愛の証明_ver

【愛着・AC 克服記録】Column 6-3 (仮) (最終回)

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前回はこちら
【愛着・AC 克服記録】Column 6-2 (仮)


6-3 愛の証明 最終回 無条件の愛とは?


6-3 0. 本題に入る前に…


これを書いているのが、2019年10月12日(台風19号!)。

酵母マンが岡田尊司氏の「愛着障害の克服」の本に出会ったのが、2017年の5月頃 (2年以上前)。

さまざまなカウセリングやノート療法を経て、虚無に到達したのが、
2018年10月12日 (1年と数ヶ月かかっている…)。

その直後、裏技のような「愛情の手に入れ方」に気づいたのが、2018年10月15日。

そこから二ヶ月間、Twitter や note で猛烈に記事を書いていった。

今書いている、「愛の証明」 (←名前がやばい) 
序編」:2018年11月23日
破編」:2018年12月02日

時間、かかりすぎだろぉぉぉぉぉぉ!(前にもどっかの記事で書いたな


足掛け1年に及ぶ、「愛の証明」。

最終回の始まりでございます。


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6-3 ①. 「無条件の愛情」って、なんだろう?


無条件の愛情…

その名が示すとおり、〇〇したら、〇〇であれば、という「タラレバ」が入り込まない愛情。

これが、無条件の愛情の定義であるといえます。

ちなみに愛情とは…
相手を「ポジティブ」な状態に変化させる性質、「正の行為」を伴った「意志」 (愛の証明 序編 1-3)


これは、突き詰めれば…

ほしい!と思った瞬間に、無条件 (= タラレバなし) で手に入る

愛情です。


愛の証明 最終回では、無条件の愛情を「受ける側」の視点から、話を進めていきます。

そして、何が無条件なのか?何が条件つきなのか?
「受ける側」と「与える側」の両方から捉えることで、答えを導き出します。

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6-3 ②. 「無条件の愛情」って、他人から手に入るの?


かのエーリック・フロム  (1900-1980) も、著書「愛するということ (1956年 出版、1991年 日本語版文庫)」の中で述べています。

「母親の愛があるのは神の恵みのようなものであって、もし母親の愛がなく、人生が真っ暗になってしまったとしても、どんなことをしても創り出すことはできない (652ページ, Kindle)」


はて…果たして、「無条件 = 一切のタラレバが無い愛情」を、他人から受けることが本当にできるのか?


ー ー ー ー ー ー ー

A. 不特定多数の他人

社会においては、「お金」がひとつの愛情表現です。
しかし、社会における愛情表現 = お金を手に入れるには、
「価値を見だしタラ」という "条件" が課されます。
また、その価値というものも、不変のものではなく、状況や世論によってコロコロ変わるものなので、「いつでも好きな時に」得られる、とは到底いえません。
(↑これを言いたいがために、ひたすらコラムを書いてきた)

すなわち、「少なくとも不特定多数の他人から、『無条件の愛情』を手に入れることは、できない」

ということは、ご納得いただけるでしょう。

愛の証明 ver.2.0 Figure 76

ー ー ー ー ー ー ー

B. 身近な、特定の人

身近な人、特定の人だったらどうでしょう?

家族だったり、パートナーだったり、親友だったり

たしかに、それらの人が自分を受容してくれたり、支えになってくれるでしょうけど…

果たして、それらの人が「いついかなる時でも」自分が望むような愛情を与えてくれるかといえば、限界があります。

もし、家族やパートナーが唯一の愛情の供給源であるなら、結局、愛情を受けるためにそれらの人に合わせた行動をしたり、愛してほしいという欲求を抑え込んだりする必要があるわけですから…

家族・パートナーの都合が「良ければ」という条件がついてしまう。

どれだけ身近な人でも、自分以外の人間から無条件に愛情を受けることはできないわけです。

裏技もある
・相手を支配すれば、愛情を搾取できる(感謝は返さない)
・相手と共依存関係になれば、二人の間では見かけの愛情を与え合うことができる(感謝が欠けている)
そうしたければ、すればいいと思いますよ。

愛の証明 ver.2.0 Figure 153

ー ー ー ー ー ー ー

C. 自分自身

あらゆる瞬間に、自分と一緒にいてくれる存在は、結局自分しかいないわけです。

だから、自分で自分を愛することができれば、受け容れることができれば、無条件の愛情を獲得できるわけです。

…それができたら困らんわ!!

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6-3. ③ なぜ答えにたどり着けないのか?

