見出し画像

釈迦の説きがたり一日一話

     五月十二日    受けた恩 

 私達は生まれてから死ぬ迄の間に、お世話になったお方が随分あります。

 貴方はそうしたお世話になった人のことを時折り思い出していますか、何時どんなときにお世話になったのかよく覚えていますか。又便りをしたり、訪ねて行ったりしていますか。折りにふれて感謝をしていますか。

 自分が世話をした人のことは、いつまでも覚えているものですが、お世話になった人のことは都合よく忘れてしまいがちです。

 今日は、貴方がお世話になった方々をゆっくりと想い出して、せめて心の中で感謝をする日にして下さい。
 

常岡智寶著 釈迦の説きがたり 一日一話より

#お釈迦さま
#釈迦の説きがたり 
#一日一話 
#今日のお話し 
#常岡智寶 
#お不動様 
#観音様

     お釈迦さまとのめぐり会い

 人間は、誰でも孤独で淋しがりやの一面を持っていますので、それを何かによって支えようとします。その何かが人によって信仰であったり、家族や肉親であったり、友人知己であったり、或は物質金銭であったり、お酒であったりします。

 私の場合は、信仰が時には厳しい父となり又優しい母となり、夢や希望となって私を今日まで支えてくれました。お釈迦さまとのつながりも、そうした信仰の中から生まれて来たのです。

 お釈迦さまと云えば、遠い昔仏教を開かれた尊いお方だと思っておりました。ところが、去る年の暮れに一枚のカレンダーを貰ったところお釈迦さまの写真が載っていましたので壁に貼って毎日お顔を拝見していました。

 すると、ある日お釈迦さまがニコニコッとされて「これから私が面白いお話をするから書いてみなさい」と云われるのです。私が「それはどういうお話ですか」とお尋ねしましたら「年が明けたら一日に一つづつ話していきます」と云われました。それがこの物語であります。

 お釈迦さまは決してはるか遠い昔のお方ではなく、今私達の身近に在っていつも導いて下さっているのだということがよく分かりました。どうか皆さんも自分の心の中に住んでおられるお釈迦さまを見付け出して下さい。

常岡 智寶

いいなと思ったら応援しよう!