べにと団子ちゃん
前々回のnoteで、中学の頃の友人と無理矢理決別したことをちょこっといったと思うので、今回はその子と私について書いていこうと思う。なんかこれ話したことある人にはエモい!って言われたのでエモいのかもしれない。知らんけど。
私は、中学生の時に大好きなお友達がいた。とってもとっても大好きで、今思うとあれは初恋なんじゃ?と思うほど大好きだった。でもその子は卒業してから一切連絡を取り合ってないし、もはやどこに住んでるのかも連絡先さえも知らない。その子の姿も声も今となっては朧げだ。でも私はその子を忘れられずにいる。最近は毎日夢に出てくるほどで、姿も声もはっきりとはわからないのにその子ってことだけはしっかりと分かるそんな夢ばかり見るのだ。まぁ、その子って呼ぶのもだるいので、仮に団子ちゃんと呼ぶことにする。
団子ちゃんは小学校から学校が同じだった。でも覚えてる限りでは、小学生時代はそこまで仲良しじゃなかった。別に悪くもなかったけど。中学に入ってもやっぱり特に仲良くなるきっかけは無かったと思うけど、なぜかいつの間にか仲良しになってた。あるいは、私が勝手に仲良しと認識するようになった。ほんとのところはもう確認できないから分からない。でも、ずっと一緒にいたことは覚えている。
団子ちゃんは、クラスで大人気だった。女の子だけど背が高くて、かっこよくて、優しくて、頭が良くて、みんな彼女が大好きだった。あと何故か、英語の教科書に出てきた男の子のキャラクターと似てるって理由で変なあだ名もつけられてた。彼女の存在は、私ができる唯一の自慢だった。彼女のお友達でいられたことがすごく幸せだった。
でも同時に、手放さなくてはいけないなと強く思っていた。何故なら私は嫌われていたからだ。今ではなんとも思ってないけど、昔はこれがひどい悩みの種で、私といることで彼女まで嫌われたらどうしようかとヒヤヒヤしてたし関わり続けることに酷く罪悪感を覚えていた。大好きだったから、彼女を不幸にしたくなかった。私のせいで彼女の笑顔に影がさすくらいなら、私のいないところで笑顔でいてもらいたかった。
というのは、全部言い訳で、本当のところは多分、彼女のそばに居続けてそれがいつしか当たり前になってしまったらいつかくるお別れが辛くて仕方ないから、そうなるくらいなら自分で終わらせた方がいいなって思ったんだろう。それに、15の頃の私は本当に命を絶とうとしていたし、このままズルズルといけば命をたった時、少なからずショックを与えるのではないかとか、変な方向に配慮して色々と考えていたわけだ。まぁ、結果としては未練たらたらなので大失敗してるわけだけども。
彼女は当時の私にとっていわば天使みたいな存在だった。幸福を運んでくれる天使だった。でも、なんでそんなに彼女を愛してしまったのかと問われたらそれはおそらく、彼女が自殺しようとしていた私を止めてくれたからで、私の周りの人間で唯一心配する素振りを見せてくれたからで、雛鳥の刷り込みみたいなもので、純粋な愛とは全然違うと思う。別に、心配して止めてくれた人なら誰でもよかったんじゃないかなぁと思うのだ。そこら辺は実験しようがないのでなんとも言えないけど、きっと当時抱いていた私の好きという感情は薄汚いなにかなのだ。
さて、彼女がしてくれた"心配"についての話をするにあたって、私の自殺未遂についての話を今からしなくてはならない。そういうのが苦手な人はブラウザバックをして欲しい。大丈夫な人だけ読み進めてもろてね。途中で無理だって思ったらすぐ閉じて、推しとか幸せになれる何かしらのものを摂取して欲しい。