それは、時間軸上の「今現在」という幅をもった期間(数週間から数ヶ月)について、「他者との関係性 = 価値」の視点でしか物事を考えていないから

このnoteを読んでいる人は、自意識が芽生えて、大人になった人だろうと思います(高校生以上の人だと勝手に思っている)。

そうするとさ、欲求のバリエーションが多すぎるの

・美味しいもの食べたい!
・お金ほしい!
・眠い!
・エロいことしたい!
・他人よりよく見られたい!
・ちやほやされたい!
・嫌なところも受け容れてほしい!
などなど…

愛の証明 ver.2.0 Figure 154


視点を時間軸に向けて、自分の系統について考えてみよう。

時間を遡ることで…
・欲求がシンプルになり、構造が見やすくなる
・関係する「他者」が減ることで、愛情の出どころがわかる。

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6-3. ④ 人生において最初に濃密に関わる他者とは?=母親


視点を一気に、「自分が生まれた時」まで遡ってみます。

そうすると、生まれたての自分が最初に、濃密に関わる他者は…

母親です。


しかもそれは、自意識が芽生えた後の、「母と子」の関係ではない。
↑これは個人対個人の関係性

自意識が芽生える前の、「母親と赤ちゃん」

ここが重要。

この関係性には、父親の出る幕なし。
(育児に父親が関わらないという意味ではないよ?後ほど書きます。)

愛の証明 ver.2.0 Figure 155

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6-3. ⑤ 哺乳類における赤ちゃんとは、母親の「物質的コピー」である


遺伝的な「情報」=塩基配列の観点では、たしかに母親と父親由来の情報がそれぞれ50%を占める。

染色体2対 ✕ 23組だから。

だがしかし、遺伝を実際に担うDNA = デオキシリボ核酸の物質的側面に着目すれば、父親 = 精子由来のものは一細胞分しかない。

あとはすべて、母親が摂取した栄養に由来する。

エネルギー生産を担うミトコンドリアも、父親由来のものは排除されてしまう(その意義は酵母マンは勉強不足で知らない)。

その後、細胞が分裂を繰り返して、臓器に分化して、一つの個体へと発達していく…

この過程は、哺乳類では必ず母親の子宮の中で進行して、身体を構成する材料はすべて、へその緒を通して母親から子どもへと渡される。


こうして考えると、赤ちゃんというものは、物質的にはほとんど母親の身体の一部なわけ。

愛の証明 ver.2.0 Figure 156


だから、実は、母親から赤ちゃんへの愛情は、「自分への愛情」となる。

愛の証明 ver.2.0 Figure 157

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6-3. ⑥ 母親が赤ちゃんを「自分と全く同質に愛する」=これが無条件の愛情 = 母性的愛情の始まり


もし、母親が自分自身を愛する技術を持っている「ならば」
(一見、タラレバが入るように思われます)

自分を愛するとは、
=自分の過去ー現在ー未来を形成する「自分軸」に基づいて、自分の未来をポジティブにすること、

ですから、

自分を愛する(ここでは「母親」の話をしているので、母親とします)
=過去(祖母)ー現在(母親)ー未来(子ども)

という、「系統軸」に基づいて、自分の子どもの未来をポジティブにすること、も可能になるわけです。

これが、自分自身を愛する、ということの原則です。

愛の証明 ver.2.0 Figure 158


この原則を無意識的に理解している母親にとっては

子どもを愛すること = 当然となり、それはタラレバが入り込まない「無条件の愛情」となります。

なぜ「無意識的」だと「無条件」なのか?
「無意識」だから、「当たり前」だから、
説明しろといってもできないわけです。

どうして呼吸ができるの?と聞かれても答えられないのと同じ。
人間の身体がそうゆう構造になっている「世界」で生きているから。
その仕組みは、次の項目で。

愛の証明 ver.2.0 Figure 159

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6-3. ⑦ 子どもの側からみた「無条件の愛情」とは?


先程も書いたように、

ほしい!と思った瞬間に、無条件 (= タラレバなし) で手に入る

これが、無条件の愛情。

これを「他人」からもらうことは難しい。

でも、「ほとんど自分と同じような人」だったら?

それが、赤ちゃんの時期の母親。


赤ちゃんのほしいとは…
・おっぱい!(食欲)
・眠い!(睡眠欲)
・うんち!(排泄欲, 性欲と近い、などという話も聞いたことがあるけど…真偽のほどはどうなんでしょう?)

