【30分日記】2024/11/09 自分のご機嫌が取れない謎
執筆開始 ー2024/11/09 22:03ー
皆さんは自分のご機嫌をどう取っているだろうか?私は自分のご機嫌を取る事が非常に難しい人間だと思っている。
今日はお家に引きこもる予定だったのだが、急遽お出かけする事にした。何故かと言うと、自分が気になっている本が昨日から発売しているからだ。
知識検定という検定について、結構前から気になっており、この度本が出るとの事で、ぜひ買いたいと思った。
しかし、よく行く本屋には置いていなかった。まあ、無いならないで仕方ない。
で、その後はゲームセンターにて遊ぶ。本屋の上の階にあるので。
私は音ゲーをよくプレイしている。音ゲーと言っても、まあmaimaiという音ゲーばかりしている。
で、音ゲーというものは基本的に演奏の上手さに応じてスコアというものがでる。そして自分が目標とするスコアが出ると嬉しくなる。これが音ゲーというものだ。
今日のプレイでも自分が目標としてるスコアをいくらか出すことが出来て、普通であればよかったと思うところである。
しかし、私は出来た事柄を褒め称えるよりも出来ない事をずっと責める事の方が多い。
この時点で普通に生きてる人であれば「???」と思うだろう。そりゃそうだ、出来た事柄を褒め称えた方が精神的にもいいし、次も頑張ると思えるのだ。
しかし、私はかなりの確率で出来る人を標準にしてしまい、出来てる人がいるのだから自分が出来た所でなんなのだ、と思ってしまう。
そして、これが行き過ぎると、自分が出来ないと周りが出来ているのに出来ない自分はなんと弱い事か雑魚であるか、と考えてしまうのだ。
音ゲーもとい、ゲームというのは本来、自分以外と共有する時は友達以外にするものではないものだと考える。
インターネットが発達した以上、ランキングなどが出てくるのは当たり前、自分より上手な人が現れるのは当たり前なのだ。
そんなのと自分を比べていたら、自信もクソも無くなってしまう、そんなのは当たり前なのである。
それを分かっていながらなぜ、この思考プロセスが生まれてしまうのか。マゾすぎるだろ。
そもそも、自分なら出来ると思うことはとてもいい思考なのだが、この場合は『他人が出来るなら』という、あんまりにも傲慢な思考が前提である。
人の能力とは千差万別、もちろんめちゃくちゃに上手い人は凄い、そんなのと比べて自分は…と思う事もあるというのは理解して欲しい。
しかし、自分が出来たということを誇れる人間になれれば、人生はグッと楽しくなる。他人は他人と割り切る事が出来るようになれ。赤の他人と比べる事になんの意味もない。もしも比べるのなら、自分の知り合いと、競い合う目的でやるのだ。比べるとは本来こうやってやるべきなのだ。
日記を書いててこの事に気がついたのなら明日の俺はきっと今日よりいい人生となるはずだ。
まあ今日は何にせよ、自分のご機嫌を取る事に失敗した。
本当は普通にご飯とか炊いてたけど、とりあえず半額の惣菜やらと酒買ってこういう時は忘れようぜ。な?
では、まだまだ飲みますので失礼。
執筆終了 ー2024/11/09 22:24ー
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