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グランメゾン東京の楽しみ方。3
昨日もグランメゾン東京楽しかったですね!4話目にもなるとキッチンも出来ていて、ますますレストランぽさが出て、見ているだけで興奮します。
営業中のシーンもかなり本格的で、実際にキッチンに立っているかのような感覚になりました。こうゆう細かなディテールまで作り込んでてすごいと思います。
今回はデザートがテーマでしたね。
秋だけにモンブランがテーマでしたが、モンブランに限らずデザートについてお話ししていきたいと思います。
レストランデザートとパティスリーの違いとは?
これ業界の人にとっては当たり前なのですが説明したいと思います。
まず第一に大切なのは前後に何を食べるのか?と言う事。パティスリーのお菓子はすぐその場で食べる事もあれば、家に持ち帰って食べる事もある。食べるシーンが限定されません。
食事の後に食べるとしても、お菓子だけで切り取られる事が多いと思います。当たり前ですがパティシエの方もお菓子だけを食べる想定で作っているので、お菓子の満足感を得るため必然的に甘みが重視されます。
そしてどのように持ち帰るかも分からないので、色々な状況を想定した保形性に注力します。崩れにくくする為や溶けにくくする為にギリギリのラインを狙うのです。離水しにくくする為にある程度の甘さも必要だったりします。(砂糖は保水性があるから)
逆にレストランのデザートはどうでしょうか?
レストランでは基本的に料理が提供され、最後にデザートとなります。それまでのコースの流れと被らないように食材にも注意を払いますね。なので単体として考えるのは勿論ですが、それ以上にコース全体として役割を考える事が多いです。
そして劇中でもありましたが、デザートはコースの締めくくりなので本当に重要です。それまでの料理がいかに良くても、デザートの印象が悪ければそれまでの印象までも塗り替えられるほどに。
その瞬間しか味わえない表現
レストランとパティスリーで明確に違うのは表現の幅です。
先ほど言ったようにパティスリーでは帆形成に意識を向けます。なのでどうしても超えなければいけない基準が存在してしまう。
しかしレストランにそれはありません。極端にいえば数秒で崩れてしまっても構わないのです。お客様はすぐに食べてくれるからです。
そして変化していく事が出来るのもレストランデザートの醍醐味ですね。
劇中では変化の幅に対する表現はあまりなかったですが(メレンゲのアイスクリームには少しだけありましたね)状態が変わる、食べ進めるほど味が変わる、後から何かを足して変化させる。などかなり自由度が高い。
パティシエの様に一つのケーキとして完成させるのとは違うので、味の変化の幅がかなり広いのです。(お菓子でも出来るが自由度は低い)
焼きたての瞬間や回したてのアイスクリームだけでもレストランの価値が発揮できます。そこに味の変化や表情の変化も付けれる。
ただ逆に状態を保つと言う概念があまりないので、パティシエの方の様な再現性が低かったりするので、どちらが良いではなく性質の違いです。
香りから感じる味の変化
栗の鬼皮を焼く事で香ばしい香りと渋みをたす。それによって栗の味を引き立てる。言葉にすると簡単ですが、では何故甘い栗だけでは印象が薄れてしまうのでしょうか???
フランス料理のデザートなので、油脂を使っていると思います。周りの生地にもバターやアルコールなども使われているかもしれません。
栗はシンプルな味わいです。単体なら感じられる味わいも乳製品と合わせると物足りなく感じてしまいます。
人が栗といって連想しやすいのは蒸した栗よりも天津甘栗の様な甘い香りではないでしょうか?(個人差はあります)
栗と天津甘栗では香りの強さとして圧倒的に後者の方がインパクトがあります。(これも良い悪いは別として)
何故ならば焼いた香り(メイラード反応)は人間に刻まれた反射してしまう美味しい香りだからです。パンを焼いた香りも醤油を焦がした香りも肉を焼いた香りも同じです。
焼いた香りを美味しいと感じ、焼いた香りの方が感じやすいのが人間です。だからこそ栗の鬼皮を焼いた香りを足す事で栗の美味しい印象を記憶の奥から引き出して来ます。
そして渋みは栗の甘さを引き立て、乳製品にも負けない味わいを作り出します。
焦げた香りに敏感に反応するのも焼いた香りに意識が向くのも同じ反応です。(本能的に危機察知の面とかもありそうです。わかりませんが)
ドラマ的に表現をシンプルにしたかったと思うのですが(鬼皮と盛り付けの美しさに表現がとどまっていたので)もう少し味わいの広がりの部分を個人的には知りたかったです。
実際に作られているインターコンチネンタル東京ベイではチョコレートとラムレーズンが合わせてあります。
栗とラムは鉄板ですが、他にもカシスと合わせたりもします。
個人的にはパッションフルーツを合わせるのが好きです。何故ならばラムとの相性が良いのと、酸味が栗の甘さを引き立ててくれるからです。
ラムはサトウキビから出来ます。サトウキビは熱帯や亜熱帯で作られますよね?パッションフルーツも同じです。そしてパッションフルーツにはバナナやパイナップル、キャラメル、ナッツの様な香りもあるのでラムとの相性は言わずもがな。産地的な要素も香り成分的な要素も最高なんです。
栗にもメチオナールと言うさつまいもの香りの主成分や、フラノンというイチゴやパイナップルに含まれる成分もあるのです。
もう一度この組み合わせのデザートをちゃんと作りたいと思っています。
師弟関係
見所に師弟関係もあると思います。尾花と祥平の関係性ですね。
僕自身もそうでしたが、師匠と働いていたときは自分の感覚全てを師匠のそれと合わせに行きます。新米の時ほどそれは強くなり、付いていかなければ振り落とされてしまうので本当に必死にしがみつきます。
料理を考える時も勝手にシェフの思考や好みに合わせていく。そしてそれが合わさった時に初めて認めてもらえるわけですね。守破離で言う守に当たります。
そして師匠の好みが理解でき作れる様になると自分の味の表現が見つかる様になります。しかしどこかに
必ず師匠の味わいが隠れているものなんですね。
だから祥平にも尾花と同じアイデアが浮かんだのだと思います。そこには必然が隠れているんですね。
どの世界でもそうですが、修行中に師匠の本心がわかることはほとんどありません。離れてみて、自分も同じ様に教える側に回った時に師匠の言葉の意味を知るのです。
口癖が師匠と似るのもあるあるですね笑
そして萌絵に対して尾花が言った言葉も印象的でした。
『努力しようがしまいがまあ そんなの関係ないもんな。うまいもんさえ作れれば。だけど みんなそれがなかなかできないから世界中の料理人は必死になって料理のことを考えてる』
『でも うちらがどれだけ努力したかどうかなんてお客様には全く関係ないから。このモンブランはお客様を喜ばせた。それが すべて』
この二つの言葉はとても深い言葉です。
努力をしなければ美味しいものは中々作れない。でもその努力とお客様が喜ぶかは全く関係がないと。この相反する答えの中に料理の難しさが現れています。
料理以外でもそうでしょう。皆が考えさせられる言葉でした。
展開が次々に変わって行きますが、祥平は今後グランメゾン東京で働くのか?尾花を陥れた犯人は誰なのか?ドラマの展開にも目が離せません!!!
料理とは、料理人とは何なのか?
次回もまた勝手に解説して行きたいと思います。
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