そして、なにより
・ぎゅーして、ぬくぬくして、なでなでして、ほわわわ!ってなりたい!
(安心・安全の欲求)

これを、
ほしい!と思った瞬間に、無条件 (= タラレバなし) で手に入る

これです。

愛の証明 ver.2.0 Figure 160


さて、この状況…

赤ちゃんの「わがまま」なのでしょうか?

これは、どうしても読者の判断に委ねられるわけですが…
僕の個人的意見としては、

これを「わがまま」だと批判する人は、「かわいそうに…」という哀れみの情しか湧いてきません(怒りではなく、哀しみ)

↑こうゆう意見を、「母親自身」が思ってしまうなら…

遅かれ早かれ、その系統は死に絶える可能性が高いですよね。

だって、系統の「生き延びたい!」という欲求を、他でもないその親が抑圧してしまうのだから!

つまり、子どもを愛する、ということを「当然 = 無条件」と思えない母親は、結局の所「自分を愛する」こともできていないわけです。


話がややこしくなりかけてますね。
一旦ポイントを押さえます。

数学とかで言うところの、「逆」「裏」「対偶」です。

命題
(仮定)母親が自分を愛することができる「ならば」
(結論)子どもは無条件の愛情を獲得できる

また、その対偶は…

対偶
(仮定)子どもが無条件の愛情を獲得できない「ならば」
(結論)母親は自分を愛することができない

愛の証明 ver.2.0 Figure 161

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6-3. ⑧ 子どもの側からみた「無条件性」について


ここで、一見すると矛盾が生じているかのように思われます

「母親が自分自身を愛せる『ならば』って、タラレバが入っているじゃないか!」

これは、いうならば「神の視点」=全体を俯瞰するから、そうゆうふうに見えてしまっています。

ここをどう考えたら、思考的に乗り越えることができるか?

そんなに難しくない。

愛の証明 ver.2.0 Figure 162


今、僕らは生きています。
(読んでる人、実は死んでます、なんて怖いこと言わないでね)

これ……「条件」を意識したことあります?

先程の「神の視点」に立てば、たくさんの条件をあげることができます

・そもそも地球に生命が誕生して「なければ」
・植物たちの光合成で酸素が満ち足りて「いなければ」
・親とか祖先がどこかで死に絶えて「いたら」

などなど…

たしかに、思考をすればタラレバが出てきますけど…

これを聞いてもさ、「んなこと言われたって、生きてるのは今現在の事実なんだから、タラレバみたいなうるさいこと言わないでよ

となる。

なんでだろう…?

これって、今現在の僕らにしてみたら、「当然」すぎてよくわかんないんですよね。

それは、今僕が例にあげたタラレバが、「自分が生まれる『以前』の条件」だから。


これがもし…

・小さいときに交通事故で死んで「いたら」
・なにかの重篤な病気を発症して「いたら」

など、「自分が生まれた『以降』の条件」になると、そのバッドな選択肢が実現しなかったことを「ありがたい」と感じれるわけです。
(きました、感謝)

また、こういった思考をすることで「当然と思っていることって、なんなんだ?」という視点を獲得できます。

愛の証明 ver.2.0 Figure 163


はて、話を戻して

赤ちゃんに、「お前の母ちゃん、自分を愛せる人でよかったな」という思考を求めない限りは、

自分が愛される、ということに一切の条件がない = 無条件
自分が愛されないかも、という分岐が見えない = 無条件
という、客観的に捉えると極めて身勝手な状況が形成されるわけです。

愛の証明 ver.2.0 Figure 164

しかし、これを獲得できた人間は、たくましい。

自分がこの世に「当たり前のように存在する」という感覚、自分自身を「当たり前のように愛する」という感覚が、生まれながらにしてインストールされるわけですから。

で、無条件の愛情を受けた人が成長して子どもを生むと、無条件の愛情をそのまま伝えられる。

無条件の愛情が連鎖的に受け継がれていく。

これが、正のらせん構造(スパイラル=平面的ではなく、ヘリックス=立体的)。

愛情が、未来の方向に、受け継がれていく…

愛の証明 ver.2.0 Figure 164

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6-3. ⑨ 子どもが無条件の愛情を獲得できない「ならば」…?


