失敗は成功のもと?
おはようございます。
とても久しぶりの更新です。更新していなかった理由があるとすると私事ではありますが、先日国家試験を受験しまして、その受験勉強があったためになかなか趣味であり、自分のメモがわりであるnoteが書けなかったということがあります。
まあ、実際はその勉強の合間でもかけないことはなかったのですが…笑
とりあえず、今日は「失敗は成功のもとなのか?」ということについて考えてみます。
失敗は成功のもとなのか?
結論から言うと僕は失敗は成功のもとであると思います。
ただ、成功には失敗が必ずしも必要ではないと思いますし、失敗しないこともあると思います。そして失敗したからと言って必ずしも成功するとも思いません。
なぜ「失敗は成功のもと」になるのか
おそらく失敗が成功につながるにはいくつか条件があるように思えます。
僕の中で今考えついていることが2つあって、
①失敗を糧にしようとする意思があること(自らフィードバックする・他人からのフィードバックを受け止める)
②目標に向かって多様な場で経験(失敗)していること
が成功につながる条件かなと思っています。
最近気づいてきたのが、失敗は成功のもとというのは一種の学習だということです。僕らが何かできるようになるというのは基本的に学習が関与しています。運動を学習する場面でなくても、この考えは生かせると思います。
つまり、何かをして得た経験・結果を自分でフィードバックする、他人にフィードバックしてもらい、現在地を知る。
そして同じ場での経験だけでなく、少しずつ変動生を持たせた環境で経験を積無事で自然とアトラクターが深まっていく。
アトラクターが理解され、深まることでフラクチュエーターに対する制御だけで済むようになり、以前よりも上手に、理想的なパフォーマンスが発揮できる。
こんな感じで繋がっているのではないかなと思っています。
なぜこんなことを思いついたのか?
最近、少年野球チームに出向いてトレーナー目線から考えた野球の練習を指導しにいく機会がありました。
僕は普段、トレーナーとしては大学生選手を対象としていたので小学生を相手に指導するという経験は初めてでした。
結果。なかなかやって欲しいことが伝わらなかったり、何度も選手がバットを振っている選手の近くに行ってしまったり、すぐに遊びだしてしまったり…
大学生のコミュニケーションとは全く別物だなということと、小学生とコミュニケーションをする機会の圧倒的不足を感じました。
一緒に指導に入った、小学生などの子供たちを普段相手にしているトレーナーさんからは圧倒的場数不足ということを言われました。
また、高齢者・大学生・小学生など全く違う対象とたくさんコミュニケーションすることで、「共通していること」と「対象ごとに変化させないといけない部分」が見えてくるということをおっしゃっていました。
これってまさに「アトラクター」と「フラクチュエーター」なんじゃないかと。僕ら人間が何かを学ぶときにアトラクターを深め、フラクチュエーターには対応するという基本構造を持っているのではないかと思いました。
自動車を運転するときもそうです。運転したての頃は運転者間で存在する暗黙の了解みたいなことを知らないので自分自身の運転が危険になってしまったり、右折したいところで右折レーンにうまく入れずに通り過ぎてしまうこともあります。
しかし、色々な道路を走っていくと、「これは右側にいた方が進みやすい道路だろうな」とか、「だいたいこのタイミングでウィンカーを出すと車線変更しやすいな」とかがわかってきます。(アトラクター)
ただし、県によっては運転の粗さや道路の並び(京都であればいろんな通りが交錯しているなど)に違いがあります。(石川県では車線変更の時ほとんどの車がウィンカーを出さずに入ってきます笑)そこはその県ごとにその度調節して行かなければいけないところです。(フラクチュエーター)
今や色々なところで引用される36の基本運動。
あれも僕の中ではたくさんの色々な運動を経験することでアトラクターとフラクチュエーターを理解していくものだと思っています。
色々な運動を通して出来上がったアトラクターがその後に新しい運動を学習するときにも応用されることでいわゆる運動神経抜群な子になるのかもしれないですね。
まとめ
多様性のある経験をたくさん積むことが成功につながる。
その過程には失敗が潜んでいることが多いが、これは全くネガティブなものではない。
うまく利用すれば成功に導いてくれるとてもポジティブなものだ。
何かをできないことを楽しもう。