童話『魔法の針と糸』
今日はとても寒かった。明日も寒いって話だけど、嫌だなあ。はあ~。それはさておき、今日はカクヨムのサイトにも載せている童話を、こちらにも掲載しようかと思います。
この童話は、童話の形式をとってはいますが、大人のための童話です。会社の人間関係に疲れた時に書いたものです。この童話も私的にはとても気に入ってるものです。一人でも気に入ってくれる人がいればいいなあと思います。
『魔法の針と糸』
少年の心は傷ついていた。それはある人の些細な言葉だった。けれどもその言葉は心に傷を与え、赤い血を流させるには十分な凶器となった。言った本人は次の日になると、そんな言葉を言ったことすら忘れ、いつものように笑顔で応え普通の生活を送っていた。
傷を受けた少年は、いつもと変わらない相手の様子に、怒りにも似た悲しみと、胸を切り裂かれるような痛みを感じた。
「痛い、痛いよ」
目に見える外傷ならば、少年もまた大きな声でそう言えたに違いない。けれどもこれは心の傷。痛いということも言えず、自分自身も傷ついているのか、いないのか、それすらも分からない傷だ。 自分で言わなければ傷ついていることも分からないそんな傷に、いったい誰が気づくというのだろうか。
少年は心の傷と誰にも言えない悩みの中、夜の家の側の木立ちの間にうずくまっていた。
『ああ、誰にも言うことはできない』
心の中でそう呟いていると、突如ふわりと風が舞い上がった。何事だろうと思い、後ろを振り返ると、そこにはとんがり帽子をかぶった、小太りのお婆さんが、にっこりと微笑んでいた。思わず少年も、そのお婆さんの微笑につられて、笑みをこぼした。お婆さんは樫の木で作られた杖を持ち、肩には黒い烏を乗せていた。
少年はこんなことを訊くのは非常に馬鹿らしいと思ったが、それでも訊かずにはいられなかった。
「ひょっとしてあなたは魔法使いですか」
そう訊かれたお婆さんは
「そうですよ」と、一言答えた。
「魔法使いさんが、僕にいったい何の用があるのでしょうか」
「あなたがあまりにも傷ついているので、何かお手伝いできることはないかと思って出てきたのです」
今までにこにこしていた魔法使いは寂しげな表情で、その少年の心の傷をじっと見つめていた。
「あなたには僕が傷ついているのが分かるのですか」
「ええ、分かります。心がとても傷ついて、今もその傷から赤い血が流れ出ているのを」
魔法使いのその言葉に、少年は驚いた。
「私が手伝うことができるのは、この魔法の針と糸をお渡しするぐらいしかできませんが」
「魔法の針と糸?」
「心の傷を縫うための魔法の針と糸です。残念ながら、これを使って私があなたの傷を縫うことはできません」
魔法使いはそこでいったん言葉を切ると、小さな静かなため息とともに、少年に言った。
「私にも傷は見えますが、正確な位置は分かりません。本当に深く傷ついた者にしか、その傷を縫うことはできないのです。あなたなら、できるはずです。それからもう一つ言わねばならないことがあります。たとえ傷を縫ったとしても、心から流れ出ている血を止めるだけで、本当にその傷が完治するわけではありません。傷を本当に治す方法は、誰にも分かりません。ですが、血を止めることができれば、少しはあなたの心の傷も癒されるかもしれません」
少年は魔法使いの言われるままにその魔法の針と糸を素直に受け取った。
すると少年の胸の真ん中に、丸い月のような美しい円が現れた。その円の中にはひび割れた灰色の線があった。その線からあふれんばかりの血が流れ出ているのを、しっかりと見つめた。
少年の手は自然と今何をすべきか、何もかも知っているのかのようにその光り輝く球体の線を、魔法の針でゆっくりと静かに縫い始めた。傷があまり痛まないように、他の部分を傷つけないように縫うことは、そうたやすいことではなかったが、彼はやり遂げた。縫い上げてみると、血が流れ出ていた時と比べると、随分と痛みが和らいだ。少年は感謝の念をこめて、その魔法の針と糸を、魔法使いに返そうとした。すると魔法使いはこう告げた。