15歳だった私は、それはもう人生に絶望していた。学校の人たちからはなんとなくうっすらと嫌われて、家族からは別に愛されていなかったからだ。いや、語弊があるな。家族からは家族にとって都合の良いいい子である時だけ愛されていたので、条件付きの愛はもらっていた。でも、私は今も昔もそれに不服だったのだ。だから、8歳の頃からなんとなく抱えていた希死念慮を具現化してみたのだ。リストカットという形で。15歳という、まだまだネットも今ほど普及していなかった時代の若者の自殺における知識はすごく浅い。なので、煉炭自殺か、首吊りか、リストカットくらいしかわたしには思い浮かばなかった。となると、この三つの誰かを選んで死ぬしかない。煉炭自殺?煉炭ってどこで手に入るのかな。首吊り?縄ってどこで買えるんだろう。あ、家にあるかも。うーん、でも引っ掛ける場所ないなぁ。じゃあリストカットか。確か、動脈と同じ向き?縦だっけ、に切ればいいんだよね!と実に浅薄な知識を駆使して自殺するべく日々、太腿だったり左手首を切っていた。同じところを何度も、何度も切りつけて、次の日には傷は塞がってしまうからそこからまた切りつけて日々傷を深くすることに勤しんだ。まぁ、そんなので死ぬはずもなく、今ではただただ白いミミズのようなおびただしい量の線が両太腿の付け根と左手に残っているだけである。
そんなに毎日してたなら誰か気づくんじゃないの?家族とか。と思う人もいるだろう。うちの家族はなんと、驚いたことに団子ちゃんが気づいて担任の先生に助けを求めて、担任の先生が私を2度ほど呼び出してようやく家族に連絡してから私のリストカットについて知ったのだ。知ったからといって何か対策をとるわけでもなく、むしろ責め立てられたし、あとはなんかなぁなぁにされた。つまり、それくらい家族は私に興味がなく、そしてやはり愛してはいなかったのだと思う。
それと、始めた季節がちょうどこれくらいの時期で、制服が長袖だったので全然見えなかったのだ。あと、当時の私はテニスの王子様が大好きで、特に白石蔵ノ介くんが好きだったので彼の真似をして左手に包帯を巻いていたのでばれにくかったのもある。団子ちゃんは確かに命の恩人だが、私にとっての命の恩人といえばこの白石蔵ノ介くんとあとは東方神起だ。東方神起と白石くんの歌を聞いて日々をなんとか生きていた。今もしんどい時はわりと聞いている。(ちなみに何を聞いていたかといえば、東方神起のBack to tomorrowとGood night、それから白石くんのgo onを永遠と聞いていた。ものすごく良い曲だからぜひ聞いてみてね。)
脱線したが、色々私にとって好都合な状況だったので私のリストカットの発見は遅れたのである。団子ちゃんに発見されたのはもう受験が終わるかどうかというころで、私がとある晩になんかクソ意味深なメールを送ったせいで発覚した。なんか、病んではいたので死にたいだか、近々死ぬだか、なんだか忘れたがそんな類の変なメールを団子ちゃんに送ってしまったあと普通に返信だるかったのでケータイの電源切って寝てたら彼女は大層心配したらしく、翌日彼女と私と担任の先生の間で割と大事になっていた。それから、彼女は何かと心配してくれるようになった。これが彼女が行ってくれた助けというか、延命というかそんな感じのあれである。別にしなくてよかったのにな、と今でも思うけどそれと同じくらい気にかけてくれたのはありがたいなとも思っている。
誰も私を気にかけてくれない状態での彼女のような存在はとても救いだった。残念だなと思うのは、もう彼女との繋がりは一切ないのでその恩を返せないまま私はこの先生きてそして死んでいくんだろうなということだ。もし、このnoteを読んでて団子ちゃんは私では!?って思う人がいたら是非連絡してほしい。違ったらごめんけども。うそ。連絡しないでほしい。というか、お願いだからしないで。でもどうか私が貴女を思い続けていることだけは許してほしい。
