06 さよなら、僕の平和な日々よ
僕は中学のころ、柔道部に所属していた。空手部も合気道部も存在しなかったからだ。
そのため学校行事の一環で、柔道のちょっとした大会に出たこともある。チーム全体での総合優勝経験も一応あるが、僕の習ってきたものは、柔道ではなく合気道と空手なので、個人では結局大きな大会では成果を果たせたことはない。
それでも一応経験者にはなるので、普通なら高校でも柔道部に所属していてもおかしくはないのだが、僕は部活動の類いは一切行っていない。
そのわけは、中学の頃に起因していた。
というのも僕はすでに中学の頃から、美佐子さんに振り回されっぱなしで、突然『今日、店番頼むわよ』と宣告されるため、どうしても部活動に熱心というわけにはいかなかった。
一年生の頃からそうなのだから、縦社会である体育会系に所属している僕は、当然のように先輩に呼び出されたわけだ。
部活を勝手に休むなんて生意気。
ちょっとばかり強いからって、勘違いしていやがる、とかなんとか、一方的な理不尽な理由を突きつけられて。
とりあえず何発か殴らせてやれば、満足するだろうなんて思っていた僕だが、前歯を折られた瞬間に不覚にもキレた。
同じ柔道部の先輩なのだから、そりゃ体格はいいし力はあるわで、どう考えても多勢に無勢な僕は、ぼこぼこにされる運命だったのだろう。だがキレて前後不覚になったあとは、逆に先輩たちを再起不能状態にしてしまった。
これで僕の立場は非常に微妙なものとなってしまった。
他の先輩たちには一目置かれ、先生たちには目をつけられ、同級生の一部や後輩たちには誤解のために恐れられと、居心地の悪い三年間を過ごすことになったのだ。
だからあえて僕は高校に入ってから、部活動はしないことにしたのだ。熱心な勧誘は当然あったのだが、同じ中学の先輩や同級生らが、親切にそのことを教えてくれたらしく、熱烈な歓迎はやがてなりを潜めた。
だから放課後の体育館というのは、懐かしい感じがした。体育の授業はやれと言われたことをやっている感覚だが、部活というのは自分がやりたいことをやっている感覚がする。
もちろん結局のところは、やれと言われたメニューを消化していくわけだから、純粋に自主的な活動はできないわけだが、それでも自分が好きなことをしているんだと実感する。
借り物のユニフォームとナイキのバッシュは、どうにもこうにも……汗臭い。はっきりいって『うえっ』という感じだが、しょうがない、マック食べ放題のためだ。
ウォーミングアップのために、軽いランニングに入る。僕は毎朝ランニングをしているので、このくらいでくたびれたりはしない。僕を入れて五人の選手らと共に走りながら、僕は体育館の中の様子を観察していた。
第一体育館はバスケのコートが二枚に、ステージがある。そのほか、本格的な試合のために、コートを一枚にして使用できるようにもなっている。つまり、ゴールは六つある。四つはステージから見て左右にあり、残る二つは上下に移動式で二つだ。なかなか便利な作りではあるが、弱小バスケ部にこんな設備が必要なのだろうかと思う。
僕らは今、体育館の半分をぐるぐると走っている。今日はこちらのコートで練習試合があるらしい。残る半分では男子よりも圧倒的に人数の多い、女子バスケ部のみんなが、僕らと同じように走っていた。どうやら男子は弱小でも、女子は程ほどに強いようだ。三十人近くはいる。
十分間走り込むと、今度はストレッチに入る。僕は稲元たちに合わせて体を動かした。
「付いて来られそうか?」
背中合わせになって柔軟体操をしていると、稲元がそう僕に問いかけてきた。
「さぁなぁ? 授業や遊びでやっている程度にはわかるけどさぁ?」
「それでいいよ、それで。オールラウンドで走りっぱなしだからさ、動けなくなりそうならそう言えよ? なるべく休ませるようにゲーム組み立てるから」
