べにとラブについての色々
こんにちは。べにです。
日本はどうやら冬らしい。雪も降ってるんだとか。私は今、日本にいないからよく分からないけど冬は好きだし雪も好き❄️☃️❄️(豪雪地帯の人が聞いたら怒るかもしれないけど、あまり雪の降らない地方に住んでたから許してくれ)
と、これを書き始めたときに思っていた。そんな今は秋である。秋ねー。べには秋の晴れた少し気温の高い日の午後が好きだよ。あと芋のお菓子。
前々回、わたーめへのラブについて書いた。しかし、あれは正直どうなんだという気持ちで今はいっぱいである。公開処刑すぎん?(気になる人はリンク先へgo go go)
https://note.com/kougyoku218/n/nea0a3a3804e6
まぁ、そんなことは置いておいて。
前々回も少し書いたことだが、今回は私のラブについての私信をより詳しく綴っていきたいと思う。
ラブ。愛。あい。amor。love。いろんな呼び方があるこの不思議な感情。誰もがだれかに対してだけではなく、物など、何かしらに対して持っていると思う。ラブを持っていない人はいない。
でも、それを何に向けるかは人それぞれだとも思う。
私のラブについては、非常に偏っているし多分少ない。私の好きな物、つまり私がラブを向けているモノは多分両手で足りてしまう。だからといって深く美しいものかと言われたらそうでもない。
ラブと聞いたら、おそらく大体の人はキラキラしてて美しい感情を思い描くと思うし、私もその1人だった。でもこの世にラブは人の数だけ、もしかしたらそれ以上、形を変えて、色を変えて、重さを変えて、様々な姿で存在するのではないかと最近は思っている。
というのも、向けてる対象が少ない私のラブでさえ、形、色、重さはそれぞれ違う。
例えば、前回書いたわたーめへのラブなら形はきっと雲みたいな形で、色は薄いピンク色、重さは大きめの石10個分くらい。これが重いのか軽いのかははわからないけど、とりあえずそんな感じなのだ(語彙力が欲しい2021)
つまり、ラブとは一つの物差しでは測れない。これが私信の一つめである。
人には人の乳酸菌だし、人には人のラブ。みんなも覚えて2021。
つぎに、ラブとは必ずしも美しいものではないと私は思っている。これが私信の二つ目。いろんな形のあるラブは映画やテレビ、そして本などでみる美しいものばかりではないのだ。例えば、世に沢山いる毒親。私の親も多分それに属する人たちだけど、彼らは彼らなりの愛を彼らのこどもなりなんなりに愛を注いでいるはずなのだ。(だから許せって話ではない。絶対ない。むしろ毒親の被害者は彼らに怒ってよい)
どんな形でもどんな色でもラブ。それがラブの良いところであり残酷なところであると思う。ああ、なんて素晴らしきラブ!薔薇のように美しくそして棘を持っているのね!
そんなラブなんだけど、ラブは薔薇だからお水をあげないと枯れてしまう。ラブにとってのお水とは何か?これもラブである。正確にいうと、他人からもらったラブだと思う。誰かにラブ注がれ続けることで、ラブを生み出す心が生まれるんだと思う。ラブは消耗品だから、注ぎ続けないといずれなくなってしまう。だからもし、これを読んでるあなたに大好きな人とか物とかがあったとしたら全力でラブを注いでほしい。そして、ラブの塩釜焼きにしてあげて欲しい。ラブはあればあるほど良いって神様も言っとった。たぶん。そんで、世界中がラブで満たされてくれればいいなと、私は切に願っている。
ラブっていいな。