「さっきも言いましたが、あなたの傷はまだ完治したわけではありません。その魔法の針と糸はあなたの傷が完全に癒えた時に返してもらうことにします。その間、魔法の針と糸をどう使うかはあなたにお任せします。念のため、この烏があなたの行動を監視はしますが、よほどのことがない限り、魔法の針と糸の使い方に口出しするつもりはありません。私はただあなたの心の傷が一日も早く完治することを願うばかりです」
魔法使いはそれだけ言い残すと、現れた時と同じようにふわりと風を舞い起こし、あっというまに姿を消していた。
こうして少年の心は、ほんの少しだけ良くなった。だが実際は、魔法使いの言った通りに、完全に傷が癒えたわけではなかった。心の傷は時折、針が刺すような痛みを伴った。しかし最初の頃の鋭い痛みと比べ、まだ軽い痛みであった。
少年は考えた。自分のように傷ついている人は、たくさんいるに違いない。ならば、この魔法の針と糸を使って、他人の心の傷も縫い上げるべきではないだろうかと。例え完治しない傷であったとしても、何もしないで手をこまねているよりかは、それはとても良いことに思えた。早速少年は、人々の心の傷を縫い上げる仕事を始めた。心からたくさん血を流している人々は、数え切れないほど、あふれていた。それでも少年は傷を縫い続け、いつしか青年へと成長していた。 けれどもどんなにたくさんの人々の心の傷を縫い上げても、彼が負った心の傷が癒えることはなかった。青年はただ淡々と、人への手助けの仕事として、人々の心の傷を縫い続けた。
そんなある日のこと、青年のもとに一人の少女が現れた。彼女もまた辛いことがあったためか、心からあふれんばかりの血を流していた。青年はいつものように丁寧に心の傷を縫い上げた。少女は今まで出会った人々と同じように礼を言った。
「ありがとうございます。本当に心が軽くなったみたいです」
「それはよかった。でも本当に治ったわけじゃないからね」
「はい、分かりました」
彼女は笑顔でそう答えると、いつもの人々と同じように立ち去るのだと彼は思った。だがこの少女は違っていた。少女は立ち去らず青年の瞳の奥を覗き込むように、尋ねてきた。
「どうして心の傷を縫う仕事をしようと思ったのですか」
今まで心の傷を縫ってきた青年は、驚きの眼差しで少女を見つめた。長い間心を縫い続けてきたが、このようなことを訊かれたのは彼女が初めてだった。そこで青年は、なぜ自分が魔法の針と糸を持つようになったか、その一部始終について彼女に話した。もちろん、心の傷となった一番最初の些細な言葉についても、なぜかこの少女には一切残らずしゃべっていた。 すると少女は突然、わっと泣き出した。
「ひどいわ。そんなこと言われたら、誰だって傷つくわ。その人にとってはなんともない言葉だったかもしれないけれど、それでもやっぱりひどいわ」
そう言うと少女はまた泣き出した。
少女が自分のために泣いてくれているその純粋な涙を見て、青年の心は、少しずつ、少しずつ、揺り動かされた。硬く固まっていたものが、心の中でほどけていく。
けれども実際の彼の目には一粒の涙も浮かんではこなかった。代わりにその少女が幾千粒の涙を落としてくれていた。おかげで彼の心にあったひび割れた灰色の線はいつしか完全に消え去り、痛みを伴うことはなくなっていた。
少女が泣き止み、青年に再び礼を言って立ち去ると、今度は一羽の黒い烏が彼の前に現れた。その烏には見覚えがあった。以前魔法の針と糸をくれた魔法使いが肩に乗せていた烏であった。青年は一瞬にしてその意味を悟ると、今まで使ってきた魔法の針と糸をその烏のくちばしに差し出した。烏はそれをくわえると、さっと夜空へと舞い上がった。その時初めて、青年の目から涙が一粒こぼれ落ちた。
「ありがとう。これで本当に傷が癒えました。これからはさっき出会った少女のように、本当に心の傷が癒えるように、他の人達の力になれるよう、がんばろうと思います。ありがとうございました」
青年は最後の言葉に力を込めると、空高く舞い上がり、瞬く星の一つとなった烏に向かって深々とお辞儀をした。そうして、もう一粒の大きな涙を青年は流した。
(おわり)
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