命題
(仮定)母親が自分を愛することができる「ならば」
(結論)子どもは無条件の愛情を獲得できる

この命題が「真」であるなら、その対偶もまた「真」である。

対偶
(仮定)子どもが無条件の愛情を獲得できない「ならば」
(結論)母親は自分を愛することができない

愛の証明 ver.2.0 Figure 165


これは、子どもが「あれ?私、無条件の愛情を受けていない…?」ということを認識したら、それは母親が自分自身を愛する能力に欠けてますよ、という意味です。

子どもがこの認識に到達するという状況…

この認識に到達するためには、いくつか条件があります。

・自分が生きづらいことに気づく
・「愛情とは何か?」をしっかり思考する
・自分の生きづらさについて、過去方向に思考を進める
・自分の乳児期の母子関係まで思考が到達する

これ、ノート療法の到達点です。

ある程度成長して、自分が生まれ育った環境や、家庭内の関係性が「おかしい?」と気づかないと、この発想には至らない。

ノート療法初級レベルは、「感情を蘇生させる」という作業でした。

初級レベル
「克服第一段階 ― 感情と理性の関係修復」(感情の蘇生)

僕のnoteではその後、親を追体験するという話を書いていました。

中級レベル
「克服第二段階 ― 負の連鎖からの謝罪」(親の追体験


しかし、よくよく見返してみたら、上級レベルのことを書き忘れていました。

それは「自己連続性の回復」です。
これについては、本記事の6-3.⑬ で詳しく書きます。


そろそろ構造が見えてきてますかね?

生きづらさ全開の人生~ノート療法の過程では、
憎悪が、過去の方向に、遡っていく。

この負のらせん構造がまずいわけです。

・自己否定が止まらない状態
・親に原因があると気づいて、親を憎悪するアダルトチルドレン状態
(通過点として、AC的視点を持つことは大切です)

つまり、未来(子ども)が過去(親)を憎悪するという構造です。

愛の証明 ver.2.0 Figure 167


これさ…やっちゃいけないことなの。

憎悪と愛情は、どちらも行動を伴う行為なので、未来に向けることしかできないのに、過去に向けてしまっている。

愛の証明 ver.2.0 Figure 168


過去を憎悪し否定することで、今の自分が存在する理由が失われてしまう。
(自分は過去の積み重ねのおかげで存在できているわけだから、それを否定すれば現在の自分の存在理由も消えるわけです)


また、未来→過去の負のらせん構造は、自分自身の中でも形成される。

今現在の価値基準で、過去の自分を否定する = 黒歴史構造です。

愛の証明 ver.2.0 Figure 169


はて、今現在の毒親化した理性は、本人としてはもっとも正しいはずなんですから、過去を否定することで優越感を得られるはず…
(自己否定の構造は次の項目で書きます)

なのに、つらさが止まらない。

それは、潜在的に、未来の自分自身から憎悪されているから。

今のお前がそうやって馬鹿みたいな自己否定を続けているから、数日後・数カ月後・数年後の私(未来)が困ってるんだよ!

負のらせん構造です。

愛の証明 ver.2.0 Figure 170

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6-3. ⑩ 自己否定の構造 ー正義の側にいたい気持ちー


ここで、自己否定の構造に少しだけ触れておきます。

そもそも、何かを否定する、とはどうゆうことか?

それは、ある事実やルール、基準から外れているものを認めない、
ということ。

・何か間違っていることがあったら、「事実と違うから」否定する。
・路上駐車はルール違反だから、摘発される。
・テストの合格点に到達しないから、落第する。

では、自己否定の状態とは、何から外れているのだろう?

ひとつは理想。
もうひとつは自分の外側からの要求です。

自己否定という行為自体は、けっこう大切なんです。

・テストで90点とらないと、合格しないという「要求」
→70点の自分を「否定して」、90点まで成長させないと。
・外を出歩くときは、ある程度身だしなみを整えるという「要求」
→外に出るときは、シャワー浴びて髭そって、清潔な服を着ないと。
・引き締まった身体になりたいという「理想」
→食事に気をつけて、運動して、怠惰な生活を改善しないと。

こういった、
自己否定→行動の変化→理想への到達・要求の達成
が成立すれば、「正の自己否定」としてうまく機能します。
(ここでは、父性的愛情が機能するのですが…いつの日か書きます)

そして、自己否定の克服によって、前よりも何かしらポジティブな状態に変化できるわけです!(これ、めちゃくちゃ重要)