「まぁ、体動かすのはそう苦じゃないけどさ。一応ランニングくらいなら毎日しているし、時々だけど道場にも顔を出して、体は動かしているからさ」
今度は僕が稲元を背負う番だ。腕を組み替えて稲元を背負う。うーん……結構重いな。当然と言えば当然なんだけどね。
「体動かすのが好きなら……なんで部活しないんだよ? 柿本、いい体をしているのに」
いやらしい言い方ではないが、男にいい体をしていると言われるのは妙な気分だ。
ま、女の子に「いい体しているね」と言われても複雑な気分だろうが。
「僕にまつわる噂を聞かなかった? 部活をしていると、ろくなことがないんだよ。とくに僕の場合は、大抵美佐子さんのせいで面倒な事になるし」
特に最近はそうだ。
「美佐子さん?」
そうだ、稲元は僕が自分の母親を、名前で呼んでいることを知らないんだった。説明するのが面倒くさいが、説明しないとややこしいだろうし。
「母親だよ、実のね。ママだとか母さんというのは、子供を息子や長男と呼ぶのと同じことなんだってさ、美佐子さんに言わせると。名前があるんだから、名前で呼べって」
「ふぅん……おもしろい母親だな」
おもしろい? 僕の顔に乾いた笑みが浮かんだ。しかし背中合わせに背負われている稲元には、僕の表情など見えなかった。
「そんなかわいいレベルじゃないよ」
しかしここでいかに美佐子さんが変わっているか、柿本に説明するわけにもいかない。
僕は適当に話題を変えた。
「あそこにいるジャージ君、マネージャー?」
テキパキと動き回っては作業をこなす。補助的な仕事に向いているのだろうか?
「うん。一応うちは二人いるんだ」
それって、弱小バスケ部には割合がおかしくないか? 選手五人にマネージャーが二人。結構贅沢に感じるのは、僕だけ?
そんな僕の疑問をよそに、稲元は説明を続けた。
「一人は女子マネージャーで山田里美って子と、あそこにいる八木孝志。山田がユニフォームの洗濯から備品の購入、俺たちの健康管理とかしてくれていて、八木はこうした練習試合の相手校に交渉してくれたり、ゲーム組み立ててくれたり、マッサージやってくたりと、ほんと、頭があがらないよ。前はやはりバスケしていたんだけどさ、怪我でバスケはできなくてね。で、今は俺たちのマネージャーしてくれている」
バスケが出来ない体となっても、バスケに関わっていたかったのだろう。僕も空手はもう辞めてしまったので、出来たら合気道だけはずっと続けて行きたいなという思いがある。
でもきっと僕と比べ物にならないような気がする。
僕は昔から何でもそれとなく器用にこなすが、秀でた才能というものがない。情熱も長続きがしなかった。
まぁ、あの美佐子さんに育てられたのだから、仕方ない気もするけど。
ふと見れば、八木マネージャーは、今もしきりにボードに何かを書き込んでいた。時々僕を見ているのは、選手としてまったく使えない僕を、どうやって使いこなすか観察しているのだろう。しょうがない、所詮僕は借り物だ。
十分くらいストレッチをしていると、相手校の選手らがやってきた。
うお……強そう……ごついなぁ……
ぞろぞろとやってきたのはY高のバスケ部の連中だ。うちみたいな弱小とは違い、交代するメンバーも引き連れてやってきた。全員身長も高く、格闘技を学んでいる僕と、引けを取らない体格だ。あんな集団で動かれると、動く壁に見えてしまう。
マネージャーの八木がボードをベンチに置いて出迎えた。向こうのチームのマネージャーと何事かを話して、僕ら側とは反対のベンチに選手らを案内していた。
稲元には悪いが、こりゃ負け試合になるな。
もちろん……やるからにはとことんやるつもりだけどさ?
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