せんぱいボイスが誕生するまでの話
2020年3月11日、私はアメリカ出張帰りの飛行機の中で黙祷しながら平和を祈った。
「日本に帰ればまたいつもの生活が始まる」と思っていた。
帰国したら、待っていたのは未曾有の事態。
キャリア全てを注ぎ込んでつくりあげてきた「教育」を軸とするプロジェクトの多くが中止・延期となった。
でも、好奇心いっぱいの「コミュニティ」は存在していた。
周りのみんなと一緒につくりあげたコミュニティに存在するのは、小学生から社会人まで幅広い。
特に、高校生と大学生の中心メンバーと一緒に数々のプロジェクトを形にしてきた。
そんな高校生・大学生たちからの悲痛の叫び。
「入学したのに誰にも会えない」「留学の予定がなくなった」「就活できない」。
コロナで失業した行き場のない10代の若者を家で預かったりもした。
彼女には「自分で決めて生きた経験」がない。到底一人で生きていく力がない。
社会の中で、生きる力をつけること。
それは、わたしが教育事業を行う中で若者たちに養ってもらいたい力のひとつ。
現状の公教育の中では社会で生きる力を養う機会が、みな平等にあるわけではない。
「受け身の教育機会」がぽっかり空いた彼らが、いまだからこそできる活動があるのではないか。
そうだ、高校生の時から関わっている大学生たちの成長記録を発信できないだろうか。
どんな高校時代を経て、今はどんな大学生活を送っているのかをリアルに発信することで
ちょっと先の未来をわくわく描ける後輩たちが必ずいるはず。
大学生の先輩たちが中心となってつくる、後輩たちのための発信を形にしよう。
気づいたら私は、大学生の大倉野彩花と竹入悠渡に電話していた。
それが、「せんぱいボイス」誕生のきっかけです。
せんぱいボイス発起人 三塩菜摘