愛の証明 ver.2.0 Figure 171


しかし、理想が高すぎたり、要求が厳しすぎると…

自己否定を克服できないわけです。

解決策は2つ。
1. 現状維持という名の諦め(思考を放棄)
2. 別の手段で”ポジティブな状態”に変化する。

1. の諦め。

これが、前に一瞬触れた「刹那さん」です。

愛の証明 ver.2.0 Figure 46

刹那さんは、未来に目を向けるでもなく、過去を直視もせず、もう諦めて、時間的な方向性を失ってるわけです。

端から見ると、向上心がないとか、楽をしていてうらやましいですね、などと捉えられるかもしれないけど…

本人は、この選択肢しかないわけです。

自分自身を愛せないけど、変化もできない…生殺しの地獄です。


2つめの「別の手段でポジティブになる」。
これが、止まらない自己否定の本丸です。

今現在の自分自身は変化しないんだけど、別の何かをネガティブに変化させることで、相対的に自分がポジティブなように錯覚する。

愛の証明 ver.2.0 Figure 172

さらに、これが発展すると、理想や価値基準に到達しないときに、周りを下げることで「ポジティブであることを錯覚」することに加えて、

「自分は理想や価値基準などの ”正義の側” にいる!」と錯覚し、
支配的なマウントを取る構造に発展する可能性がある。

一番わかりやすいのが…

うちの子はなんて出来が悪い子どもなんだ!という思考。

自分の子どもは他の子よりも劣っているのかも…(この時点でひどい)
→自分は悪くなくて、子どもが悪い(責任転嫁)
→子どもを貶めて、ポジティブを錯覚
→自分自身は、理想や価値基準に到達している(出来が良い)と錯覚
→子どもに対して、支配的マウントを取る

これを、自分の心の中でやってしまうと…?

自分自身は他の人より劣っているのかも
→今現在の自分は悪くない、過去の自分が悪い(黒歴史構造)
→過去を貶めて、今現在はポジティブであると錯覚
→今現在の自分は、理想や価値基準に到達していると錯覚(毒親的理性)
→過去の自分(感情・欲求)に対して、毒親的理性が支配的マウントを取る

こうやって、自己否定を眺めてしまうと…(元も子もない言い方だけど)

結局、現実を見ないで楽をしているだけだ…

となってしまいますね…


どうして自己否定をやめられないかも、こう考えるとわかりやすいですねぇ

自分の過去・今現在の感情さんは苦しいけど…

今現在の自分の毒親化した理性だけは優越感を獲得して「気持ちいいから」

考え方自体は間違っていないんですよ?と他人の価値基準に媚びているから

あぁ、悲しい…

愛の証明 ver.2.0 Figure 173

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6-3. ⑪ 無条件の愛情 = 母性的愛情と、条件付きの愛情 = 父性的愛情の分岐点


そろそろまとめに向かっていこう。

・無条件の愛情を受け継ぐ系統では、母親は自分自身を愛する能力を持っている。

そうすると、子どもが生まれてから、離乳するまでの限られた時期に…

母親は自分を愛するのと同じように、自分自身のコピーであり身体の一部に等しい子どもも愛することができる。

与える側の母親から見れば、母親の世界観では愛情は生まれたときから「当然」のように存在しているし、その事実を認識することで親や自分の系統への「感謝」の気持ちも芽生える。

愛の証明 ver.2.0 Figure 174


そうすると、妊娠~出産~離乳の時期がとても大事で、この時期にどうしたら無条件の愛情を受け継ぐことができるか?を思考することができる
↑これが、母親になる準備の上で一番大事なんじゃないかな?

父親の役割とはなんだろう?
母親は、自分のコピーである赤ちゃんの欲求を満たすことに全力を注ぎます。
数時間置きにおっぱいをあげる必要があるし、体力もすごく使うし、とにかく大変だそうです…(僕は経験していない)

で、あるわけですから
「赤ちゃんの欲求を満たす」以外のあらゆることは、全て父親がやる必要があるわけです。
お金を稼ぐことに始まり、家事を全部担当したり、ご飯の準備をしたり、母親が休めるようにミルクをあげたり…

自分は仕事で忙しいから育児はしない、という人間は、本質を見失っていることを自覚した方がいいと思う(僕は経験していない。二度目)

そして、母親から子どもへの無条件の愛情とは、「存在と欲求の無条件の受容 = そのままでいい」

「自分は当たり前のように存在するんだ」
「自分の欲求 = したい!という感覚は、当たり前のように満たされるんだ」

この感覚を、他人でありながらコピーでもある母親が子どもに与える。

受ける側の子どもにとっては、母親から愛情を受け取ることは、酸素が存在することと同じくらい「当然」ですから。
受け取ることに全くタラレバがかからない。
タラレバに気づくのは、成長して「これが当たり前ではないんだな」と感じるとき。
その時、系統への感謝が生じて、その感覚がまた受け継がれていく…