今も昔もこんなクソ重い感情を抱えているわけだが、私はそれが15歳の彼女には重すぎることを知っていた、そしてきっと抱えきれないことも知っていた。だからある日パッタリと連絡を切ったし、在学中も彼女に負担をかけすぎないように徐々に距離を空けていたように思う。それに対して彼女がどう感じて、何を考えていたかはわからないけどそれが正解だったと私は信じてやまない。これでよかったのだ。貴女の人生に私はいらない。でも、貴女がいてくれて本当に良かった。貴女が幸せに生きるのをそばで見ていられないのは非常に寂しいし、悔しいけど、私を貴女のそばにおき続けてはいつか貴女を私の家族同様に不幸にしてしまうから、離れられて良かった。どうか幸せでいてください。どうか私のことを一時も思い出さないでください。私のことは全て忘れてほしい。ずっとずっと、貴女が好きだしずっと愛しています。もう姿が朧げでも、声が思い出せなくても、貴女という存在は私にとってかけがえのない存在なのです。
ご覧の通り彼女を失って未練たらたらな訳だが、それでも、彼女の人生に私という一滴の黒い絵の具を落とし続けずに済んだことは非常に誇らしく思う。透明な水に一滴でも黒い絵の具を垂らしたらその水はもう透明には戻らない。でも、新しい人と出会い水を継ぎ足して入れ替えていけば、そして新しい黒い絵の具が垂らされない状況にあればその水はいつかまた透明に戻る。だから、これでよかったのだと思う。私のいない人生できっと彼女は健やかに幸せに暮らしている。そうであってほしいし、そうでなきゃ困る。血の滲むような思いをして彼女との縁を切ってしまった意味がなくなってしまうから。
これって、エモいんだろうか。なんか、私からしたらただの私の激重未練たらたら話なので気持ち悪さしかないが。どうなんだ?よく分からん。でも一説によると百合らしい。そうなんだ。こんなきもい百合ってあるの?世の中広いね。まぁ、団子ちゃんと私についてはざっとこんな感じである。
あと特筆するなら、卒業式の時に女の子だから制服にボタンがないしボタンはもらえないから名札を交換したくらいだろうか。まぁ、ちょっと嫌がる彼女に無理言って交換してもらったのだが。でもそれも、一人暮らしをしていた時のある日の朝、彼女への未練を断ち切るためにゴミに出してしまった。全然できてないのでお笑い話である。
私は重く、悲観的で、誰の人生においても特には要らない存在であると自認している。今、奇跡的に私と仲良くしてくれている人はいれど、この先いつか団子ちゃんのように私の方からさよならをしないといけない日が来るんだろうなと思う。私がその人たちを私の重さで潰してしまう前に、あるいは私がその人たちから一生抜け出せなくなるほど愛してしまう前に。きっとさよならしたら団子ちゃんのようにその人たちのことも回想する日々になるんだろうな。
今だって少し危ないのだ。私の話を否定するでも肯定するでもなくただただ聞いてもらえるし、それがとても嬉しい。なんでも報告してしまいたくなる。親でも、家族でも、なんでもないのに。心がちゃんと大人になる前に体だけ大人になってしまったがために少しでも誰かに気にかけられると嬉しくなってその人に何でもかんでも報告してしまいたくなるのだ。本当に短慮である。非常に恥ずかしいとも思う。でもなかなかなおらない。直せたらいいな。直すから、もう少しだけ我慢してもらいたい。
この悪癖のせいで、この間、それいってて恥ずかしくないの?と問われたことがある。その時は、自分の悪癖に気付いていなかったので憤慨したがよくよく考えてみればその人の言ってることの方が真っ当なのだ。ただの友人から親、家族のように何でもかんでも報告されるのは気持ち悪いだろう。そしてものすごく自分の浅慮から取った行動を今では恥じている。私はちゃんといつか大人になれるだろうか。私はちゃんと恩を返せるだろうか。返すとしたらどうしたらいいんだろう。たくさんもらったのに、私では何一つ返すことができない。それがものすごく悔しい。返さなくていいよと、もしかしたら言ってくれるかもしれない。でも、それではダメなのだ。貰った以上になにかを私は返したいのだ。好きだから。最近はずっとそのことばかり考えている。そして、それも大事だけど課題もしてくれと自分に思っている。
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