【阿賀野】次の世代へ繋ぐために。星野林業が目指す未来と山主の使命とは
◎林業は、未来に成果を託す仕事
星野さん 林業は広い知識が求められ、手間も時間もかかる仕事なのだと、就職してから気がつきました。
星野さんは、柔和な表情でそう話します。星野家は6代目の勘右衛門さんから林業に力を入れ、代々丹精込めて山づくりをしてきました。
幼い頃から山は遊び場であり、身近な存在だったという星野さん。中学高校時代を埼玉、大学時代を千葉で過ごす間も、漠然と「いつか新潟で林業をやるのだろう」と思っていました。
経済学部を卒業後、新卒で小岩井農業の林業部門に就職し、岩手での勤務が決まりました。草刈機やチェーンソーに触れたことがなく、木の種類もスギとマツしか知らない状態で入社したと、当時を振り返って小さく笑います。
平成15年に父の求行さんが亡くなってしまい、星野さんは岩手で基礎を身につけてから新潟に戻り、10代目当主となりました。28歳の時でした。
星野さん 林業は、人と関わらない作業も多くあります。だからこそ一度就職したことで、チームでの連携や会社としての考え方なども学ぶことができてよかったと思っています。
働く中で、星野さんは強く実感したことがありました。それは、「林業は未来に成果を託す仕事」であるということ。現在伐採して収入となっている木々は、先代以前に植えたものであり、自身が植えた苗木を回収できるのはおそらく50〜60年後。手間と時間をかけた成果は、次の世代が受け取ることになります。
星野さん 林業は目先の成果を求めるのではなく、未来に成果を託す仕事なんです。だからこそ先代への感謝を忘れずに、先を見据えたアクションを起こしていかなければならないと思うようになりました。
◎何年もかけて、ようやく10代目になれた
星野さん ここ数年でやっと、星野林業だと普通に名乗れるようになりました。それまでは、メールに名前を打ち込むのもおこがましい気がしていたんです。
28歳で新潟に戻った星野さんはまず、自分の山を知らないことに愕然としました。
星野さん 当時の私は、山の所有範囲すら分かっていませんでした。業者の方が「作業に入らせてください」とやってきて、「終わったので確認してください」と言われても、まだよく分からない。
約1,100ヘクタールの広大な山林を、昔働いてくださっていた方と歩きながら、範囲を教えてもらうところからのスタート。手探りの日々が続きました。
岩手で林業の基礎を身につけたとはいえ、山の状況は気候や立地によって大きく変わります。小岩井農場の林は平地に広がっており、比較的柔らかな雪質のエリアでした。対して星野の山は斜面もあり、湿気を多量に含んだ重たい雪が降り積もります。整備されていない道や沢を通らなければたどり着けない場所もありました。
跡を継ぐまでは、「冬」や「雪」に種類があるなんて知らなかったと、星野さんは当時を振り返ります。
四季の移ろいの美しさや自然の脅威を身をもって体感しながら、時間をかけて深い知識と技術を身につけていきました。そうして「星野家10代目」と当たり前に名乗れるようになりました。
◎コラボで新たな山林の活用を目指す
星野さん 山の管理だけして食べていくのは、今の時代に合っていないでしょう。
樹種の確認や伐採が可能かを判断するための事前調査、木材搬出のための道路の計画、関係会社との折衝、新たな木を育てるための植林……と、林業の業務は多岐に渡ります。しかし、それだけにとどまらず、星野さんは積極的に異業種とのコラボレーションを図っています。
2019年には、阿賀野市の養蜂家・八米様とのコラボが形になりました。山中の一部に蜜源となるキハダを植えて、巣箱の設置場所を提供するかわりに、蜂蜜が回収できるまでの期間は八米様に周辺の整備を依頼します。星野林業としても短期で成長するキハダで収益が見込める、お互いにメリットのある関係を目指しました。
現在は、山中の一部エリアを活用し、きのこ農家が菌床に使うオガ粉を作るための場所を貸し出す想定で、準備を進めています。
林業の基本は、木を育てて売ることです。しかしそれだけでは時代に合わない、と星野さん。山林という資産を使って、できる限りの可能性を広げていく必要があると言います。
星野さん 山を保有している上の世代は「山なんて負の財産だ」「手放したい」と考える方も少なくありません。たしかに管理者からすると、足場の悪い中で広大な山林を管理しなければならないし、収益を得るまでに時間がかかりますから、そう思い込んでしまうのも分かります。
しかし、本来は50〜60年かかる収益化までの期間を25〜30年に縮められる取り組みがあれば、山主にとって今よりも大きなプラスですよね。山の新しい活用方法を広げていくことが、これからの健全な山林経営には必要です。林業に興味を持ってくれる、若い世代の働く場所を未来に繋いでいく意図もあります。
新たな取り組みを積極的に試みる星野さんに、山主仲間からは「またヘンなことを」「そんなことしなくても」と制されることもあるといいます。しかし、星野さんはそれでも前を向き続けます。
星野さん すぐに成果は出ませんから、私の取り組みにどれだけの価値があるか、まだ分からない。どうにかして未来の成果に繋げたくてもがいている状況で、正直、今が特に大変な時期だと感じています。それでも、やって損はない。未来のために、まずはなんでもやってみようと思うんです。
林業の担い手不足の一番の課題は、専門知識や技術が求められるにもかかわらず給与が低いこと。未来に託す事業だからこそ、この先の働き手が林業を選んでくれるような環境をつくらなくてはいけない。小さなことからでも変えていきたいと、星野さんは力強い眼差しで続けます。
◎より強い産業連携をめざしていく
星野林業は2018年、農林水産大臣賞受賞を受賞しました。当時のことをお伺いすると、少し思い出しながら、星野さんが照れたように微笑みます。
星野さん すごく光栄なんですが、実を言うと、私が受賞した感覚はないんです。星野家が代々林業を続けてきた成果としていただいたと思っているので、ご先祖様のおかげ。本当に感謝しています。
星野さんは、家業を継いだご自身のことを「バトンを受け取った」と表現します。そして、そのバトンを未来に繋いでいくために、林業の固定概念と向き合いたいと考えています。
星野さん バトンの形は変えていいと思っています。たとえば現状、山で伐採した木は加工場に運ばれ、消費地に出荷されていきます。プロの手で安全に運搬されていくメリットはありますが、人件費もかかる上、CO2の排出も避けられない。ならば、可能な山主だけでも「山から採れるものを山で販売する」ような新しい形を考えていったら、その分のコストを次世代の給与に回せる可能性がありますよね。
林業の可能性について、朗らかな表情で星野さんは語ります。
星野さん これからも、林業の枠にとらわれずに積極的に異業種の方と協業していきたいと思っています。
それから、木材産業の観点でいうと、川上の山主は川中・川下と密接に関わっているものの、顔を合わせる機会はあまり多くありません。
そんな状況に変化を起こすべく、2024年の8月6日には森林・林業関係者が集まる「つなぐプロジェクト」が開催。新潟県と連携した本プロジェクトで、長谷地区の所有林に林業事業体、工務店、木工作家や行政が集まり、検討会が行われました。初めて星野さんと顔を合わせる方ばかりで、交流のきっかけとなりました。
星野さん 山や木は、まちや建築物と密接に関わっていますから、これからはもっと、顔を合わせて繋がる機会を増やしていきたいです。それぞれの視点を共有しあって、より連携しながら未来に向かって挑戦していきたいですね。