無条件の愛情を他人から受け取ることができるのは、この乳児期の限られた時期だけであることがよくわかる。

自分自身、そして自分の系統への愛情。
存在や欲求を「そのままでいい」と無条件に受容する。

子どもが大きくなって、「当然で認識できなかった事実」を認識したとき。
時間差で「感謝」が返ってくる。

これが、無条件の愛情 = 母性的愛情

愛の証明 ver.2.0 Figure 175


一方…無条件の愛情を獲得できていない系統では、母親は自分自身を愛する能力を欠如している。

そうすると、自分のコピーであるはずの子どもに対しても、愛情を与えることができない。
というか、愛情がわからない。

母親の背後に連なる、系統の連続性の認識も弱いから、子ども = 系統軸上の未来、と考えることができない。
だから、子どもに愛情を受け継ぐという発想もない。

要は、母親にとって子どもは、自分とは別の個体 = 他人なんです。

愛の証明 ver.2.0 Figure 176


そうすると、自分自身の存在意義とか、自分への愛情とか、そういった諸々が祖母から受け継がれていないのに、なんで他人にそれを与えることができるんだ、ってことになり…

子どもの存在を無条件に受け入れたり、いろんな欲求を満たすことに苦痛がともなっていく。

こういった、頑張らないといけない愛情、他人のためにやってるという感覚の愛情、私は満たされない…という不足感。

この状況が積もっていくと、無条件の愛情を欠如した母親にとっては、子どもを愛するという行為は「どれくらい価値があるのか?」という思考になってしまう。

いい子だから愛する、という形で教育できればまだいいほう
子どもを育てることに価値を感じなかったり(無価値 = ネグレクト)
子どもという存在に負の価値を感じてしまったり(暴力・虐待)

愛の証明 ver.2.0 Figure 177


この根底にはどんな仕組みが存在するのか?
愛情と感謝のサイクル視点で見るとよくわかります。

・愛情を与えても、感謝が返ってくるかわからない
まぁ、このサイクルが見えない人は、正体不明の不足感を感じるんでしょうし、愛情の見返りとして愛情が返ってくると勘違いしている…

ほんと、仕組みとして面白いよね。
無条件の愛情系統では、愛情を適切に与えることができれば、かなり高確率で子どもに感謝の気持ちが生じるわけです。
自分自身もそうだったから。
だから、子どもに愛情を与えても、時間差で感謝が返ってくるわけです。しかも、ほぼ確実に = ほぼ無条件に。

つまり、無条件の愛情は、系統内におけるノーリスクハイリターンな先行投資といえます。
・自分自身に愛情を与えて(無条件)、他人から愛情が返ってくる(条件付きだが高確率)

このからくりが、自分軸・系統軸を力強くする。

愛の証明 ver.2.0 Figure 178


一方、無条件の愛情を知らない系統では…
他人に向ける、価値基準の、感謝が返ってくるかわからない愛情しか、母親は子どもに向けることができない。

つまり…

母親と子どもがコピーの時期、唯一他人から無条件の愛情 = 母性的愛情を受け取ることができる時期
この始まりの段階から、条件付きの愛情 = 父性的愛情しか与えることができない系統

なわけです。

愛の証明 ver.2.0 Figure 179


愛情を受ける子ども側からみても…

子どもに向けられる愛情は、価値によって乱高下するわけです。
自分の存在だったり、自分の欲求というものが、
母親の価値判断によって満たされるときもあったり、満たされなかったり…
そういった不安定な愛情、条件付きの愛情しか存在しない世界観になる。
それが、「当たり前」になる。

子どもの選択肢は、2つしかない。
・条件付きの愛情を受け取ることを諦める
・条件付きの愛情を受け取るために、母親に依存・従属する

どちらにしても、自分の存在・欲求がどんどん見失われていく、抑うつ的な人格の基盤が見事に形成されます。

愛の証明 ver.2.0 Figure 180

この辺の話は昔書いてるんで、そちらを参照(参照)。

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6-3. ⑫ 愛情の無条件・条件付きのまとめ


愛情の無条件・条件付きについてまとめます。

まず、愛情と感謝の性質について。

愛の証明 ver.2.0 Figure 181

続いて、無条件と条件付きの分岐点。
これは、自分が生まれる「以前」に生じてしまっている。

愛の証明 ver.2.0 Figure 182


自分が生まれる前に分岐してしまった「世界観」は
生涯の方向性すらも左右してしまう。

愛の証明 ver.2.0 Figure 46

克服メカニズム Figure 9

克服メカニズム Figure 10

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6-3. ⑬ 無条件の愛情を再獲得するには?

