台風の中、琵琶湖の旅
黄 文葦
旅は非日常。台風の中の旅は、非日常の中の非日常。9月の三連休に琵琶湖の旅をした。ちょうど14号台風が列島を襲われる時期、出発する前に、ちょっと心配だったのが、実際に風も雨もなかった不思議な旅であった。琵琶湖の周辺で穏やかな時間を過ごした。
琵琶湖の周辺を散策し、意外にもガチョウたちを見つけた。人間に馴染んでいるようで、人間に接近しようとしている。こんな景色を見るのは久しぶりだ。子供の頃、毎日たくさんのガチョウに追われて田舎で暮らしていた頃を懐かしく思い出した。
琵琶湖の周りは、マスクを外して歩く人が多かった気がする。広くて清々しい自然の中、美味しい空気を吸うことが優先だろう。東京の皇居周辺と同じように、琵琶湖周辺も多くの人がランニングしている。
大津市長を6期務めた山田豊三郎氏の像を琵琶湖岸に設置してある。1980年から2004年まで、6期にわたり大津市長を務め、それはたいへんな偉業である。実は、山田豊三郎氏は中国にゆかりがある人物で、日中戦争中の1943年11月に満州国立新京法政大学特修科経済学部卒業。1944年、22歳の山田は中国の遼陽にある連隊に配属…
中国の史料によると、1979年に周恩来の夫人の鄧穎超氏が来日した際、琵琶湖に到着し、大津市民に温かく迎えられたという。当時副市長だった山田豊三郎氏は、琵琶湖周遊船に乗った鄧に同行し、「大津市民が中国の友人の訪問を何度も歓迎している」ことを伝えた。 そして、鄧穎超氏は、「中日友好は琵琶湖の波のように、次から次へと受け継がれていくものだ」と言った。
1998年8月、「大津市と長春市との友好都市交流および長春中日友好会館建設に貢献」を理由として長春市名誉市民に表彰される。日中友好に力を注いでいた人物であった。
今回泊まった琵琶湖ホテルは素敵な宿、今回の旅、ホテルで過ごした時間は長かった。ホテルの中で、読書したり、仕事をしたりすることは、本当に贅沢な体験であった。
しかし、テレビの中、14号台風について、ずっと「数十年に1度の勢力」「過去に例がないほど危険」「重大な災害に警戒が必要」など言葉が繰り返しアナウンスしていたが、窓の外はとても静かで、風の動きも感じられなかった…実際に、結果的に限定的な被害にとどまった。
異常気象が多発している中、台風の性格もますます怪しくなっていくみたい。見た目は怖いけど、実はそんなに迫力はない。しかし、台風報道について、マスコミが「オオカミが来たぞ!」と叫ぶような雰囲気があった気がする。日本は自然災害の多い国ですから、当然、日頃の備えと防災意識が重要だ。
しかし、災害について、報道を過度に煽ることは、科学のためにはならない。実際に大災害が起きたときに、民衆がメディアを信じてもらえるかどうか心配だ、と琵琶湖を眺めながらつくづく思った。
滋賀滞在の最後の日、大津から堅田駅へ、またバス「堅田出町」下車徒歩5分で堅田の浮御堂に到着。浮御堂は近江八景の一つ、「堅田の落雁」で知られる景勝地。湖に浮かぶ東屋を木の橋で結び、1000年以上、琵琶湖上の交通の要所として安全を守ってきた。ネット上の写真を見ると、浮御堂の黄昏と夜明けの景色は非常に美しかったと感じる。
その日は台風のおかげだろう。浮御堂の上空の雲が奇妙に動いていて、普段見られない風景を目にした。そして、その橋の上に立ち、地球がゆっくりと回転し、時間がゆっくりと流れているのを感じているようだった。浮御堂はいつでも美しくて神秘的である。
浮御堂近くの祥瑞寺は、華叟宗曇が開祖の寺院で、その弟子である一休宗純が青年時代ここで修行をしたことで有名だ。東京帰りの新幹線の時間が気になって、祥瑞寺をあまり詳しく見物してなかった。寺の中から、多くの子供の声が聞こえてきた。寺を訪れる幼稚園児のようで、昔に見たアニメの一休の顔を一瞬で思い出す。その地元の子供たちは、聡明な一休さんが大好きなのだろう。
実は、9月29日は、滋賀県の誕生日でもあり、今年は150周年。今の滋賀県は、明治5年・1872年9月29日に、南部の滋賀県と北部の犬上県が合併し、誕生した。台風の中にもかかわらず、琵琶湖の旅はある意味で時宜にかなっている旅であった。これからも日本の地域の文化と歴史を知る旅を続けて行きたい。