期せずして、結果としてインクルーシブな塾
私の塾は普通の学習塾です。
大抵、自分で普通と言うときは
自身も普通ではないと思っているのだけれど、
それでも、普通の塾のつもりです。
私の塾は同じ教室で誰もが異なった課題を学習している。
国語をしている子もいれば、算数の勉強をしている子もいる。
勉強のできる子もいるし、勉強が苦手な子もいる。
黒板に向かってみんなが同じ授業を受ける、
学校の授業のようなことはしない。
(受験前の講習ではときどきするけれど、)
私の塾は普通の塾だけれど、
不登校の子も通ってくるし、
障がいを持っている子も通ってくるし、
いわゆる健常児と障がい児の区別なく、
同じ教室で、それぞれが異なった課題を学習している。
私が「普通」と言っているのは
特別に不登校支援の塾です。とか
障がい児支援の塾です。とか
うたったことは全くない、という意味で
私の塾は普通の塾です。
不登校支援の塾です。とか
障がい児支援の塾です。とか
うたったことは全くないのですが、
それでも不登校の子や障がいを持った子が教室に通っています。
重度の障がいの子が私の教室に来たことはありません。
残念ながら、設備は全くバリアフリーに対応していません。
親や本人が、私の塾で指導が可能だろう?と思って
問い合わせ、体験し、実際に通ってくれることになるので、
結果として、不登校の子も障害のある子も、もちろんそうでない子も
一緒の環境で勉強しています。
期せずして、結果としてインクルーシブな塾になっています。
そういう意味では普通の塾ではないかもしれません。
「期せずして、結果としてインクルーシブな塾」
であることを私としては本当に嬉しく、誇らしい気持ちになっています。
不登校の子どもの支援の塾をしたい。不登校支援の塾をします。
そうした結果、不登校の子ども 学校に通っている子ども
が分断されてしまう。
それでは、支援をしたいと思い、始めた意思と情熱、
それと反対の結果が出てしまうのではないか?
と私は思う。
障がいを持つ子の指導にも同じことが言える気がします。
私は不登校の子の支援や障がいを持つ子どもの支援がしたいと思っています。そう思って、この塾を継続しています。
まだまだ、不足していることが多くあります。
少しずつ、技術や設備を向上させて、
より多くの子に学ぶ環境を作りたいと思っています。