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清らかさは安心を生む ─ 山寺での気づきが教えてくれたこと
はじめに:今日のテーマ
「清らかとは安心である」というテーマでお話をお送りします。
なぜこのテーマを選んだのか、それは先日の体験から気づいたことがあったからなんです。
山寺での気づき
先週、山奥のお寺で大きな儀式のお手伝いをする機会がありました。
四方を山に囲まれた小高い場所にある、まさに皆さんがイメージするような田舎のお寺です。
境内に入った瞬間、心が洗われるような不思議な感覚に包まれたんです。
それは日常では味わえない、特別な清らかさでした。
清らかさとは何か
みなさん、清らかさって何だと思いますか?
たとえば、部屋の掃除をする時のことを考えてみましょう。
汚れているから掃除をして、きれいにする。
それは確かに清潔にはなりますよね。
でも、物理的な清潔さと、心がすーっと洗われるような清らかさは、何か違う気がするんです。
都会との対比
みなさんは新宿の歌舞伎町に行ったことはありますか?
特に夜の歌舞伎町は、日本一の繁華街として知られていますよね。
ギラギラとしたネオン、絶え間なく流れる音楽、食べ物の香りや独特の匂い、人々の喧騒...。
そこにいると、心はどうしてもザワザワしてしまう。
ワクワクする面もあるかもしれませんが、どこか落ち着かない。
安心とは真逆の感覚かもしれません。
お寺の庭が教えてくれること
でも、住職がしっかりお掃除しているお寺や、きちんと管理が行き届いている神社では、自然と心が落ち着きませんか?
それは単なる清潔さを超えた、より深い清らかさの現れなんです。
この感覚は、実は私たちの心の奥深くで何かに触れているような気がするんです。
手入れの行き届いた空間の力
私がおとずれたお寺の庭では、すべてが丁寧に手入れされていました。
落ち葉は一枚一枚丁寧に掃かれ、植栽は季節に合わせて整えられ、地面の草も適切に管理されている。
砂利の一粒一粒まで、均一に整えられているんです。
これは決して完璧な状態ということではありません。
たとえば落ち葉なら、二、三枚は残っているかもしれない。
でも、それが却って自然な美しさを感じさせるんです。
人の手による管理と自然の調和が、そこにはありました。
仏教の伝統と信頼
「お寺」と聞いて、多くの方は庭掃除の風景を思い浮かべるのではないでしょうか。
竹箒を持って、黙々と落ち葉を掃く住職の姿。
それは単なる掃除ではなく、何百年も続く仏教の伝統なんです。
その丁寧な暮らしぶりが、自然と人々に安心感と信頼を与えているように思います。
これからの決意
正直に申し上げますと、私が管理している寺院の庭は、まだまだ及びません。
もちろん、人が通る場所の落ち葉は掃き、植物の手入れもしていますが、どこか荒々しさが残っているように感じます。
でも、これは一朝一夕には達成できないことかもしれません。
長い時間をかけて、少しずつ丁寧に。
それが私たちのお寺の歴史を作っていくんだと思います。
年末に向けて
さて、12月になり、大掃除の季節がやってきましたね。
今年の大掃除は、ただ汚れを落とすだけでなく、心も一緒に清める機会にしてみませんか?
そうすることで、きっとより清々しい新年を迎えられるはずです。
今回のお話が、皆さんの心に少しでも響いてくれたなら嬉しく思います。
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