自己紹介8。
イタリア料理からフランス料理の世界へ戻る。
その為に1つ必ずしなければならない事があった。
自分の未熟さ故に、飛び出すように辞めてしまった『Edition Koji Shimomura』の下村シェフへの謝罪だ。
お店を辞めてから2年半がたっていた。
当時分からなかった事やシェフの想いが少しだけ分かるようになった気がするのは、自分の経験値が少し増えたからだろう。
自分のとった行動がどれだけの人に迷惑をかけたのか。それによって下村シェフはどの様な気持ちになったのか。考えれば考えるほど申し訳のない気持ちでいっぱいになった。
しかし1人で謝りに行くほどの勇気は無く、キッカケが無ければ未だに顔を合わせる事は出来なかったと思う。
現在スブリムでオーナーをしている山田さんから連絡を貰わなければ。
『下村シェフの所に食事に行くんだけどお前も行かない?』
何故僕を誘うのか正直理解が出来なかった。当時一緒に働いていた山田さんなら僕の状況が分かっていたはずなのに。
『正直下村シェフに顔向け出来ません。僕は行けません。』
しかし山田さんは、『もう3年近くも前の事だろ?良い頃合いだよ。フランス料理の世界に戻るなら、ケジメはつけないといけない。それに下村シェフだってもう気にしてないだろ。』
気にしてないわけないだろと心の中で想いながらも、キッカケが無ければ絶対に行けなかったので、正直救われた気持ちだった。
研修にも行かせて頂いた菅又シェフ(現在リョウラオーナー)のお菓子を用意し、お店へ向かう。
様々な気持ちが渦巻く。
営業前に挨拶をとお願いしたが、忙しいからという理由で断られ、なんとも言えない気持ちで食事をした事は一生忘れないだろう。
そしてデザートまで食べた時、下村シェフはテーブルへといらして下さった。
いの一番に、『下村シェフ、当時は本当にすみませんでした。』と伝えると、思いもしない言葉が返って来た。
『ん?何かあったか?昔の事は忘れたよ。今も料理を続けてるんだろ?頑張ってるらしいじゃないか』
その言葉に思わず泣きそうになった。
自分が同じ状況になった時、その言葉が言えるだろうか?20歳近く年の離れた若造に啖呵を切られたというのに。
『またフランス料理の世界へ戻ります。L'ASというお店です。』
その事を伝えるだけで精一杯だった。
そしてお土産を渡した後は何を話したのか覚えていない。
ただ1つ言える事は、今まで胸に引っかかっていた『何か』は消えて無くなっていた。
『Edition Koji Shimomura』出身だと胸を張って言える様更に努力しようと心に決め、新たなスタートを切る。
フランスへ行く前の最後のお店。
『レストランL'AS』
新しい挑戦をするお店での再出発。
作業を始めて七時間、気が遠くなるほどの仕込みも終わりが見えてくる。
朝から一つの仕込みだけでこれだけの時間をかけたのは初めてだった。
仕事は速い自信があった。ただ圧倒的に『量』が多いのだ。
骨董通り(現南青山)にあるレストランL'AS。
オーナーシェフは兼子大輔さん。
三田コートドールやパリのアランサンドランスで修行をされ、麻布十番のカラペティバトゥバでシェフをした後L'ASをオープンさせました。
オープンしてまだ二か月だが、瞬く間に予約の取れないレストランになっていた
このお店には色々な所に話題性があり、5000円という驚きの価格でのお任せコース、二週間で変わるメニュー内容(2012年時)、引き出しから取り出すカトラリー、料理に合わせたワインペアリング。
そして何より、意外性がありながらも美味しく楽しい料理が人々の心を惹きつけていた。
キッチンスタッフは兼子シェフを入れて4人、サービスは2人。この人数で1日2回転、約40名のゲストと闘う。
仕込みがとても多く、朝から晩まで息つく暇なく働いた。初めてレストランで働いた時のような過酷さは2度と経験しないと思っていたが、考えが甘かった。この店は何かが違う。ただの人気店繁盛店ではない。目に見えない力を宿している。そんなことを感じる日々だった。
全ての料理を出し、ゲストを見送り、片づけが終わるのが日をまたぐ頃。そこからは次の日の仕込みを始め、終わるのが夜中になる事もしばしばあったが、僕は不思議と楽しく感じた。日々の仕事の充実による生きている実感。自分の存在意義が明確にL'ASにはあった。そして一番大きかったのは、ある程度の仕事は誰にも負けないと思っていた矢先、兼子シェフの仕事のスピードとクオリティーを目の当たりにしたこと。
「こんなに仕事が早く、きれいな人がいるのか」と心を折られた。
そして、明らかにレベルの違うその仕事力に少しでも近づこうと、更に自分を磨く。人として、料理人として尊敬できる人と毎日働けることに充実感を得ていたことで僕はやりがいと生きがいを見出していた。
今の時代、長く働く事が良いとは言えないが、長く働かないと見えない世界がある事も事実だ。人と同じ時間しか働かないのでは、人の先には行けない。
そして、人生には脇目も振らず1つのことに全ての時間を注ぐ瞬間があっても良いと僕は思う。
ある種の狂気の中でしか生まれない何かがある事を僕は知っている。