とにかく不快感から離れること
自分の今日の積み重ねを良き流れにしていきたい人に向けて。
人の心というのは絶えず流れている。
雲の流れのように。
雲は絶えず形を変えている。留まることなく。
私たちの心も同じ。
だから、一定の感情で常にそこにステイすることなんてそもそも出来ないってことに気づくだけでも、心が軽くなるんだ。
心を深く掘り下げる人ほど、このことを知っておくと、自分のことを眺められるようになる。
つまり、よく掴みきれない感情に翻弄される振り幅が小さくなってくれるんだ。
私たちは、出来る限り「ゴキゲン」な状態でいた方がいいんだと思う。
それは、気持ちの状態が先、現実が後、だから。
いや、「今の気持ちがそのちょっと後の現実を創っている」って言った方がいいのかも。
だから、「今」、ゴキゲンでいる、ということなんだ。
ゴキゲンな方向に持って行くという行動、
努力をするというのであれば、ゴキゲンな方向に向ける行動を起こすということに尽力する、って感じかな。
楽しい!って感覚は最強。
エネルギーがどんどんチャージされていくから。
私は以前、「楽しい」って状態でいることに心の根っこの部分で罪悪感を感じていた。
今もフッとそんな心の動きになることに気づくときがある。
そんな時は即座に意識的に「大丈夫。楽しいって気持ちでいていいんだよ。」って自分に声かけしている。
なんでそんなことになったのか。
「忍耐とか我慢の先にか幸せなないから頑張りなさい。」
って自分の脳幹辺りまで根付かされたからだと思う。小さい頃からの教育で。
「忍耐・我慢しないと、達成できない。地道にコツコツと。大きな夢を持つなんて、頭の中がお花畑なのよ。」って言ってる身近な大人たちの言葉をそのまま理解して、自分の中に湧いてくる軽やかな波動の「自分の願い」とか、素直でシンプルな「あんな風になれたらいいな~」っていう湧いてくる感覚になることがチャラいことで、しっかりした人間ではないんだ。
ってなってた。
だから自分の気持ちをいつも後回しにしていた。
ちょっと今、コーヒー飲みたいんだけど、その前にこの書類を片付けておいた方が賢い行動だ、とか。
本当は寝たいんだけど、明日のスケジュール考えたらここまでやっておいた方がいいに決まってる、とか。
私はもう、この飲み会行くより今すぐ帰って身体を休めたいって心が言ってるけど、行かなかったら今後の人間関係に影響があるかも、とか。
二次会とかって絶対行きたくない、って思ってたのに結局帰ると言えずに、また残った、とか。
これがいけなかったんだな。って。
どれも、私にとっては「不快」な状態を第一候補として選択していたんだ。
理性で。
小さな自分の「こうしたい。」を最優先させることで、自分が小さな「満足」を感じること。
心が欲する行動を、外側の自分が叶えてあげること。
朝、歩きたいんだったら、歩く。
やることはあって期限も迫っているけど、全然進まないんだったら、寝る。
帳尻は合うし、自分の潜在能力はそれが出来るから。
それが、すべてを好転させる鍵。
それを先にやるということが、何よりも大事なんだということが、今、心から解る。
気持ちを先に「心地よい」に整えること。
心地良い人を精査すること。
心をニュートラルな状態にして、外からの情報を眺めるということ。
そこが整っていれば、歪んだ結果を受け取るチョイスを摘ままないように人生はなっている。
いろんな人が、その人の正義の基で、自分にとっては最高という情報を提供してくれる。
その時私は
「それは愛から発生しているものなのか?」という質問を自分の中に問いかけて
答えがYESなのか
どちらとも言えないから未決なのか
NOなのか
ということを
私は基準にしている。
でも、その目の前の現象はジャッジしない。ニュートラル。
風のように、雲のように、柳の葉のように。