけど、決められないんですよ、と。
そんなの当たり前で、何かしらの情動が動かないと人間は決心できない生き物です。
HPで情報を調べるだけでは、情動まで動く体験をするのは難しい。だから、「とりあえず実際に現場を見てくる」しかありません。
そこで「あの先輩かっこいい」でも「大学の校舎がきれい」でもなんでもいいから情動が動く体験がします。そうなって初めて「あっ、ここに行こうかな」という決断ができるようになるんですね。
自己分析も新たな自分を発見できたり、上手な人がサポートしてくれたりすると、そのような情動が発火することがあります。
そのタイミングで『決断』できた人が、自己分析でやりたいことが見つかった人たちです。
そうはいってもやりたいことがないのはなんか嫌だ
そうは言っても、、、
「やりたいことがあって真っすぐに頑張っている人や、誰かのために頑張っている人に憧れる。自分はそうなれていない。どうすればいいのか?」
そんな風に、人生に一生懸命になり切れていない自分に焦燥感を感じることってあると思います。
僕自身もずっとそう思ってきました。
今なら分かる対処法はこうです。
あなたはあなたでしかないから諦めましょう。
自分の身体でしっかり世界を感じましょう。
そして待ちましょう。
以上になります。なんだか宗教団体の教祖様みたいな物言いになってしまいました。
自分は自分でしかないという諦め
あの人はすごいのに、自分は、、、という焦りは、自身の劣等感が色濃く反映されています。
劣等感は、他者や社会の物差しと比較して生まれる感情です、
いい大学を出てるんだから、もっと稼いでないとだめだな。
発展途上国のために一生懸命に活動していて本当にすごい。自分はなんで、そういう気持ちを抱けないのか。。。
こんな具合で、必ず自分由来ではない物差しを伴ってしまうのが、劣等感なんですね。
あっ、ちなみにこれ僕のリアルな劣等感です。なんとかしたい、笑
劣等感で行動し続ける限り、自分ではない外部の物差しを基準にして動くことになります。
これでは、いつまで立っても自分の基準を作れません。したがって、やりたいことも決められなくなります。
焦る必要はありません。やりたいことがないならない。
今その状態のだけです。それがあなたです。
潔く諦めましょう。
ただ、そんなことを言われても、その事実を受け止めきれない自分が出てくると思います。
温かくスルーしましょう。
「そうか、やりたいことがないって状態が不安なんだね。そうなんだね。」
でOKです。
僕自身もとある方から同様のアドバイスをもらって、腹落ちするまでに1年かかりました。
気長に温かくスルーしてください。
自分の身体を通じて世界を良く感じること
やりたいことを決めるときに、よくやりがちな間違いが『頭で考えてひねり出すこと』です。
これをやっていたら、やりたいことは絶対決められません。
自己分析も悪くやるとこのパターンに陥りがちなので注意が必要です。
先ほども書いたように、決断するには情動が必須で、思考ではこのスイッチは押せないからです。
いい感じに自分が自分である諦めができるようになってきたら、自分自身の身体感覚を観察して楽しみましょう。
その中で、自分が幸福を感じる瞬間とか、胸が沸き立つ瞬間を逃さずに捉えていきます。
これらの身体の声は、他者や社会のフィルターのかかっていない、自分自身の生の声になります。
身体の生の声は、やりたいことを決めるときに、非常に重要です。
身体反応は情動そのものであり、身体反応であれば決断のスイッチが押せるからです。
ただ、しっかり観察したり、自分が自分であることの諦めがないと、いろんなノイズが入り、どれが自分の身体の声かよく分からなくなります(ここは完全に経験論)。
なので、焦らずにゆっくり取り組んでみてください。
気長に待つ
焦りは禁物です。
先ほども書きましたが、焦りは自身の劣等感と結びついており、焦っても良いことは何もないからです。
なので、自分が自分であるということに諦めつつ、自身の身体反応をしっかり観察しつつ、それが出来たら気長にのんびり過ごしましょう。
自身の身体反応をしっかり観察できるようになると、自分が欲しいものが明確に分かるようになってきます。
そして、その身体反応を起爆剤に、『決断』できれば、やりたいことが決められます。
やりたいことの規模は大きくても小さくても大丈夫です。
むしろ、小さなところから始めた方がいいかもしれません。
自身の身体の声をベースに決断する、という感覚がつかめれば、たぶんそのうち大きい何かが訪れるような気が僕はしています。
今時点でやりたいことが分からなくても、焦る必要は全くありません。
そういうものです。
今の状態を潔く諦め、自分の身体を手掛かりに世界を探り続ける
これが今の僕が考える、やりたいことがないことへの処方箋です。
最後はかなり抽象的になってしまいました。
まとめ
やりたいことを自分の過去に探してはいけない
→そもそも『やりたいこと』というものは存在しておらず、無いものを探しても見つかるはずがない
→やりたいことは、自分で『決める』が正しい
→決断のスイッチは情動でしか押せない
→やりたいことがないならないで焦らずに生きよう
『やりたいこと探し』という不要な悩みを抱えている人が減ると良いなと思います。
最後まで読んでくださりありがとうございました!