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見習え、の弊害。

今朝こんなツイートを見かけた。

僕が料理の世界に入ったのが16年前。かなり優しくなっていたとは言え、まだ鉄拳制裁の残る最後の世代(だと思いたい)で、見て覚えろどころではなく、『隣で仕事やってんのになんで見てないんだ!それじゃあ一生仕事なんて覚えられないぞ!』(隣で作業してるなら横目に見て先輩の仕事を盗むのが当たり前だろ!!!の訳)

仕事を始めたばかりで、自分の仕事もままならない時にこれを言われて心底驚いた記憶があります。当時の僕はかなり狂っていたので『この世界はこういうものなんだ!頑張らねば!』と解釈して頑張っていたが、どう考えてもおかしな理論だと思う。

大前提の考え方として、料理でもなんでもモノ作りの職人の世界は、お客様のためにモノを作っている(と認識してる)ので、お客様に迷惑をかけてはいけないし、その為にはチーム内の小さなミスも命取りになりかねないので、リスクヘッジやリスクコントロールは必須だと思う。

その場合、新人の素養や技量に何かを委ねるやり方はお客様に対して真摯に向き合えていないのではないか?とさえ感じる。勿論どんな仕事でも始めた瞬間からプロ意識は必要だし、新人でもベテランでもそこに差はない。

しかし、心構えと技量にはとてつもなく大きな差があるし、右も左もわからない状態のスタッフに、見て覚えろというのはあまりにも無責任なやり方だと僕は感じている。

僕はかろうじて生き残れた特殊なタイプなのですが、当時から多くのスタッフが夜逃げしたり、ランチの後に急に消えたり、普通ではあり得ないことが当たり前だとされている業界だったのも今思うと本当に危うい。


技術を磨くにも心の安全が大前提。


ただでさえ労働環境も劣悪で仕組み的にも解決しにくい業界の場合、頼りになるのは従事者のやる気と根性。それだけでもかなり特殊な状況なのに、更に上司からの見て覚えろとなんで出来ないんだの叱咤激励?が加わると肉体的な安全に加え、精神的な安全までも侵害される。

昔はもっと〜という話も必ず出てくるが、昔だろうが今だろうがおかしいものはおかしいだろう。教えるという事を放棄して、残れる者だけを残す為にやっているならまだしも、二言目にはやる気がない、気合いが足りない、今の若いやつは、という言葉を並べ、やめていくものを悪とする。

本当にそれでいいと思ってやっているのだろうか???その環境でなければ守れない伝統やクオリティーは本当に存在するのだろうか???もっと心も身体も健全に働く事ができるのではないか?休みも少なく残業代もでない、場所によっては保険にも入れないような環境で、精神的な安全までなかったら、一体誰が働きたいと思うのか?

日本の職人という言葉がどんどん悪い意味へと変わっていってしまう。技術があればどうにかなった時代は終わり、技術をどう活かすか?どうコミニケーションを取るか?に変化する中で、技術を学ぶ同士でのコミニケーションが取れなくて、顧客へのコミニケーションができるのか?

素晴らしい技術と伝統があるからこそ、もっと僕達は多くのことを考えて環境を整えていかなければならないと思う。そして少なくとも自分はそういう環境を作れなければ意味がないと思っている。

こういう世界だから、こういう業界だから、ですむ時代はとっくに終焉を迎えている事を忘れてはならない。


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皆様の優しさに救われてます泣