☀️ アイスがあれば


アイスクリーム。


思えば23年間の短い人生、


嬉しかったことがあった日、


悲しい出来事があった日、


感情が揺れ動いた度に、


俺はアイスを食べていたと思う。


俺のアイスクリームへの愛情は計り知れない。


冷たい食べ物であるから、夏によく食べるのか、


違う。


年中食べるのである。


ご褒美でたまに食べるのか、


それとも習慣的に、毎日のように食すのか、


違う。


食べたいと思った時に食べるのである。


お菓子でもなく、ケーキでもなく、


アイスが食べたい。


この感情の源泉には、果たして何が在るのだろうか。


1番好きなアイスは、


明治 エッセル スーパーカップで


味はもちろんバニラを選ぶ。


たまに抹茶やチョコを食べたくなるけれど、


気がつくと、口に広がっていたのは濃厚で切れ味の鋭いバニラの香り。


歳を重ねるごとに厳しいと感じるその重量感。


しかしながら、


あと一口、あと一口と言っている間に


溶けたバニラを木でできたコンビニスプーンで必死に掬おうとしているのだ。


飯は残さない性分ゆえ、


否、そのことと因果関係があるわけではないが、


カップアイスを2日に分けて食べようなどしたことは一度もない。


そんな丁寧に食べるものではない、アイスは。


野生的に、


本能的に、


無我の境地の中で食すべきなのだ。


アイスを「食べる」という意識が、


いざこのようにアイスへの愛を語りたい、言語化しようと考えた際、


腑に落ちた表現が


アイスを「摂る」


だったのは、


きっと俺自身疲れているからなのかもしれない。


そのため冒頭から「食べる」という表現にしている。


しかしながら、それくらいアイスという存在が、


俺にとってかけがえのないものであることは、


普遍的で、


絶対的な事実である。


人生において、


数え切れないほどの


「我慢」をしてきた。


友達に会いたい、しかし今日は勉強をしないといけない。


欲しい服がある、でももう少しお金が貯まってからにしよう。


でも、アイスにだけは逆らえなかった。


なんたる脆弱なことか。


一度アイスのことを考えると、


募る感情はひんやりとしていて甘い固液体(?)への欲求のみになる。


人類で初めてアイスクリームを発明した人間は、


おそらくその美味しさへの衝撃のあまり息を引き取ったことだろう。



締まりのない文章になってしまったこと、もはや詫びようともする意思すらない。


俺のこの、アイスへの愛情、


支配されるのを渇望する衝動をここまで読んでくれた方に


果たして伝えることができたろうか。


世界では争いが絶えないが、


アイスを食べる時だけは、どうか、


人に対する負の感情、もはや前向きな感情さえ忘れ、


食べることだけに没頭してほしい。


死んで生まれ変わっても、


そこにアイスがありますように。


haru


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