基本は、この「愛の証明」の序編破編に書いたとおりです。

んー…だけど、けっこう難しいみたいね。

ー ー ー ー ー ー ー

コツ1 止まらない自己否定

ノート療法で過去に遡る段階で、黒歴史に対する自己否定が止まらなくなるようです。

なぜでしょう?

実は、破編2-3でこんなことを書いていました。

① 「イメージ・記憶の世界」では「過去」に愛情を注ぐことができる。
② 「イメージ・記憶の世界」で時間が逆行していることが、精神疾患克服のポイント。

③ 自分は過去の「何か」に感謝することで、力を得ることができる。

破編では、③に着目して自分軸形成の裏技を書いていたわけです。

今回は①と②に着目して、自己否定解決のポイントを考えてみる。

先に②について
先程6-3. ⑨あたりで書きましたが、「イメージ・記憶の世界」で過去に憎悪を向けてしまっている。
この逆行性が、結局自分自身の存在理由をも否定してしまっているわけです。

①について
だから、「イメージ・記憶の世界」で過去に向けて愛情を注ぐことで、死んでしまった感情を蘇生できるわけです。

ここで自分の過去に向ける愛情は、「そのまま受け入れる」=母性的愛情である必要があります。

まぁ、
過去を今現在の価値基準で判断して、
「良ければ愛する」「悪ければ憎悪する」
という条件付きの=父性的愛情を向けていることが、
自己否定の根源なんですから

そりゃそうだっつー話よね。

愛の証明 ver.2.0 Figure 183

ー ー ー ー ー ー ー

コツ2 自己連続性の回復

過去の感情を蘇生させる初級レベルをクリアして、一旦中級レベルの親の追体験をやってみる

ここでクリアできれば上出来。

うまくいかない人は、上級編に入る。
(酵母マンは、無意識に初級編と上級編を同時進行させていた。さすがだぜ)

再びノート療法に戻る(noteなどにアウトプットをして整理してもよいかも)

ここでの目的は、
「蘇生させた感情をつなぎ合わせて、自己連続性を回復する」

ビーズの粒のように散らばった感情に、糸を通してビーズを完成させるように、自分というものを再構築していく。

愛の証明 ver.2.0 Figure 184

粒のように散らばった状態というのは、2つの問題があります。

①自分自身が一つに繋がった存在である、ということが認識できない。

自分の中で、過去がバラバラに散らばってる状態。
統合性を失った状態は、
「アイデンティティー(自己同一性)を喪失した状態」といえます。

ちょっと、難しい言葉ですよね。
アイデンティティーというのは、「AとBが同じ」というのが本来の意味です。

例えば…バターの香りがして、サクサクして、小麦でできていて、層状になっていて、ちょっとまきまきしていて、食べれるもの。

これが何かがわからない人は、よくわからん食べ物としか認識できませんが。
「これがクロワッサンだよ」と知ることで、「あぁ、こうゆうものをクロワッサンというパンというのだな」となり、
正体不明の食べ物(A)とクロワッサンというパン(B)が同じだ、となります。
(研究の世界では、正体不明の物質を見つけてきて、◯◯です!と明らかにすることを、◯◯という物質を同定(identify) したと表現します。

これを、自分対してやると、
・去年の自分と、今現在の自分は「同じ酵母マンという存在」である
(中身が変化していても良い。)
・学生時代の自分も、小さな頃の自分も、「ぜーんぶ、自分」

もっと、いろんな自分を見出していくこともできる。
・ラジオが好きな自分と、今現在の自分は「同じ」
・日本人という民族の自分と、今現在の自分は「同じ」

↑アイデンティティーというとき、民族への帰属意識が問題となるのも、自分は何者なのか?という根源的な問いが含まれているから。

人生の中で、ばらばらになってしまった自分を、つなぎ合わせる。

でも、どうして自分がバラバラになってしまったのだろう?

愛の証明 ver.2.0 Figure 185

②過去に欲求が死んだところに、断絶のクレバスと、執着の重力源がある。

なぜ、自分がずたずたにバラバラになっているのか?

