人間じゃない人間は「感情を出す」=「精神年齢が低い」と思っている
この人素敵だな~って感じる人が誰しもにいると思います。
そしてその基準は人それぞれ。
僕にももちろん、その基準はあるのですが、最近、自分自身が魅力を感じるタイプがちょっと変わってきて、「感情表現が豊かで動物的な人」がなんだかとってもチャーミングに映るようになってきました。
感情を露わにする人がものすごく苦手で、むしろ嫌いだったので、そこから考えると、非常に成長したなと我ながら思います、笑
感情を出す=幼い、と思っていた
幸いなことにというか、今となっては悪いことに、、、
世間的には、「感情を出すこと」=良くないこと、というイメージが強くあります。
そのため、職場では理性的であることが求められ、感情を出すことは良くないこと、とされがちです。
実際に、人間でなかったときの僕は感情的になる人がものすごく苦手でした。
苦手なタイプは?と聞かれたら、「感情的な人」とすぐ答えられるくらい苦手でした。
感情表出に関しての世間的なイメージも手伝い、「感情的な人は精神年齢が幼い」と卑下してさえいました。
「感情のコントロールができないなんて幼いな~」と。
もちろん、アンコントローラブルに怒鳴り散らすことを推奨するわけではないのですが、怒りや悲しみも含めて、自分自身の感情を共有し、他者の感情を受け止めることは、大切なことだなと今なら思います。
押さえた感情は心に溜まり続ける
人間でなかった当時の自分は、感情的になることがなかったため、「自分は感情をコンロトールできている」と思っていました。
でも、人間になって振り返ってみれば、自身の感情が見えないようにフタをしていただけで、まったく上手に消化できていなかっただけ、ということがよく分かります。
そういうことを続けていると、自分の感情に気付きにくくなり、さらに『人間ではない人間』に近づいていってしまいます。
感情はコントロールするのではなく、とにかく味わうもの
そもそも『感情をコントロールする』という表現が良くありません。
というのも、人間の感情は非常に不合理でアンコントローラブルだからです。
いくら自分が悪いと思っていても、頭ごなしに叱られたら、自分の非を素直に認めるのって難しいじゃないですか。
合理的に、理性的に、コントロールなんてしようとしたってできるものではなく、人間として生きる以上、自然に生じてしまう生理現象なので、『コントロール』しようとするのは筋が良くありません。
大切なことは、生じた感情をしっかり感じて観察すること。
人間は本当に天邪鬼な生き物なので、コントロールしようと思えば、暴れ出し、コントロールを手放したら、自然に落ち着くようになる。
だからこそ、感情は不用意に抑え込んでいいものではない。
出る時には出てしまう排せつ物のようなものなので、感情を出す=精神年齢が低い、というのは人間ではない存在からみた世界観だったのかなと今なら思います。
まとめ
人間じゃない人間は、感情表現が苦手
→感情を出す人は精神年齢が低いと思っている
→感情は生物としての人間の排せつ物のようなものなので、出るのは止められない
→感情はコンロトールするのではなく味わい尽くそう
最後まで読んでくださりありがとうございました!