釈迦の説きがたり 一日一話
五月二十三日 間(ま)を置く
何故心が迷うのか、どんなときに迷うのか。
生きて行くことに迷うときもある。仕事の上で迷うときもある。結婚に迷うときもある。そういう人生での大きな節目に於ける迷いから、日常の小さな事柄にも種々の迷いが生じる。
人間はいつも自分を庇って生きている。これは生物の本能である。この自分を庇っていく条件を少しでも良くし充たす為に心が迷い出すのである。
だから、これも欲望であり煩悩である。迷いの源は欲望である。間をおくということは、欲望を整理し減らす為である。
常岡智寶著 釈迦の説きがたり 一日一話より
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お釈迦さまとのめぐり会い
人間は、誰でも孤独で淋しがりやの一面を持っていますので、それを何かによって支えようとします。その何かが人によって信仰であったり、家族や肉親であったり、友人知己であったり、或は物質金銭であったり、お酒であったりします。
私の場合は、信仰が時には厳しい父となり又優しい母となり、夢や希望となって私を今日まで支えてくれました。お釈迦さまとのつながりも、そうした信仰の中から生まれて来たのです。
お釈迦さまと云えば、遠い昔仏教を開かれた尊いお方だと思っておりました。ところが、去る年の暮れに一枚のカレンダーを貰ったところお釈迦さまの写真が載っていましたので壁に貼って毎日お顔を拝見していました。
すると、ある日お釈迦さまがニコニコッとされて「これから私が面白いお話をするから書いてみなさい」と云われるのです。私が「それはどういうお話ですか」とお尋ねしましたら「年が明けたら一日に一つづつ話していきます」と云われました。それがこの物語であります。
お釈迦さまは決してはるか遠い昔のお方ではなく、今私達の身近に在っていつも導いて下さっているのだということがよく分かりました。どうか皆さんも自分の心の中に住んでおられるお釈迦さまを見付け出して下さい。
常岡 智寶