それは、過去に、欲求が死んだポイントに
・断絶のクレバス
・執着の重力源
が同時発生するから。

愛の証明 ver.2.0 Figure 186

だとすれば、コツも構造的に理解できる。

断絶を解消すれば良い。

だから、死んだ欲求を蘇生させて、受容すればいいわけです。

愛の証明 ver.2.0 Figure 187

ー ー ー ー ー ー ー

コツ3 記憶がない部分はどうしたらいい?


そうすると、小さいときの記憶がないことが問題になっていく…

記憶がないからわからない、というふうに思考停止してしまう人がいるかもしれない。

そこで、視点を変えてみる

なんで、小さい頃の記憶がないんだろう?

実は、小さい頃の自分って、ただ自分自身の記憶だけじゃなくて、家族や周囲の人から聞いた話も合わせた複合的な記憶として形成されるわけです。

だから、そうゆうのを聞けない環境なんだと認識する。

「知らないから、わからない」ではない。
「知らないこと、そのものに問題が潜んでいる」わけです。

これ以上は、あまりにも個人個人のバリエーションに富んだ各論になっていまうので、原則だけまとめました。

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6-3. ⑭ 母性的愛情の欠点


母性的愛情は、無条件であり、そのままで良い、という愛情です。

また、あくまでも自分軸・系統軸の中でのみ働きます。

イメージとしては、チェーンソーの歯のように高速回転しているわけです。

愛の証明 ver.2.0 Figure 188

また、乳児期に受け継がれる「母親ー子ども」の愛情は、極めて特殊な性質・構造を持つので、「特殊な母性的愛情・真の母性的愛情」と僕は考えています。

さて、たしかに、条件付きの愛情の系統の人は「特殊な母性的愛情」は一生獲得できません。
ですが、自分自身に与える愛情は、これまでnoteにまとめた方法を丁寧に実行することで「後天的に獲得」することができます。
こちらは、「一般的・普遍的な母性的愛情」と捉えることができます。
自分の人生の人生の中で「時期を限定せずに」無条件で与える・受け取ることができるので、「乳児期に母親からのみ」という限定がつく特殊な母性的愛情よりも、汎用性が高いからです。

愛の証明 ver.2.0 Figure 189

しかし!!

母性的愛情は、明確な欠点を抱えています。

自分の時間軸・系統軸の中だからこそ、永久に無条件に機能するわけです。
逆を言うと、自己完結的=閉鎖的で、発展性がない、ともいえます。

一切の他者が入り込む余地がないわけですから…

他人との関係性の間で初めて生まれる、『価値』を生み出すことも不可能です。

愛の証明 ver.2.0 Figure 190

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6-3. ⑮ エピローグ ー父性的愛情を手に入れて、価値を生み出す『欲求』を開発していくー


これまでお読みいただき、本当にありがとうございます!
(まじ、最終回長すぎだろ)

これまでにnoteでまとめた内容を丁寧に実行していけば、後天的に母性的愛情を獲得することができます。


これを獲得したら…

次は、『どうしたら、自分自身の「価値」を生み出していけるのだろう?

という超絶難易度が高い話に移っていきます。

へ?そんなに難しくないんじゃないか…?
いやいや、「自分の中だけの話」だけで、とんでもない量の文字書いてるんですよ?

この先は、他人という不確定要素がたくさん入り込んでくるんだから…

とんでもなくハイリスクな、ギャンブルのような話になっていきます!
(noteにまとめるのも激ムズだろうなぁ…)


ここでは、「父性的愛情」を獲得することが重要になります。
感謝は地球を救う (父性的愛情の基本性質が書いてあります)

仕組みがわかると、ホントよくわかるよね。
お母さんからの愛情は、「自分という存在」を確立する愛情。
お父さんからの愛情は、「他者との交わり方」を教える愛情。

どちらが欠けても、人生はうまくいかない。

酵母マン的には、この関係はまさしく、空海が日本で確立した密教の世界とそのまま通じるんじゃね?と考えています。
(胎蔵界 = Maternal = 母性的な力。無限の入れ子のような曼荼羅)
(金剛界 = Paternal = 父性的な力。似たような図柄が、変化しながら螺旋を形成する曼荼羅)

この、父性的愛情を手に入れる上で鍵となるのは「内なる欲求」。

如何にして欲求の種を見つけ、耕し、開発していくのか?

母性的愛情を獲得するための「愛の証明」はこれにて最終回です。

ここからは第二期「欲求開発事業」が始まります。

(いつ書き始めるかは…未定!)


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酵母マン-医学部編入生@AC・愛着障害 第3期「みんなで価値を創出しよう」
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